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中世スコットランドの人口分布 ―居住地域―

はじめに

前回の記事では、中世スコットランドの人口が最盛期と考えられる1300年頃には100万人に達していた可能性があることを述べた。

では、次に問題になるのは中世スコットランドの人口が最盛期で100万人に達していたとして、彼ら彼女らがおもにどこに住んでいたのだろうかということである。この点に関しても、残念ながら中世においては定量的な人口統計が存在しない以上、確からしいことはほとんど分かっていないのが実情だ。

しかしながら、歴史家たちは中世においては現在よりも人口は南部に集中しておらず、また大部分が都市部ではなく農村部に住んでいただろうことはほぼ確実とみている。

現在の人口分布

まずは現在の人口分布を確認するために、あらためて2022年の国勢調査をみてみることにしよう。
スコットランドは31の行政区カウンシル・エリアに分かれている。2022年の国勢調査の時点で、その中で最も人口が多いのはグラスゴー市の620,700人だった。

次いでエディンバラ市が512,700人。この二大都市圏を合わせただけで人口は113万人ほど存在し、スコットランド全体の約1/5を占めていることになる。

さらに人口第三の都市である北東部のアバディーン市の224,000人、第四の同じく北東部に位置するダンディー市の148,100人を合わせれば約150万人、全体の約1/4がこれら四大都市圏に集中している。

その他人口が多い地域としては、フォース湾を挟んでエディンバラ市の対岸にあるファイフが370,400人、グラスゴー市に隣接するノース・ラナークシャが341,000人、サウス・ラナークシャが327,200人だ。

また、アバディーン市を取り巻く広大なアバディーンシャは263,900人。おもに、現在のスコットランドでは四大都市圏とその周辺に人口が集まっていることが分かる。

18世紀の工業化と都市化

このような都市部への人口集中は、18世紀後半以降にスコットランドで進んだ工業化と都市化の結果だ。

1750年時点では、まだ都市に住むスコットランド人は8人中1人にすぎなかった。

都市化の度合いを測る基準として、人口1万人以上の都市に住む人々の、全人口に占める割合という統計値が存在する。この値を見ると、1700年には西ヨーロッパ諸国の中でのスコットランドの都市化の順位はまだ10位だった。

それが1750年までに7位に上昇し、1800年にはイングランド、オランダ、ベルギー、北イタリアと並んで西ヨーロッパでもっとも都市化の進んだ五大地域の一角を占めるようになる。この都市化の進展は18世紀末のヨーロッパでも群を抜いていた。

さらにその後も都市化は進展し、1850年にスコットランドは2位に躍り出るようになった。ちなみに、当時西ヨーロッパで最も都市化が進んでいたのは隣国のイングランドである。

都市化以前の人口分布 ―都市と農村―

そのような工業化と都市化が進展する以前の時代において、人々の大部分は都市ではなく地方の農村で暮らしていた。

中世スコットランドの都市は同時代のイングランドや大陸と比べても小さく、中世の全期間を通じてスコットランドのほとんどの都市は人口が1,000人に満たなかったと考えられている。

スコットランドの都市における最古の徴税記録は1408年にアバディーン市で実施されたものが現存しているが、そこに登場する納税者が350人であることを踏まえて、都市史家のエリザベス・ユーワン氏は同市の人口が3,000人程度であったと推定している。

アバディーンは中世において北海交易を通じて繁栄した都市であり、その繁栄ぶりは1330年代には対外交易からの関税収入の20%が同市によって賄われるほどだった。

そのアバディーンであっても人口が3,000人程度にすぎないのである。また、スコットランドの中でもとびぬけて人口が多かったエディンバラ市でも、その人口規模は16世紀中葉の記録から12,000人と推定されている。

これらを踏まえると、都市といっても今日のわれわれが想像するような大都会が中世スコットランドにあったわけではなく、あくまで比較的人口が集中した地域が各地に点在していたと考えるのが良いだろう。

そして、総人口が約100万人なのに対し、最大都市の人口が約10,000人程度だったことを鑑みるならば、中世スコットランドの90%以上の人々は農村に住んでいたとする歴史家たちの解釈は妥当と言える。

都市化以前の人口分布 ―北部と南部―

都市人口と農村人口の関係の次に着目すべき点が、地域間の人口の分布だ。

スコットランドの地域を区分する方法はいくつか存在するが、中世においてはスコットランド東部のフォース湾と西部のクライド湾を結ぶ線を境に、その北をフォース湾以北、南をフォース湾以南とする区分が存在した。前者のフォース湾以北はスコティア、後者の以南はロウジアンとも呼ばれた。例えば、中世スコットランドで最高位の司法官職であった地方統監ジャスティシアはこのフォース湾以北、以南でそれぞれ1名ずつ置かれるのが通例であった。

2022年の国勢調査では、フォース湾以北の人口が2,060,300人、フォース湾以南の人口が3,376,300人となっており、人口の約2/3がフォース湾以南の地域に居住している。これは、二大都市であるグラスゴーとエディンバラがともにフォース湾以南に含まれていることからもうかがえる。

一方、中世においてフォース湾以北、以南の人口がどれくらいだったかを明らかにするのは難しいが、例えば間接的な記録として1366年に課税のために実施された地価の評価記録をみると、フォース湾以北の土地価格は以南のそれとほぼ同じであることが分かる。

各地の地味の違いや農耕・牧畜に適した面積の差異などを踏まえると地価の高低は必ずしも人口の多寡と一致するものではないが、この地価の評価記録からは、当時の人口は今日ほどにはフォース湾以南に人口が集中していたわけではなさそうだという推測もできるだろう。

筆者が運用しているブログでは、当記事の執筆にあたって参照した史料や書籍・論文の引用を脚注に載せています。原典を当たりたい方はそちらを参照ください。https://yuranhiko.hatenablog.com/entry/scotland_population_2_20240413

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