Yuki|歴史家

世の中が急激に変化するなか、歴史に学んで現在や将来を考える観点を豊かにできればと思い、執筆をはじめました。歴史研究の成果を踏まえながら、分かりやすく歴史のトピックを発信していきます。歴史学修士。https://yuranhiko.hatenablog.com/

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    • スコットランド史

    • モノの記憶シリーズ (MEMORIA Series)

      モノには人々の営みが記憶として宿っている。過去から今に残されたさまざまなモノの記憶を通じて、過去の社会や人々の生きざまを探究していくシリーズです。あなたも一緒に、時空をこえた旅に出かけてみませんか?

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    読むと面白い!『魏志』倭人伝

    『魏志』倭人伝とは『魏志』倭人伝とは中国正史の『魏志』巻30・東夷伝・倭人の条をさす。『魏志』とは晋の陳寿 (233-297年) の選んだ『三国志』のひとつにあたる。中国正史の倭・日本伝のうち、制作年代の最も古い書であり、古代の日本列島に住んでいた人々の様相を今に伝える貴重な史料である。 邪馬台国の所在を巡る論争でもしばしば取り上げられるため、もはや説明が要らないくらい有名な書だが、実際にこの『魏志』倭人伝を読んだことがある人は多くないかもしれない。 『魏志』倭人伝の面白

      • ベリック包囲とハリドン・ヒルの戦い

        本記事は百年戦争とスコットランド III-III:即位と一進一退と ―1332年の戦局―の続きです。 イングランドの軍事支援と領土割譲の約エドワード・ベイリオルの敗走は、戦争をさらに深刻化させる方向へと作用した。1333年の1月、敗走したベイリオルはヨークで議会を開いているエドワード三世のもとに向かった。彼の目的はエドワードから軍事援助を受けることであり、そこで再び臣従礼の打診が行われた。しかしながら、結局のところ議会はこの問題に結論を下すことを望まず、その決定は王と議会が

        • 百年戦争とスコットランド III-III:即位と一進一退と ―1332年の戦局―

          本記事は百年戦争とスコットランド III-II:ダップリン・ムーアの戦いの続きです。 エドワード・ベイリオルの即位パース入市と包囲 ダップリン・ムーアの戦いの後、エドワード・ベイリオルはパースに入市し防備を固めた。 直後にマーチ伯の軍勢が町を包囲し、ジャン・クラブ率いるベリック市の船団がキングホーンに停泊するイングランド船を攻撃したものの、クラブの船団が敗北し、またユースタス・マクスウェル率いるギャロウェイ人の軍勢が「自らの主君」と仰ぐベイリオルを支援し後方から挟撃せん

          • 百年戦争とスコットランド III-II:ダップリン・ムーアの戦い

            本記事は百年戦争とスコットランド III-I:廃嫡者たちの戦争の続きです。 廃嫡者たち、イングランドを発つベイリオルと廃嫡者たちが起こした戦争は電撃的なスピードで進展し、緒戦は彼らの驚くべき勝利で始まった。イングランド側の年代記を参照すると、おそらく1332年7月31日、エドワード・ベイリオルはキングストン・アポン・ハル(ヨークシャ―)を出港し(『モー年代記』)、8月6日にスコットランドのキングホーン(ファイフ地方南部の港町)に上陸した(『ラナーコスト年代記』など)。 エ

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            百年戦争とスコットランド III-I:廃嫡者たちの戦争

            本記事は百年戦争とスコットランド II-V:束の間の平和の続きです。 はじめに1328年に樹立された平和が長く続くことはなかった。エドワード三世はこの平和を屈辱的なものと見なし、1330年にクーデターを起こして実権を握った後はスコットランドに対して強硬策を取るようになる。また、1328年の平和は両王国に跨る土地保有の禁止を謳っているものの、戦争の根本原因――王位継承権を持った家系や各地方における有力家門の対立――は解決されないままくすぶっていた。 後者の問題が再燃し、平和

            百年戦争とスコットランド II-V:束の間の平和

            本記事は百年戦争とスコットランド II-IV:戦争と廃位の続きです。 戦争の最終局面イングランドの政情不安を絶好の機会と見たブルースは一気に攻勢に出るようになる。1326年の末、ブルースの甥であるマー伯ドナルドがスコットランドに帰国した。彼はイングランドで育ちエドワード二世に忠臣として仕えた人物であり、帰国の直前にはブリストル城の防衛にも参加していた。帰国後、おそらく彼は伯父にエドワード救出の助けを求めたと思われる。ブルースは表面上それに同意しながらも、裏では自身の政治目的

            百年戦争とスコットランド II-IV:戦争と廃位

            本記事は百年戦争とスコットランド II-III:戦争と平和の続きです。 ブルースの王位は未だ解決せず1323年の休戦では平和樹立への歩み寄りが見られたものの、いまだブルースの王位に関する問題は未解決のままだった。事実、この休戦においてブルース側の文書は彼自身を「スコットランド王ロバート」と呼んでいる一方、エドワード二世の文書ではただ「ロバート・ブルース殿」とのみ書かれていることからも、エドワード二世が依然としてブルースの王位を認めようとはしていなかったっことが分かる。 加

            年の瀬のご挨拶

            いつも記事を読んでくださっている皆様へ2021年ももうすぐ終わりを迎えようとしています。私にとって、今年は note での記事公開を始めた年でした。 読んでいただいた皆さんからのコメントやスキが執筆の励みになり、5月に最初の記事を上げてから、継続して 33 本の記事を公開することができました。ありがとうございました。 来年も引き続き、記事の公開を続けていこうと思います。当面は『百年戦争とスコットランド』のシリーズを中心に書いていく所存です。年内に百年戦争の開始まで行き着

