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歴史学の知見とビジネス・スキル


世の中の「常識」や「当たり前」

私たちは日常生活の中で、数多くの「常識」や「当たり前」とされていることに遭遇します。たとえば、夜勤やシフト勤務でなければ、朝起きて会社に行き、日中に仕事し定時後に帰宅するでしょう。多くの方、特に男性の方はスーツを着て仕事をしているかもしれません。また、最近はそうでもないかもしれませんが、投資は怖いもの、貯蓄こそ安全という通念もまだまだあるかもしれません。

しかし、このような「常識」や「当たり前」は不変ではありません。それらは時代とともに変わっていくものなのです。少し難しい表現を使えば、こういった「常識」や「当たり前」は歴史的な経緯の中で生まれ、「いま」という時代のコンテキストの中で成立しているものに他なりません。ものによってどれくらいの期間成立しているかはさまざまではあるものの、それは、いわば「一過性のもの」に過ぎないのです。

少し遠い昔の話をしましょう。たとえば、コペルニクスとガリレオ・ガリレイ以前のヨーロッパでは、太陽が地球の周りを回ることは「当たり前」のことでした。それどころか、それに異を唱える人物はキリストの教えに従わない危険な人物とさえみなされていました。また、十九世紀後半にパストゥールやコッホらによって細菌が病気の原因であることが明らかにされるまで、ヨーロッパでは「瘴気」というある種の悪い空気が病気を引き起こすと広く信じられていました。

私たち日本人により身近な例でいえば、高校や大学を出て、定年まで一つの企業に勤め続けるという昭和時代には「当たり前」とされた働き方は、今では否定的に捉えられるようにもなりました。かつては常識とされた「男は仕事、女は家事」といった価値観も、激しい批判にさらされています。つい数年前に、成人は20歳ではなく18歳になりました。

このように、私たちが「当たり前」と思っている、ないしは思っていたことの多くは実は「当たり前」ではなかったという例は枚挙にいとまがありません。これらの「当たり前」は、その時代を反映している様々な特徴のうちのひとつでしかなく、決して未来永劫不変なものではないのです。

現代の相対化と歴史学という学問

ただし、上記のような「当たり前」は私たちの思考や価値観の根底をなしています。意識をしなければ、実はそれが当たり前ではないと気づくのは容易ではないでしょう。しかし、そういった「当たり前」が当たり前ではないこと、「いま」という時代のコンテキストの中で成立しているものに過ぎないことを教えてくれるものがあります。それが、学問としての歴史学です。

歴史といえば学生時代の暗記に嫌な思い出がある人も少なくないかもしれませんが、歴史学を学問するということは、決してそのような暗記作業ではありません。歴史学という学問は、現代とは異なる思想や価値観に基づいて過去を生きた人々の活動やその時々の人間集団のあり方を探究するものです。

たとえば、日本という国はいつ成立したのか。資本主義社会というものはいつ成立し、どういう経緯をたどって今日に至るのか。古代ギリシアやローマの人々は何を美徳や価値と考えていたのか。いつどのような経緯で「日本人は無宗教」とみなされるようになったのか。そもそも本当に日本人は無宗教なのだろうか。こういったものはすべて歴史学の探究の対象となり得ます。その探究を通じて、私たちとは違った思想や価値観、言い換えるならば「異文化」の存在を歴史学は教えてくれます。

こういったものごとを学ぶことで何が得られるのでしょうか。まずひとつめに、その「異文化」理解を通じて、いまを生きる私たちの考えが絶対ではないことを歴史学は気づかせてくれます。それは言い換えると、いまを生きる私たちの考えや価値観、さらには通念や文化といったものが、ある時代や地域において成立する歴史的な事象であるということです。

私たちが「当たり前」と思っていたことが実はそうではない。それを知ることは、いまを生きる我々が現代という時代の制約からある程度自由に物事を捉え、考える力を養う糧となります。これは言い換えると、今という時代の政治、社会、経済、文化など様々なことがらを歴史的なコンテキストに位置付けて理解し、今という時代を相対化して未来を見定める力とでも言えるでしょう。

