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気配り

「あんたは気い遣いやさかい」


子どもの頃よく親に言われた言葉だ。



特にそんな自覚は無かったが、

大人になった今、

子どもの頃感じ取れなかった自分を、
ふと見つめられる瞬間があると気づく。



さて、「気遣い」という言葉で連想した言葉が、

「気配り」や「心配り」である。


気配り、心配りが出来る人は、
周りから喜ばれたり、信頼されたりする。


実際それが人のためになっていたりするから、
全くそれはその通りだと思う。


でもたまに問いたくなるのが、


その気配り、心配りの内発的動機が、
「嫌われたく無い」
という不安が発端になって無いかと言うこと。


もしそうだとすれば、
それは愚行と言えるものであり、

一見喜んでいるように見える相手は
「都合の良い人間だ」と捉えるだろう。

そしてあなたの気配り、心配りを利用する様になる。

結果無駄にエネルギーを使い、
自分自身が疲弊したり、壊れたりする。

これは本望では無いはずだ。


相手に気配り、心配りを出来る事は尊い事だとは思うが、

相手の前にまず、
自分に対して、気配り、心配りが出来ているだろうか。


往々にして「嫌われたく無い」願望の強い人は、
自分を脇に置いて相手を優先する事が多い。

結果自分が疲れて終わるという残念なものになる。


毎分毎秒起点となる自分自身に気を配り、心を配るべし。


これは僕自身の話である。


行動の「結果」をあれこれと考察しても仕方がない。
その「結果」に至った行動時の「心の在り様」がどうであったかを考察してみる。

まず、あなたのその行動は「不安」に起源を発したものか、「安心」に起源を発したものか・・・? 
それを鋭い心の目で見極めること。

「不安」を起源とすれば「不安」を増幅し、「安心」を起源とすれば「安心」を増幅する。

西山猛郎

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