KG Miyamoto
ひびのかんがえごと。
初めまして、けーじといいます。初めての投稿です。 あなたは何のために生きているの?いきなりですが、あなたは 「何のために生きているの?」 という質問に対して、どう答えるでしょうか。 おそらく誰しもが生きてて考えたことはあるんじゃないかと思いますが、 「家族のため」「子どものため」「大好きな人のため」「自分のため」「お金のため」「趣味のため」 十人十色の答えがあるんだろうと思います。 僕は、 「幸せのために生きてる」 と答えます。 僕は小学校高学年あたりから
僕たちが生きる日常の中で、 「正しい」や 「間違っている」と 判断していることは、 本当に「正しく」、 本当に「間違って」いるだろうか。 自分が"正しい"と思っている事は、 別の視点からすれば間違っていたりする。 自分が"間違っている"と思っている事は、 別の視点からすれば正しかったりする。 僕は批判や否定の感情を抱く事はあっても、 それを表現するまでには至らない事が多い(と思っている)。 何故ならそれはあくまで僕の感覚であって、 他者はそう感じていない
母方の祖母の葬儀に行って来ました。 95歳で亡くなったと言えば、 どこでも聞くような話ではありますが、 身内で誰かが亡くなるというのは、 遺影を見たり、 お線香の香りをかいだり、 安らかな顔を拝んだり、 お骨を拾ったりと、 日常そう頻繁には無い事を 数日でやってしまうわけで、 1人の人間として考えさせられるものがあります。 ・自分の親が亡くなったらどうだろうか。 ・兄弟が、家族が亡くなったら。 ・自分自身が亡くなったら。 ベストセラーの自己啓発本で 「7つの
「芸は身を助く」という諺がある。 「どんな分野であれ、 他人に秀でる能力があれば、 思わぬところで役に立つものである」 という意味だが、 今の激動の時代において、 この言葉の持つ意味はとても大きいと思う。 自分の話になってしまうのだが、 僕は高校3年生の夏まで、 野球に没頭し打ち込んできた、 いわゆる「野球バカ」であった という自負がある。 小学4年の時に観戦した 甲子園、高校野球に虜になり、 そこから高校野球を夢見てひたすら野球に打ち込む日々だった。 しかしいつ
最近、山奥で自給自足生活を営むご夫婦と お話する機会があり、 色々話をしている中で 「私たち、別居することになったんです」 と、さらっと衝撃的な報告を受けた。 真っすぐな性格の旦那さんと、 それに寄り添うように支えてきた奥さん。 残念でならないが、 その話を聞いた時にタイトルの言葉が降りてきた。 都会から山奥に移住し、 自給自足の実現にひた走っていた旦那さんと出会い、 後に奥さんも移住して結婚されたのだが、 「自給自足を目指す以上は、 基本的に食べ物を買うことはないし
僕が文章を書く時は、まず 「あ、これについて書こう」 というインスピレーションが "降りて"きます。 特にそれについて 深く考えていた訳でもないのに、 日常の暮らしの中で、 ふとやってくるんです。 何もそんなこと考えてないのに、 フッと降りてくる。 あなたもそういう感覚って あるのではないでしょうか。 「これをやりたい!」 「楽しそう!」 「ワクワクする!」 みたいな、"ひらめき" とも表現できる この感覚が、僕たちにはとても大事だと思うんです。 漫画みたく
ふと思い出す。 子どもの頃、 どのくらいの期間かは覚えてないけど、 僕は「めんどくさい」が口癖だった。 「宿題するのめんどくさい」 「部活めんどくさい」 「学校めんどくさい」 何かにつけて 「めんどくさい」 を連発していた。 ちょっと格好をつけたかった部分もあるとは思う。 「めんどくさい」と言うと、いつも母親から 「これからもっとめんどくさいこと沢山あるで」 と返されるのがお決まりだった。 今も昔も「めんどくさい」そして大人になった今。 日常の中に 「め
同棲を始めて10ヶ月弱、 結婚(入籍)をして3ヶ月。 一人暮らしを4年くらいしていた身としては、 家族と生活する事、 しかもほんの少し前まで他人だった人と 一緒に暮らすとさまざまな発見がある。 それは お互いの家庭環境や生い立ちに寄るところが大きく、 洗濯機を回す時間帯とか、 野菜の皮の剥き方や切り方だったりとか、 お金を使う配分だったりとか、 生活の節々に、 「ああ、お互い違う環境で育ってきたんだな」 と実感することが多い。 それはとても面白いことで
