再悲詩: 梶井基次郎さんの「櫻の樹の下には」の下手物真似

Declaration that this is a work ex rebus Dolorum
この作品は再悲詩(Ex Rebus Dolorum)であることを宣言する
all sorrow is triumph and all triumph is sorrow
すべての悲しみは勝利であり、すべての勝利は悲しみである
omnis dolor est triumphus et omnis triumphus est dolor.
I of the sorrows
哀しみの我から
Ego Dolorum

(include this linkこのリンクを含めて)

https://note.com/jtr777/n/n38d593a2ede4


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”何日も何日も泣いた、涙の中に悪魔を見たまで” ーーネットの何処かで見た文書、出所は忘れた。その長くつまらない駄文のインスピレーションでした。
日本語を勉強している外人なので、言葉の過ちと文面表見の滑稽のところはせひ許してください。人に不快させるや不信心の表見がありますなので、もしそれはダメなら、この後の文章を無視しても良いです。

「何日も私が叫んだ。叫びは徐々に泣きに替えて、さらにその泣きは情けない野犬みたいな嗚咽になる。最初にドロップくらいな涙の雫は小さいな粒になり、乾い掛けた涙痕に沿い私の唇に触れる。渇きに負けた私がまるで母親の乳をしゃぶるみたいな気持ちでその苦い濁った液を吸う。それで私がその灼熱の生命から、その叫いて泣いて畜生でもなる地獄から救えられるだっと思った。その液を唾液と混ざって咀嚼でもしてみる。でも口の中からなざが鉄の味がする。その味がとんとん濃くなり、鼻腔から瘴気になって頭の方へ登る。そしてまた私の眼球を刺激して、とっくに乾いた涙腺から涙を強要する。そして舌からも、歯茎からも、口蓋からも、鋭い刃物に刺されや切られ、口の全部を焼き尽くすみたいな感じがした。私が即座にこれを吐け、そしてねとねとした、乾いた汚物と胃液と混ぜた、どろどろ薄黒い寧静な湖と対面した。そしてその静かな湖面から、どこからも真っ赤な血潮が沸き、その中からピカピカ鋭いな剃刀の刃が露呈し、そしてその凶器を持つ三千世界を満ちる仏と菩薩が微笑んで私の前から現れる。私の顔へ、私の血と液まみれになった剃刀を構えて、ノコノコと言った「お前、それくらいの苦行だけで、命という罪と罰から逃げられるとでも思ったか?その剃刀の含んだあなたが吐きたものをも一度飲んで齧って、ゆっくりと咽喉を通すその血と嘔吐物を味わえ、人間という汚い情けない真実を考えつづ、そしてなんにも解らなくてただその不快感と絶望の中で唾で息がを詰まって死ね、ていうかマジで死ね、神という我々が言ったから信じなさい」
私があの日みたいな憂鬱は人生二度とも味わなかった。そして一時間二時間くらい深刻の考えの後、私がその卑猥で冒涜的な排泄物を椅子の近く置いた汚いぼろ雑巾で拭いて、シコティッシュを集める為のゴミ箱に捨てた。それから私がエロ本を読んていつものオナニズムの儀式をする。全てを出し切って疲れ切った私がそのままごろごろとベッドへ這いずくそして顔も上がらなくって朝まで寝ました。」

ただ梶井さんの作品読んだ後の感想を試して書いたなので、本気の個人的な意見や立場ではないのです。もしその作文の意見や助言があればぜひ聞かせてください、勉強になります。

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