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真実

ある日、父子が、
二人で一頭のロバを引いて歩いていた。

すると、通りがかりの人がこう言った。

「ロバの背が空いているのに乗らないのか?」

そこで、父がロバに乗り、
息子がロバを引くことにした。

しばらく進むと、
また別の人が通りかかり、父に向って言った。

「君は年下の者に対する思いやりがないのか。
 自分だけ楽をして恥ずかしくないのかね」


父は急いでロバから降り、
息子を乗せてロバを引くことにした。

またしばらく行くと、
通りがかりの人が息子に言った。

「なんて礼儀知らずなんだ。
 年上の者にロバを引かせて、自分がロバに乗るだなんて」



そこで父子は、
二人してロバに乗ることにした。

しばらく行くと、今度は通行人たちが、
父子を見ながら言った。

「ロバがかわいそうだ。あれでは動物虐待ではないか」


父子はあわててロバから降り、
二人してロバをかついで歩き始めた。

重いロバをかつぐ父子はヘトヘトに疲れ、
橋の上で足を滑らせてしまった。

大切なロバは川に落ち、
流されていってしまった。

これはお爺さんとお婆さん。




僕たちは、何かをしようとした時
誰かにとってそれは正しい行為になり、
誰かにとってそれは誤った行為になる。


その時その時で周囲の声を聴きすぎると、
結局何も残らず、悲惨な結末になる。


そしてそんな結末を迎えて、

誰のせいにすることもできないことを知る。

全てを鵜呑みに聞き入れた自分に原因があるからだ。



だったら最初から自分が「こうだ」と思う方向で動けばいい。

それにいちいち「私のこれは正解でしょうか」なんて周りに聞けば、
「いいと思う」だけではなく
「もうちょっと考えたら」とか「それは違うんじゃないか」とか
十人十色の答えが返ってきて、

あなたのせっかくの素直な感情が埋もれてしまう。


本当の幸福を得るには、
周りの声よりも自分の内なる声を優先したほうがいい。


なぜ会ったこともないメディアの情報は信じ、
毎日共にある自分の心の声は信じないのか。


自分で選択をし、自分を引き受けた者しか到達できない境地がある。


自分自身の最大の敵は誰か?

それは自分を欺く自分自身、自己肯定感を外的要因で構築する自

分自身。

もう一度、「喜怒哀楽」を自分のものとして確りアウトプットできているか? 

自分自身の感情の泉を枯渇させることは「死」と同じである。

西山猛郎

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