先日、YouTubeでもアップしましたが 6月に入籍しました。 入籍するまでのスピードが早く、 1年前に自分がいた状況から、一変しました。 今回はそんな中で 結婚生活で1番ありがたみを感じていることを書こうと思います。 一人暮らしから二人暮らしへ僕は大学を卒業するまでは実家暮らしで、 社会人になるのを機に一人暮らしを始めました。 誰からも干渉されず好きなことをできる、 まさに自由な暮らしにそれなりに充実感もありました。 その一方で、一人の時間は必要やけど、 それが偏
「人生とは、山登りのようなものである」 といった具合に、 「人生とは、○○だ」という表現をよく耳にします。 山登りには登りも下りもあって、 キツイ時もあれば楽な時もある、 それはまさに人生のようなものだ、 という内容で。 もちろんこれも正しい。 とは思いますが、 おそらく、もっと色んな形で、 僕たち一人ひとりの中に、 「人生とは○○」があるんじゃないかと思うのです。 僕的な「人生とは○○」最近僕が思うのは、 人生は、終わりのないオセロのようなもの
最近めーーーーーーーーーーっちゃ嬉しかったことがありまして。 こうやってちょこちょこnoteを書いているわけですが、 FBやインスタやTwitterと違って、 ”スキ” ってあんまりつかないわけですよ。 大体の人は読んでくれて、そのままなので、 閲覧数とスキの数が比例しないというか。 それはそれでいいんですが、 ”知人の誰が読んでいるか”も見えにくいんですよね。 そういった中で先日、 思いもよらない方からふとメッセージをいただきまして。 ”note読んでま
最近、スピリチュアルな経験をすることが多くなりました。 唐突ですが。 ほんの数年前までは、”スピリチュアル” と聞くと 「はあ?」 みたいな、まるで信じてもいなかったんですが、 実際そういった出来事が目の前に現れたり 話を聞いたりしていると、 「どうやらそのようだ」と思う(正確に言うと感じる)ようになってきて。 それが正しいとか、間違ってるとかヤバいとか そういう話ではなくて、 自分が「ある」と思えば、「ある」。 最近そう思うようになってきたんですよね。
東日本大震災から10年が経ちました。 当時僕は高校3年生で、 卒業式を終えて来月から大学生になるタイミングでした。 当時の記憶地震が起こった瞬間何をしていたかというと、 カラオケ店のアルバイトの休憩中で、 一人で屋上のプレハブ内でご飯を食べていました。 すると 海の上で船が揺れるような、 「ゆら~ゆら~」っとした揺れを感じて、 「今日は風が強いのかな?」ぐらいに思ったのを覚えています。 アルバイトの終礼時に店長から 「宮城の方が大変なことになっている」と
最近ふと、 「あじわう」 という表現て良いなあと思いまして。 「あじわう」って、 日常のありとあらゆる瞬間にあると思うんですね。 「この仕事しててよかった!」とか、 「この人と一緒にいると幸せ」とか、 「おいしい」「楽しい」「わくわくする!」とか。 もちろん逆もしかり、 「苦しい」「つらい」「しんどい」 とかいわゆるネガティブとされるような感覚も、 瞬間瞬間を、みんな味わっている。 「味」を知ること僕は、 「生きている間にできる限り”色んな味”を味わ
あなたは何か決断や選択をするとき、 大事にしているものはありますか? 頭?感覚?人?利益? 人によってさまざまだとは思いますが、 「選択」や「決断」について考えてみたいと思います。 選択の種類僕は「選択」には、 ”頭の選択” と ”心の選択” の2通りがあると思っていて。 ”頭の選択”は、 「これを選ぶとこうなりそう」 「あの人を悲しませたくない」 「親はこういう反応するだろう」
僕は、あなたの何を知っているというのだろう。 あなたは、僕の何を知っているというのだろう。 あの人は、あなたの何を知っているというのだろう。 あなたは、あの人の何を知っているというのだろう。 僕たちが人に対して 「知っている」と思っていることは、 その人の”一部分でしかない”と思う。 職場では見せない顔を家では見せているかもしれないし、 家では見せない顔を職場では見せているかもしれない。 家族には見せない顔を友人には見せているかもしれない。 人前では笑顔で