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エレベーターに乗れなかった話

ここ最近、家に引きこもりすぎて完全に曜日感覚を失っていたようだ。ここ最近とはいえ、すでに3週間はたったのかもしれない。いつからが引きこもりの始まりだったのかも、もはや忘れている。

人間、引きこもるとまず、日にちを見なくなるらしい。なぜかというと、今がいつだろうとあまり意味がなくなるからだ。カレンダーを見てもただの数字の羅列としか受け取らなくなるらしい。

ただ、わたしは週3日人工透析に通っているため曜日だけは認知しているはずだった。月水金は透析の日だ。それだけは守らねばならない。なぜなら透析に行かなければ、わたしは恐らく1週間程度で死ぬと言われているからだ。

しかしまずは死ぬ前に、わたしが透析クリニックに突然現れなくなったら大騒ぎになるのだろう。あらゆる家族に連絡が行き、それでも見つからない場合はすぐに警察沙汰になることが容易に予測できる。

その頃にはわたし自身もかなり苦しんでいることも予想されているのだが。勝手に透析を辞めると、ものすごい苦しみが待っているとよく聞かされる。これは本当のことなのか、はたまた透析に来なくなる患者の行動を回避させるためのことなのか。わたしはその真相をまだ知らない。

人はなかなか静かに死ねないものである。静かに安らかに死ねるというのは非常に贅沢なことなのだとよく感じる。死にたいときに苦しまずに死ねるというのはさらに、もっともっと手の届かないところにある。死ぬときはできれば苦しまないで死にたいものだが。

まあ、そんなわけで今までは週3日の曜日だけは把握をしているはずだった。今日までは。

エレベーターに乗れなかった話。自然と別役芝居みたいなやり取りをしていたことに後から気付き、なかなかに違和感のある行動と会話だったので日記にする。



まず、透析クリニックがあるビルに到着し、ふたつある左側のエレベーターに乗り四階のボタンを押したわたし。

自転車に乗ってきたせいで風で真っ二つに分かれた前髪をエレベーター内の背後にある鏡を見ながら直しつつ、四階で扉が開くのを待つ。

いつもなら着いて扉が開いているはずの時間まで待つものの、気が付いたら動く気配すらしていなかった。

しっかりとボタンが押せていなかったものと思い、もう一度ボタンを押す。今度はエレベーターの階数を知らせる上部の数字の光を見る。光りすらしない。

おかしいな、と思いながら一度降りて同じエレベーターに乗り直し、同じ作業をする。やはり一階で止まったまま動かない。

故障かな、と首をかしげながら今度は右側のエレベーターに乗り、また同じ作業をする。やはり動かない。ああ、故障しているんだな、と思ったわたしは警備員室へ向かった。

とくにやることがないのだろう。警備員さんは見るからに暇そうに、受付から完全に背中を向けて椅子の背もたれに寄りかかり、どっかりと座っている。

どっかりと座る、という表現はきっとこういう座り方なのだろうと感じたくらい、お手本のようなどっかりとした座り方である。


わたし
あの‥。すみません‥。

警備員
はい?なんでしょうか。

突然声をかけられて訝し気な顔をしながら、しかし暇そうにしていたことを悟られまいというような雰囲気を醸し出した警備員さんがこちらへ向いて椅子から立った。

わたし
すみません、エレベーターが動かなくて‥。ボタンを押しても動かないんです‥。

警備員
何階へ行きたいんですか?

わたし
四階です‥。

警備員
今日は四階は行けませんよ。

わたし
え‥。あの、透析所に‥。

警備員
ですから、今日は行けないんです。誰も居ませんから。

わたし
誰もいない‥?あの、四階って透析所ですよね‥?

警備員
そうですけど‥。今日は誰も居ませんよ。

わたし
誰も居ない‥。どうしてだろう、どうして誰も居ないんですか?

警備員
日曜日ですからね。日曜日は誰も居ないんです。ですから、四階へは行けないんですよ。

わたし
日曜日‥?今日って、日曜日ですか‥?

警備員
そうですよ。

わたし
月曜日ではなく‥?

警備員
日曜日ですよ‥。

わたし
そうでしたか、すみませんでした‥。


最後の警備員さんの反応を見る余裕もなく、わたしはその場を立ち去った。

いつも通っていたはずのビルの四階に透析クリニックが存在していたのは、もしかしたらあれは夢だったのだろうか。

突然予想だにしていなかった現実を知り、突き放されたような感覚を覚えて混乱したわたしは、その混乱の余韻で街をボーッと歩く。

仕方ないので帰ろうと、駐輪していた自転車を出そうとしたらすでに駐輪料金が150円かかっていた。

しょうがない。それなら、せっかく駅前に来たことだし日用品の買い物でもしてから帰ろうか‥。そう思ったものの、突然予定がなくなると、何をどうしたらいいのかわからなくなったりすることもある。どこになんの店があるかという記憶を探ることもままならない。

そういえばビルに入る前に、カフェのテイクアウトで買ったプラカップのアイスカフェラテも手提げ袋に入ったままだった。氷はどんどん溶けていくだろう。珈琲だったらまだマシだった。牛乳が入っているものは、なるべく氷で薄めたくはない。

街中ではみんなしっかりマスクをしているものの、たくさんの人で溢れている。広い公園ではベンチに座って、のんびりしている人も多く見える。むしろ座る場所もないほどに。コロナってなんだったっけ。ソーシャルディスタンスってなんだっけ。

天気がいい。風もちょうどいい。暑くもないし、かといって寒くもない。自転車に乗っていた時はかすかに小雨が降っていたはずだったのだが、もしかしてあれもわたしの勘違いだったのだろうか。

なんとなくその辺りをウロウロした結果、最終的には駐輪場の横で体感5分ほど、その場に立ち尽くし、ただボーッとする。この上ないくらい無意味な5分間を過ごす。

恐らくわたしほどなんにもしていない人は、周囲には誰ひとり見当たらない。こんな風に用事のないわたしこそ、三密を避けるべきである。

場違いな気がしてきたので、もう今更買い物などする気にもなれない。むしろ早く帰りたい。

150円払って帰る。

そんな非生産的な日曜日。


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