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【短編】『抗い続ける男』

抗い続ける男


 カラスが鳴いた。足の裏にあるマメが潰れた。イタッと叫んだ。母親がどうしたのと声をかけた。なんでもないと答えた。時計の針が動く音がした。もうすぐ夕方の鐘が鳴る頃だろうかと考えた。どこからか砂糖を炙ったような甘い香りがした。その匂いとともに寝床に入った。そして、どこか違和感を感じた。

 一度、今自分の身の周りで起きた一連の出来事を脳内で順に繰り返した。カラスが鳴いた。足の裏のマメが潰れた。イタッと叫んだ。母親がどうしたのと声をかけた。なんでもないと答えた。時計の針が動く音がした。もうすぐ夕方の鐘が鳴る頃だろうかと考えた。どこからか砂糖を炙ったような甘い香りがした。

 これだ!僕は何度かこのなんとも言えない中途半端な感覚に襲われたことがある。その瞬間、脳内の全ての認知機能が一瞬停止するのだ。俗に言う「デジャヴュ」という現象である。

 僕はこの現象に十三歳の時に初めて意識的に出会ってから、その原因を究明しようとあらゆる医学文献や哲学書、さらにはそれを題材としたSF小説まで調べ上げては、自分の中で仮説を組み立てることが日課となっていた。しかし、どれもこれもが定量的な情報ばかりで、定性的な部分が欠けているのである。しいて言うならば、SF小説の中にはあらゆる創造性が描かれていたが、もはやそれらは空想(ファンタジー)の領域であった。僕はどうしてもこの違和感を突き止められない現実に納得がいかず、この十年間一日たりとも欠かさずそのことを考え続けた。そしてある時ふと自分の頭に、とあるセオリーが降りてきたのである。それを今から論じようと思う。

 デジャヴュというのは、人生の反復性(ループ)あるいは決められた運命の存在を示唆するものではないかと考える。まるで、現代人の視力では、850rpmで回る扇風機の羽根の回転を認知できず、むしろゆっくりとある一定の速度を保って逆回転しているかのような錯覚に陥るように、我々も同じ人生を永久に何度も体験し続けているという実態を認知できず、時間という最大限の認知能力によって「唯一無二の現実」という虚構を捉えているのかもしれない。そして、時に同じ人生の断片的事柄をもう一度体験していることを無意識に認知し、違和感を覚えるのだ。

 その現象はある意味で、記憶と同じ性質を持っているように思える。通常人間の持つ記憶の性質は自分のアイデンティティ(自己同一性)を維持するために「過去」に依存するものであるが、それは時として「未来」に属することを容認するのだ。それがデジャヴュである。人は無意識のうちに未来の出来事を脳に投影し、「未来を思い出す」のである。そして同時に、これは人間が時間に縛られていることを証明する。

 もしこの仮説が正しいのであれば、僕がこれから生きていく上でやることは一つである。そう、その反復性に抗うことである。どうやってだって?いやいや、それを聞くなんて野暮なことじゃないか?


最後まで読んでいただきありがとうございます!!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

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