Yuki|歴史家兼データサイエンティスト

企業でデータサイエンティストとして働く傍ら、中世ヨーロッパ史の独立研究者として活動して…

Yuki|歴史家兼データサイエンティスト

企業でデータサイエンティストとして働く傍ら、中世ヨーロッパ史の独立研究者として活動しています。歴史に学んで現在や将来を考える観点を豊かにできればと思い、執筆をはじめました。歴史研究の成果を踏まえながら、分かりやすく歴史のトピックを発信していきます。歴史学修士。

マガジン

  • 中世ラテン語史料の読解

    中世ラテン語で書かれた史料の読解に関する記事をまとめたマガジンです。はじめて中世ラテン語の史料を読む人を対象に、その基本的な文章構造や読み方に関する記事を公開していきます。

  • 人文学について

    筆者が研究している歴史学、ないしはそれよりも広く人文学一般と私たちの生活や現代社会とのかかわりについて考えたものごとを記事としてまとめています。歴史学や人文学とは何なのか、それが何の役にたつのかなど、専門外の方々にも分かりやすく伝えるようにお伝えします。

  • モノの記憶シリーズ (MEMORIA Series)

    モノには人々の営みが記憶として宿っている。過去から今に残されたさまざまなモノの記憶を通じて、過去の社会や人々の生きざまを探究していくシリーズです。あなたも一緒に、時空をこえた旅に出かけてみませんか?

最近の記事

中世スコットランドにはどれくらいの人々が暮らしていたのか?

スコットランドヨーロッパの北西に浮かぶグレート・ブリテン島の北部に、スコットランドと呼ばれる地域が存在する。 風光明媚な自然、陽気なバグパイプの音が聞こえる活気あふれる都市、色とりどりのタータン・チェックに良質なスコッチ・ウィスキーの数々。 さまざまな魅力にあふれたこの北国は現在、イギリス、正式には「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」を構成する国のひとつとしてイングランド、ウェールズ、北アイルランドとともにひとつの国家を形成しているが、1707年にスコットランド

    • 西洋中世研究において「封建制」の見直しは1990年代から活発化しています。最新の研究では「封建制」概念がどのように批判・修正され、理解されているのか。それがコンパクトにわかる概説書です。 https://amzn.to/4607Qzr

      • 君主の複数 plural of majesty とは何か

        はじめに - 君主の複数 plural of majesty とは何か今回は royal we ないしは plural of majesty という概念についてのお話です。とくに筆者が研究のフィールドとしている中世ヨーロッパ、ないしは中世のイングランドにおけるその成り立ちについてお話をしようと思います。 plural of majesty とは、日本語で「君主の複数」などと訳されるものです。主にヨーロッパの君主国で用いられる概念で、王に代表されるように高位にある人間は、公的

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        • ファーストコンタクトに代えて - 自己紹介 -

          はじめまして。この記事では、私 Yuki がどのような人間かを知っていただくために自己紹介をさせていただければと思います。 私 Yuki は「歴史家兼データサイエンティスト」として活動をしております。普段はIT系企業でデータサイエンティストとして働きながら、プライベートの時間で大学・大学院時代に行っていた歴史学 (中世ヨーロッパ史) の研究を継続しています。 歴史研究としては、これまで日本、海外両方で中世ヨーロッパの歴史に関する複数の論文を発表しています。主に一三世紀から

        中世スコットランドにはどれくらいの人々が暮らしていたのか?

