「私」と「書くこと」
こんにちは。
最近、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を読みました。
これほど、私の創作意欲が掻き立たせられ、「書かずには、作らずにはいられない!」と思ったのは久しぶりです。
とても印象に残った本でしたので、感想文は別のnoteに残しておこうと思います。
ここでは、私の本質なのではないか、と思われる「書く」という行動について語ります。
この本を読んで、私の心の底に眠っていた、「書くことが好きなもう1人の私」が起こされたような気がしました。
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私は、物心ついた時から、文字と触れ合っていました。
母がたくさん本を読ませてくれ、はじめは強制だったかもしれなかったですが、それはいつしか私の支え、生きるヒントとなり、私の人生になくてはならないものになりました。
小学生の時には、1人で登下校する時に自分の見たもの、感じたものを、
心の中で小説のように文章にして呟き、楽しんでいたのを覚えています。
例えば、
初夏のプールの帰り道の信号待ちでは、
「髪の毛からプールの匂いをさせながら、私はアスファルトを踏みしめていた。」
そして信号が青になり、渡り始めたら
「前から私より小さい子がお母さんと歩いてくる。パステルカラーの帽子から石鹸の香りがしそう。」
みたいな。
その時の心の中の小説は一文字足りとも紙に書き起こしていないので、本当にこんなことを考えていたかは定かではありませんが、とにかく、見たもの感じたものを文章で表すことが好きだったように思います。
今思うと、写真を撮るのと同じようなことをしていたのかもしれない。
世界の一瞬を切り取り、永遠に残しておく作業。
実際写真を撮るのも好きで、絵を描くときも頭の中のイメージを表すより、実在するものを書き表すほうが好きです。
写実主義なのでしょうね。
今まで自分が写実主義かも、なんて考えたことはなかったのですが、書いていくうちに、今、気づきました。こうやって、文章に書き起こしていくとどんどん自分についての理解が芽生えていき、枝分かれしていくような感覚になります。
noteのようにパソコンで書くのもいいですが、手書きの方が好きで、手帳はいまだにアナログ。家計簿も出先でさっとアプリにメモし、家で紙の家計簿に写します。私のデジタル化は訪れないと思います、多分……。
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「蜜蜂と遠雷」では、途方もない才能たちを見せつけられる。
そしてそれを文章で見事に描いているのも、恩田陸さんという天才。
作中の登場人物たちが、彼らの「生業」とも言える「音楽」から嫌でも離れられず、でもその「音楽」に束縛されている感じが心地よい。
恩田さんも似たものを感じたのではないでしょうか。
私はこの本で、登場人物だけでなく、これを書き上げた作家さんにまで感情移入しました。
そして、恩田さんのように、世界のあらゆるもの、目に見えないものまでも、自分の言葉で、あたかも目の前で繰り広げられているかのように紡ぎ出して、多くの方と共有できたら、それはなんと素敵なことだろうと、思うのです。
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読了後すぐ、妹の電子ピアノを借りて、遠い昔の記憶を辿りながらクラシックのワンフレーズを練習してみました(本や映画にすぐ影響され、すぐに冷めるタイプ)
が、たった10小節をノーミスで両手で弾けるようになるまで1時間半……。
そしてもうピアノは飽きました。^^
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