君主の複数 plural of majesty とは何か
はじめに - 君主の複数 plural of majesty とは何か
今回は royal we ないしは plural of majesty という概念についてのお話です。とくに筆者が研究のフィールドとしている中世ヨーロッパ、ないしは中世のイングランドにおけるその成り立ちについてお話をしようと思います。
plural of majesty とは、日本語で「君主の複数」などと訳されるものです。主にヨーロッパの君主国で用いられる概念で、王に代表されるように高位にある人間は、公的な文書において自身を指す際に一人称・単数を用いるのではなく、一人称・複数を用いるといった慣行を指します。そのため、イングランドの王は公的な文書において自分を指す時に単数形である I を用いず、代わりに複数形の we を用います。
英語史の概要書では、これはもともとローマ帝国の寡頭政時代にさかのぼり、複数のリーダーが決めたことを一人のリーダーが発する時に一人称・複数形を用いたことから発達したと言われています。それから、君主はひとりである時でも複数形を使い、臣下の側は君主に対して複数形で呼びかけることが習慣になったと言われています。
英語やヨーロッパの他の言語で二人称・単数の「あなた」の使われ方を想像すると少し理解がしやすくなるかもしれません。例えば、現在の英語で二人称は単数、複数ともに you です。しかし、これは古くは単数形が thou、複数形が you (正確には ye) の二つに分かれていたものが、近代になって you に一本化された結果と考えられています。さらに、この背景には前述した plural of majesty があったと考えられています。
また、フランス語にも似たような慣習があります。フランス語で二人称・複数の「あたたたち」を意味する単語に vous がありますが、これは二人称・単数でも用いることができます。ただし、その場合、二人称・単数で「あなた」を意味する tu よりも敬意を表した丁寧な言い方になります。この敬意を表したというところに plural of majesty との共通点を見てとることができるでしょう。
イングランド王の plural of majesty - 実例 -
先ほど、この plural of majesty の慣行はローマ帝国の寡頭政時代にさかのぼると述べました。
しかしながら、この表現は多少誤解を招く可能性があるかもしれません。起源をローマ時代に遡ることができたとしても、この慣行がその時代以降、ずっとヨーロッパのあらゆる君主国で用いられてきたわけではないからです。言い換えれば、各地域の君主がいつ頃この plural of majesty を採用したかは地域によってバラつきがあり、その背景には各時代の様々な事情や歴史的背景が存在します。
たとえば、中世イングランドに関する以下の二つの文書の冒頭を見てみましょう。前者がノルマン・コンクェストで有名な一一世紀後半の王ウィリアム一世、後者が獅子心王として有名な一二世紀末のリチャード一世です。
強調した箇所がラテン語で一人称の単数形、ないしは複数形をあらわす単語です。me は一人称・単数の「わたし」を意味する ego の対格、nos は一人称・複数の「わたしたち」を意味する nos の対格です。ウィリアム一世は自分のことを me と単数形で表現しているのに対し、リチャード一世は nos と複数形で表現していることが分かります。リチャード一世の文書に見られるものが plural of majesty です。
イングランド王の plural of majesty - 歴史 -
では、こうした plural of majesty がイングランド史において用いられるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
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