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        • 中世ラテン語史料の読解
          5本
        • 人文学について
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        記事

          中世ラテン語文書の読解 - 証人欄、発給地、発給日 -

          はじめにこれまで三回にわたって、中世ラテン語で書かれた文書についてみてきました。 今回は文書の後半に登場する、証人欄、発給地、発給日について解説をします。題材として用いるのは前回の記事でも引用したイングランド王ヘンリ一世の名で発給された二通の文書です。ただし、いずれも証人欄、発給地、発給日の文章自体は簡潔なため、証人欄については少々深く解説を行いたいと思います。 今回対象とする文書今回対象とする文書は『アングロ=ノルマン王の事績録』第二巻にある、イングランド王ヘンリ一世

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          中世ラテン語文書の読解 - 証人欄、発給地、発給日 -

          歴史学の知見とビジネス・スキル

          世の中の「常識」や「当たり前」私たちは日常生活の中で、数多くの「常識」や「当たり前」とされていることに遭遇します。たとえば、夜勤やシフト勤務でなければ、朝起きて会社に行き、日中に仕事し定時後に帰宅するでしょう。多くの方、特に男性の方はスーツを着て仕事をしているかもしれません。また、最近はそうでもないかもしれませんが、投資は怖いもの、貯蓄こそ安全という通念もまだまだあるかもしれません。 しかし、このような「常識」や「当たり前」は不変ではありません。それらは時代とともに変わっ

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          中世ラテン語文書の読解 - 土地や権利の譲渡文 -

          はじめに前回、前々回の記事では、中世ラテン語で書かれた証書の挨拶文について解説しました。 今回はさらに一歩進んで、中世ラテン語で書かれた証書の読解をしていこうと思います。本記事では「証書に書かれた土地や権利の譲渡内容について読み解く」ことをテーマに解説を進めていきます。 中世の証書は時代を経るごとに様々な発展を遂げていき内容も複雑になっていきます。そのため、この記事ですべてのパターンを網羅することはできませんが、まずは12世紀初頭の比較的シンプルな形のものを例に挙げて解

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          中世ラテン語文書の読解 - 土地や権利の譲渡文 -

          中世ラテン語文書の読解 - 挨拶文の間接目的語 -

          はじめに本記事では、ラテン語で書かれた中世西ヨーロッパの証書 charters の読み方を解説します。今回も、前回に引き続き証書の最初に来る挨拶文 salutation について解説をしていきます。 前回の記事では挨拶文の基本的な構造についてお話をしました。今回は前回触れられなかった「間接目的語」の部分についてお話をしていきます。 前回、今回の両記事を合わせて、ラテン語の証書における挨拶文の基本的な読解を行うための知識を習得できます。 挨拶文今回も、前回用いた四つの文

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          中世ラテン語文書の読解 - 挨拶文の間接目的語 -

          中世ラテン語文書の読解 - 挨拶文の構造 -

          はじめに本記事では、ラテン語で書かれた中世西ヨーロッパの証書 charters の読み方を解説していきます。特に、今回は証書の最初に来る挨拶文 salutation について解説をしていきます。 挨拶文と言えども、最初から省略があったりするなど初学者が躓きやすいところなので、なるべくわかりやすく解説をしていこうと思います。 挨拶文ラテン語で書かれた中世西ヨーロッパの証書では、どのような出だしで書かれているのでしょうか。まずは、いくつか事例を提示してみることにしましょう。

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          中世ラテン語文書の読解 - 挨拶文の構造 -

          中世ラテン語史料の読解

          歴史研究と一次史料歴史の研究にあたっては、史料、とりわけ一次史料と呼ばれるものを論拠としながら議論を進める必要があります。 一次史料とは、現代の研究者による二次文献とは異なる、過去に書かれた書物や文書、発掘された遺物や絵画などのことです。『古事記』や『日本書紀』のような歴史書、『御成敗式目』のような法令集をイメージしてもらえるとわかりやすいでしょう。 現代の研究成果である二次文献の蓄積を踏まえながら、一次史料を論拠として示しながら過去の姿を再構築し、議論を進める。これが

