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移住決断までのわたしの長い道のり(2/3)~助け合いができる関係~

わたしの2拠点生活

移住を決断するまでの過程で、一時期なんちゃって2拠点生活をしていた時があった。なんちゃってと言っているのは、都心にある自分の家と実家をもう一つの拠点としていただけだったから。言ってしまえばただの里帰りだけど、数か月いたことと、そこを拠点に地域のまちづくりにも参加していたので、わたし的には2拠点生活だったと思っている。

前回、移住の決め手になったのは①助け合いができる関係 ②同じ目的を持った人 がいるかどうかと書いた。そう思った出来事がそれぞれあった。

出来事

昨年2拠点生活で実家に滞在していたとき、寝ている間に大きな地震があった。これまでわたしが経験した中で最も大きかったと思う。自分が箱の中につめられて、外から殺意をもった人に思いきりこれでもかというくらい揺らされる感じ。それが数分置いてもう1度きたので冗談じゃなく本当に死ぬかと思った。

家が崩れなかったので生きていたがその後は停電と断水。真冬ではなかったが冬の時期だった。家にいたのはわたしと両親。その2キロ先くらいに祖母がひとりで暮らしている。母が祖母に電話をかけたが出ず、母はパニックで号泣。家の中は物が散乱し歩くのもやっとの状態で外に出て、3人で車に乗って祖母の家に向った。祖母は家の外にいた。1回目の揺れを家の中で感じ、危険を感じで外に出たときに2回目の揺れがあったらしい。2回目のときに玄関に置いてあった大きめの棚が倒れて締め出されてしまったとか。幸い怪我はなく、寒い中時間が経つ前だったので無事だった。

翌朝明るくなってから被害の様子などがニュースで放送されていた。まちの様子を見ていてわたしが感じたのは、かなり大きな揺れだったのにも関わらずみんな落ち着いていたように見えたことだった。ここ10年ほどの間に大きな揺れを何度か経験している地域だったのでみんな備えができていた。うちの家にもおそらく2Lのミネラルウォーター6本×段ボール20箱くらいストックしてあってびっくりしたくらい。それと一部の地域で結構長い間断水が続いてしまっていたが、住民たちの間で風呂の貸し借りなど助け合いによって乗り越えていた

いちばんの防災

地域のなかで助け合いができる関係を作ることがいちばんの防災だと思った。わたしが住んでいる都心の方のアパートは隣に誰が住んでるかさえも知らない。風呂を借りるなんてもってのほか。そこで大きな災害に遭ったら最悪でしかない。

助けてと言えるかどうか

災害に限らない。助けてほしいときには助けてと言える環境が欲しいと感じた。例えば育児や介護を家族だけでしている人の話を聞いたりすると、とても自分には無理だと思う。つらすぎる。一人や二人だけで背負うなんて苦痛であるとしか想像できない。地域や何かのコミュニティ単位で助け合える関係を作れないのか。そう思いコミュニティについていろいろ調べ始めたきっかけとなった。

ちなみに

その後の家の片づけがとにかく大変だった。いらないものだらけだと思ってわたしはバシバシ実家にある物を捨てていったが、父はこれも思い出なんだよとか言いながら、わたしたち3人兄弟の写真を眺めたりしてた。そんな親の姿を見てかわいいと思ったりして、わたしも大人になったなあと我ながら思ったりした 笑。


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