            歴史における気候変動と中世ヨーロッパを襲った大飢饉・疫病

            歴史における気候過去の人々がどのような自然環境のもとで生活していたかは、歴史をひも解く上で重要なポイントだ。なかでも気候は最も重要な要素のひとつであり、人々の行動範囲や農作物の生産、さらには人口の増減に至るまで人間社会にさまざまな影響を及ぼしてきた。 過去の気候変動を調査し、その変化を長期的な文脈に位置付けて理解しようとする学問のことを歴史気候学という。すでに19世紀から研究が始まっているが、地球温暖化など人間と自然の関係があらためて問題となるなか、近年強い関心が寄せられる

            百年戦争とスコットランド II-III:戦争と平和

            本記事は百年戦争とスコットランド II-II:バノックバーンへの道の続きです。 大陸との通商先に述べた通り、ロバート・ブルースの戦いは大陸の諸君主からの支援を得ずに遂行されたものだった。一三〇九年にはフランス王フィリップ四世とスコットランド王ロバート一世との間でコンタクトはあったが、両者の間で軍事同盟の更新ないしは再締結は行われず、大陸からの軍事援助や共同戦線が展開されたわけではなかった。 また、一三一二年一〇月にはノルウェイとスコットランドの間で条約が結ばれ、一二六六年

            百年戦争とスコットランド II-II:バノックバーンへの道

            本記事は百年戦争とスコットランド II-I:反逆と内戦の続きです。 ブルースの再起と一三〇七年冬の北征再起 ロバート一世は潜伏地において、在地のゲール系家門の助けを借りて再起をはかっていた。これらの家門は、島嶼地域で前述のマクドゥガル家と対立関係にあり、かつロバートと婚姻を通じて親戚関係にあった。その支援は決して純粋な友情から来るものではなかっただろうが、両者は自家の目的を遂行する上で政治的にウィン=ウィンの関係を築くことができた。 彼はそこで戦力支援を得ながら翌年の一

            百年戦争とスコットランド II-I:反逆と内戦

            本記事は百年戦争とスコットランド⑧:重なり合う紛争ー④の続きです。 ロバート・ブルースの戦い一三〇六年から一三二八年の期間は、スコットランド中世史においてもとりわけ人気を集めている時期だ。一三〇六年二月一〇日、スコットランド南部にあるダンフリースの教会で、キャリック伯ロバート・ブルースがジョン・カミン殺害するという事件が起こった。ブルースはそのまま王位継承を宣言し、ロバート一世として各地を転戦。一三一四年にはバノックバーンの戦いでイングランド軍に決定的な勝利をおさめた後も対

            百年戦争とスコットランド⑧:重なり合う紛争ー④

            本記事は百年戦争とスコットランド⑦:重なり合う紛争ー③の続きです。 イングランド統治下のスコットランド ジョン王の降伏により、スコットランドはベリック市を拠点とするイングランド政府の統治下に置かれることになった。現在、ベリック市はイングランドの一部となっているものの、当時はスコットランド王国随一の経済都市だった。エドワード一世は戦争の功労者でジョン王の親戚にあたるワーレン伯を国王の代理とし、手練れの役人であるヒュー・クレシンガムを財務府長官に、行政文書を扱う尚書部の長官に王

            百年戦争とスコットランド⑦:重なり合う紛争ー③

            本記事は百年戦争とスコットランド⑥:重なり合う紛争ー②の続きです。 ガスコーニュ遠征に対するスコットランドの反応前節で述べた通り、一二九四年五月にパリ高等法院によってアキテーヌの没収が宣言されると、直ちにエドワード一世は議会を開き、遠征軍の準備を始めた。スコットランドのジョン王もそれに同意し、彼は準備を整えるために王国に戻って議会を開き、この問題について協議したと言われている。 しかし、議会の決定は真逆だった。イングランドへの軍事奉仕は否定された。ジョン王は「力と脅迫によ

            百年戦争とスコットランド⑥:重なり合う紛争ー②

            本記事は百年戦争とスコットランド⑤:重なり合う紛争ー①の続きです。 一二九三年の海上衝突現代を生きる私たちとって、商船と海賊船はまったくの別物である。しかし、当時のヨーロッパにおいて海員たちによる私拿捕活動は日常茶飯事であり、それが武力衝突に発展するのは決して珍しくなかった。 しかし一二九三年、そのような衝突の中の一つが大きな問題へと発展していくこととなる。イングランド南岸の五港市とバイヨンヌ港に所属する連合艦隊が、ブルターニュ近海でノルマンディ艦隊と衝突してこれを打ち破

            百年戦争とスコットランド⑤:重なり合う紛争ー①

            本記事は百年戦争とスコットランド④:王位継承と臣従の続きです。 ジョン王の治世ジョン王の治世は、一二九二年から一二九六年の四年弱しか続かなかった。しかし、その期間にはその後のイングランド、スコットランド、フランスの関係を考える上で重要な数多くの出来事が発生した。 ジョン王の統治権力は、自らの王位継承を支持したエリート層に大きく依拠せざるを得ないものだった。中でもその筆頭がスコットランドの一大有力貴族、カミン家とその支持者たちだった。実のところジョン王は大訴訟までほとんどス