          厄介な中世ヨーロッパの暦をサッと調べる方法

          中世ヨーロッパの歴史を研究する際、現代の (特に非キリスト教圏) の人々にとって厄介なのが当時使われていた暦でしょう。 今回はそんな厄介な暦についてと、それを調べる方法を紹介します。 一年の始まりまず、一年の始まりが現代のように1月1日ではありませんでした。私が研究する中世後期のイギリス (ブリテン諸島) では、3月25日の聖母マリアの受胎告知の祭日が一年の始まりとされていました。 そのため、当時の史料に1333年2月12日とある場合、それは現代の計算で1334年2月1

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          読むと面白い!『魏志』倭人伝

          『魏志』倭人伝とは『魏志』倭人伝とは中国正史の『魏志』巻30・東夷伝・倭人の条をさす。『魏志』とは晋の陳寿 (233-297年) の選んだ『三国志』のひとつにあたる。中国正史の倭・日本伝のうち、制作年代の最も古い書であり、古代の日本列島に住んでいた人々の様相を今に伝える貴重な史料である。 邪馬台国の所在を巡る論争でもしばしば取り上げられるため、もはや説明が要らないくらい有名な書だが、実際にこの『魏志』倭人伝を読んだことがある人は多くないかもしれない。 『魏志』倭人伝の面白

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          ベリック包囲とハリドン・ヒルの戦い

          本記事は百年戦争とスコットランド III-III:即位と一進一退と ―1332年の戦局―の続きです。 イングランドの軍事支援と領土割譲の約エドワード・ベイリオルの敗走は、戦争をさらに深刻化させる方向へと作用した。1333年の1月、敗走したベイリオルはヨークで議会を開いているエドワード三世のもとに向かった。彼の目的はエドワードから軍事援助を受けることであり、そこで再び臣従礼の打診が行われた。しかしながら、結局のところ議会はこの問題に結論を下すことを望まず、その決定は王と議会が

          ベリック包囲とハリドン・ヒルの戦い

          百年戦争とスコットランド III-III:即位と一進一退と ―1332年の戦局―

          本記事は百年戦争とスコットランド III-II:ダップリン・ムーアの戦いの続きです。 エドワード・ベイリオルの即位パース入市と包囲 ダップリン・ムーアの戦いの後、エドワード・ベイリオルはパースに入市し防備を固めた。 直後にマーチ伯の軍勢が町を包囲し、ジャン・クラブ率いるベリック市の船団がキングホーンに停泊するイングランド船を攻撃したものの、クラブの船団が敗北し、またユースタス・マクスウェル率いるギャロウェイ人の軍勢が「自らの主君」と仰ぐベイリオルを支援し後方から挟撃せん

          百年戦争とスコットランド III-III:即位と一進一退と ―1332年の戦局―

          百年戦争とスコットランド III-II:ダップリン・ムーアの戦い

          本記事は百年戦争とスコットランド III-I:廃嫡者たちの戦争の続きです。 廃嫡者たち、イングランドを発つベイリオルと廃嫡者たちが起こした戦争は電撃的なスピードで進展し、緒戦は彼らの驚くべき勝利で始まった。イングランド側の年代記を参照すると、おそらく1332年7月31日、エドワード・ベイリオルはキングストン・アポン・ハル(ヨークシャ―)を出港し(『モー年代記』)、8月6日にスコットランドのキングホーン(ファイフ地方南部の港町)に上陸した(『ラナーコスト年代記』など)。 エ

          百年戦争とスコットランド III-II:ダップリン・ムーアの戦い

          百年戦争とスコットランド III-I:廃嫡者たちの戦争

          本記事は百年戦争とスコットランド II-V:束の間の平和の続きです。 はじめに1328年に樹立された平和が長く続くことはなかった。エドワード三世はこの平和を屈辱的なものと見なし、1330年にクーデターを起こして実権を握った後はスコットランドに対して強硬策を取るようになる。また、1328年の平和は両王国に跨る土地保有の禁止を謳っているものの、戦争の根本原因――王位継承権を持った家系や各地方における有力家門の対立――は解決されないままくすぶっていた。 後者の問題が再燃し、平和

          百年戦争とスコットランド III-I:廃嫡者たちの戦争