「あんたは気い遣いやさかい」
子どもの頃よく親に言われた言葉だ。
特にそんな自覚は無かったが、
大人になった今、
子どもの頃感じ取れなかった自分を、
ふと見つめられる瞬間があると気づく。
さて、「気遣い」という言葉で連想した言葉が、
「気配り」や「心配り」である。
気配り、心配りが出来る人は、
周りから喜ばれたり、信頼されたりする。
実際それが人のためになっていたりするから、
全くそれはその通りだと思う。
でもたまに問いたくなるのが、
その気配り、心配りの内発的動機が、
「嫌われたく無い」
という不安が発端になって無いかと言うこと。
もしそうだとすれば、
それは愚行と言えるものであり、
一見喜んでいるように見える相手は
「都合の良い人間だ」と捉えるだろう。
そしてあなたの気配り、心配りを利用する様になる。
結果無駄にエネルギーを使い、
自分自身が疲弊したり、壊れたりする。
これは本望では無いはずだ。
相手に気配り、心配りを出来る事は尊い事だとは思うが、
相手の前にまず、
自分に対して、気配り、心配りが出来ているだろうか。
往々にして「嫌われたく無い」願望の強い人は、
自分を脇に置いて相手を優先する事が多い。
結果自分が疲れて終わるという残念なものになる。
毎分毎秒起点となる自分自身に気を配り、心を配るべし。
これは僕自身の話である。
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