このように書くとあたかも「高尚」で、自分には関係のないことがらだと思われるかもしれません。しかしながら、このような思考は皆さんが日常生活において当たり前のように行っていることです。そしてそれは、普段の仕事においても当てはまります。

仕事における「当たり前」の相対化

仕事において、この記事を読んでいる皆さんも、既存のオペレーションを見直して改善したり、新しい試みを導入してビジネスや組織の変革を図るような働きを求められたり、実践したことがあるかと思います。

また、商品企画やマーケティングの担当をされている方であれば、新しい商品やサービスを開発したり、これまでリーチできていなかった消費者にアプローチするためにマーケティングやプロモーションの方法を変えてみる、といった経験がある方もいるかと思います。

そういったビジネスの改善や変革を進めていくにあたって、最初に考えるフェーズというのがあるかと思います。ビジネス・プロセスの変更においては何が現行プロセスの課題なのかを見定め、どのような状態をゴールとするかを決める必要があります。新商品やマーケティングにおいては消費者や顧客がどういう人たちで、何を求めているかについて調査をしたり、創造力を働かせる必要があるでしょう。

オペレーションやビジネス・プロセスの改善においては、「昔からそうだから」とか、「そういう習わしだから」とか、「これが業界のスタンダードだから」という理由で物事を決めてしまうのは、ある種の思考停止とも言えます。そうではなく、何が理想状態なのか、その理想状態と照らし合わせて、現行のやり方がベストなのか、よりベターな方法がないかを考えることが求められるでしょう。

新商品の開発やマーケティングにおいては、通俗化しているステレオタイプな消費者概念にとらわれることなく、現実を正しく把握し、消費者の潜在的なニーズを想像して体験価値を設計することが求められます。例えば、日本人はスマホゲームのガチャが好きだが、アメリカ人はガチャが嫌いとか、富裕層とはブランド服や高級車で身を固めるような人々だとか、消費者はとにかく洗浄力の強い洗濯機を求めているんだとか、そういったある種のステレオタイプを疑わなければならない場面が多く存在します。

このような場合に、歴史的・伝統的に「当たり前」とみなされていることをそのまま無批判に受け入れてしまっていては、ある種の思考停止に陥ってしまいます。そうではなく、そういった「当たり前」が特定の歴史的なコンテキストで成立したものであることを理解し、それを疑い、常に現実に即した認知のアップデートを図っていく必要があるのです。

歴史学の素養は日々の仕事にも活きる

読者の中には、仮に歴史学の素養がビジネスに生きることを知っていただいたとしても、ビジネス英語やプログラミング、ロジカル・シンキングといったある種の技術的なスキルと比べて明確に緊急度が落ちると思われる方も少なくないかもしれません。確かに、上記のような技術的なスキルはできないと死活問題になる場合も多く、どうしても学びの優先度が挙がってしまうかもしれません。

しかしながら、ある程度目先の技術的なスキルが板についてきたら、ぜひ歴史学にも学びの手を広げてもらえたらと思います。

たとえば、ビジネスの現場や特に採用の場面では「地頭の良さ・悪さ」といった漠然とした概念が使われることが少なくないかと思います。では、果たして「地頭の良さ」とはいったい何なのでしょうか。ここでは地頭の良さについて深入りすることは避けますが、歴史学を学んだことで得られる批判的な知は、俗に地頭と呼ばれる能力を構成する一要素、ないしは中でも特に重要な要素ではないでしょうか。

歴史学、さらに範囲を広げるならば人文学一般に関する学びや知見は、決して無用の長物や「高尚な」趣味などではありません。歴史学や人文学を学ぶことでどういうメリットがあるのか――そのような悩みや疑問を抱えている人に私はこう伝えたいと思います。

歴史学の知見は、常に歴史的なコンテキストの中で成立している「いま」を見つめ直し未来を切り開くための、極めて実践的で重要なスキルです。それは必ずしも目に見えやすいものではないかもしれませんが、日々のあなたの生活や仕事のパフォーマンスに深く影響しているものなのです。

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