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はるかむかし、私たちは動物だった
幼稚園に勤めていたときザリガニをクラスで飼育していました。子どもたちが帰って誰もいなくなった部屋で、ガサガサとザリガニが水槽の中で動く音に、まだクラスに残っている、わたしひとりじゃない、とあたたかく穏やかな気持ちになったのを覚えてます。
ザリガニの音。小さな生命が動いている音。
小さな音が聴こえるだけで心強く思えることがあります。
ザリガニは鳴きません。
「鳴かないザリガニの鳴くところ」は子どもたちのいなくなった部屋ではなく、湿地とよばれるところでした。
聴こえない鳴き声が聴こえるところ。そこは人間が足を踏み入れることができない圧倒的な自然がありました。
ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ
ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。6歳で家族に見捨てられたときから、カイヤは湿地の小屋でたったひとり生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女のもとを去ってゆく。以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく…みずみずしい自然に抱かれて生きる少女の成長と不審死事件が絡み合い、思いもよらぬ結末へと物語が動き出す。
カイヤという野性の少女の中の動物性が興味深く感じました。差別され、置き去りにされ孤独で、それでも生き延びるための本能があります。それは貝をとって売ったり、誰かとつながろうとしたり、知識を得ようとしたり、巧みに身を隠したり。
自然から学び、動物たちのように行動してます。
自然界における子孫を残す精子競争においても、暗い側面などではなく、困難を乗り越えるために編み出されたもので、それが人間となればもっとたくさんの策を講じたとしても不思議がないと考えます。
はるかむかし、生き残るために必要だった行動をいまでもとれるのよ。
カイヤの湿地は、人々に蔑まれていましたが畏怖もあり、後には憧憬さえにもなります。
ザリガニが鳴くところである湿地は、現代に生きるわたしたちにも必要なところかもしれません。
孤独、差別、格差、病気、葛藤から隠れ学ぶところ。自然と人とつながるところ。
鳴き声がなくっても、それが聴こえるところ。
水槽の中のザリガニでも音を出すことができます。かすかな命の音に耳を傾け、謙虚に自然から学びカイヤのように力強くありたいと思いました。
同じ本を読んでも感想文は、個性があっておもしろいです。