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親から虐待を受けた子どもは人生終わるのか④


「きっと母親の愛はぐちゃぐちゃだったんだ」

「母親に対して今、どう思ってる?許せる?」
「全然許せる。過去は許してる。ただ今の母親はどうだろう…。自分のことを可哀想と甘えている部分は許せないかも」
彼は即答で過去のことを許せていると断言し、私は心底驚いた。
 彼の母親について、今母親をしている世代や母親業が終わった世代に話をしたらきっと非難の嵐だろう。母親なのに子に暴力を振るった、アルコールによって義務教育に支障をきたした、兄の暴力から子を守らなかった、これらは許されざる事実であるから。
 虐待と分かっていても共依存や支配関係になるケースがある。これは子の虐待に関わらずDVといった問題にも共通することだろう。
その可能性が私の脳裏をよぎったため、彼が考える“母親に対する愛”について知りたくなった。

「いつから母親を許せるようになったのですか?」
「施設入ってすぐの頃はずっと許せなかった。でも、僕は虐待されてたけどそれには色々な背景があったんだって受け入れられるようになっていった。ずっと愛されてこなかったことで、そもそも愛とはなんだろうって調べていって、愛は練習したり鍛えないといけないって本で知った。きっと母親の愛はぐちゃぐちゃだったんだ。歪んでた。でも愛は愛だし、それを受けとっていた自分がいたってことに気がついて。そう考えるようになったらいつの間にか許せるようになってた」
 熱のこもった目だった。今まで目まぐるしい出来事に対して淡々としていた彼だったが、この時はじわじわと静かに湧き上がるような熱を感じた。自分自身で考えて導き出し、納得した考えなのだろう。

 生まれた時人間に備わっている感情は6つあると言われている。恐怖、怒り、悲しみ、喜び、驚き、嫌悪である。遺伝的にプログラムされた人間の本性であり、他の動物にもみられる。
この6つの中に愛は含まれていない。
 愛という感情の機能は人との関わりが不可欠だ。
彼が言うように愛は学ぶもの。最初から身の回りにあり続けてきた人達にはこの思考は不必要だろう。ただ認識できているかどうかは別だ。だから学ぶもの、なのだ。

 冒頭で述べた、“彼に対する違和感”についてだが、彼の感情は麻痺してしまっているのではないだろうか?という疑念がインタビュー中に浮かび上がっていた。
過去の辛いはずの体験を慎重に質問する私に反して、彼はとても淡々としていた。
“自分にとっての愛の捉え方について”という難解な質問に対して、彼は明確な考えをすでにもっていた。
 ここまでインタビューをしてきて、彼の思考は極めて合理的に見えたが、垣間見える心情から、感情のコントロールや言語化が出来すぎているとも感じた。
そうならざる負えない環境だったということもあるが、客観的になることが彼にとって自己防衛の一つになっていたのかもしれない。
彼は多くの時間を費やして千思万考したのだろう。

 私は20歳の若者と会話している感覚がなくなっていることに気がついた。冒頭で述べたように実年齢より上に思えるのだ。
「正直、二十歳とは思えないです。私は児童養護施設に出た後もしばらくは生きるのが苦しい時がありましたが、ナオトさんはそういう時はありました?」
「死にたいって思ったことありました。彼女が自殺しちゃいました」


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