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NEWJI PR|NEWJI INC.

NEWJI INC.
Founder・代表取締役CEO生田がNEWJIを紹介します。

1999年の大晦日、ミレニアムであるその瞬間を大阪城で迎えました。

当時の私は高校2年生で17歳。
3日後に控えた、大阪国体選抜チームの上海遠征に向けて、
チームメイトと大阪城で開催されたカウントダウンイベントに参加していました。

私は、大学を卒業するまでの16年間、
サッカーのためだけに人生を費やしてきたと言っても過言ではありません。

小学校1年生から本格的に始めたサッカーですが、
来る日も来る日もボールを蹴り続け、
自分の目指すところはプロサッカー選手になること以外はないと、
心に決めていたのです。

小学生・中学生・高校生と順調にサッカーで好成績を残し、
個人としては年代別の日本代表候補に選出、
チームとしても全国大会で2回優勝を果たすなど、
プロサッカー選手を目指すには申し分のない結果を残していたと思っていました。

しかし、高校を卒業する段階では、
プロサッカークラブに進むことができず、
大学へ進学してサッカーを続ける他なく、
4年後の卒業時点でもう一度プロサッカー選手を目指すことになりました。

当時の私にはそれ以外の選択肢がありませんでした。

一番仲のよかったチームメイトたちが、
高校卒業と同時にプロサッカー選手への道を歩む一方、
自分はといえば、描いていた理想の自分になれなかったことで、
その時の感情は全てが終わったと感じていたかもしれません。

当時はまだ、
今ほど豊富な選択肢があるような時代ではなかったように思います。

親友はプロサッカー選手となり、
別々の道を歩むことになりましたが、
今でも親友関係は続いています。

そして、私たちが18歳の頃、
いつか自分たちでサッカークラブを作りたい。
そんな夢物語をいつも何時間でも語り合っていました。

願書を期限切れで提出したにも関わらず、
スポーツ推薦枠という形で大学に進学した私は、
プロサッカー選手を再度目指すための4年間であることを、
心に強く決意して入学したことを覚えています。

しかし、これまで自分が歩んできたサッカー人生の中で感じることがあまりなかったような感情もありました。
自分の実力はプロサッカー選手になれたとしても通用しないかもしれない。
そのような不安も同時に抱くようになりました。

それだけでなく、
周りの選手が頭角を現すたびに、
成長できていない自分に腹立たしさも覚えていたように思います。
今思えば、怠慢でしかありませんでしたが、
当時の自分はそんなことにも気づけないほど小さな人間でした。

大学を卒業する時点で、私自身には様々な選択肢がありました。
高校生を卒業する時とは違う選択肢です。

プロサッカー選手になる、
働きながらサッカーを続ける、
海外でサッカーを続ける、
どれも好きなサッカーを続けることができるという本望で、
魅力的ではありましたが、
私はサッカーをやめることを選択しました。

自分がなりたい理想の姿になれるチャンスを4年越しに掴み、
チャンスを目の前にして、
決意したのです。

諦めなければ無限の可能性、潔くやめれば無数の可能性

今でもこの言葉を、
自分の人生の分岐点に立つたびに思い出します。

大阪で偶然出会った路上アーティストが私にくれた言葉です。

私は「潔くやめれば無数の可能性」を信じ、
これまで縁もゆかりもなく、
ミレニアムイベント後に、一度だけサッカーで訪れたことがある都市、
中国上海へわたることを選択しました。

おそらく社会人としては非常に珍しく、
1年目にして海外赴任という形で1年半の期間を現地で過ごしました。
東大阪にある中小零細企業に勤めることになり、
海外輸入品の検査や工程確認を現地で行うことが主な仕事となりました。
ここから私は製造業界に足を踏み入れたことになります。

現在のNEWJIという名称は、
2005年に上海の地で生まれました。

プロサッカー選手となった親友と私の名前を掛け合わせ、
いつか一緒にサッカークラブとして活動ができればという思いで、
NEWJIというコミュニティを一緒に立ち上げたのです。

当時はまだ、
Facebookやオンラインサロンなどは日本で広がりを見せることはなく、
私たちはコミュニティの活動場所として、
ヤフーのメーリングリストから始めることにしました。

グループ内の誰かが投稿した内容が、
登録してくれているみんなに届くという単純な仕組みです。

上海から呼び掛けた多数の友人がNEWJIに参加してくれていましたが、
主にサッカーの話や、中国生活で起きた話を様々な形で私が投稿し続け、
たまにグループのメンバーも投稿し、
近況を共有し合うといったコミュニティでした。

同時期にアメリカではすでにFacebookが加速度的な広がりを見せており、
私も上海で友人となったアメリカ人から招待され、
Facebookに登録することになります。

日本では、ほぼ同時期にmixiがSNSの台頭として名をあげることになり、
その流れで私たちNEWJIの活動の場も、
2005年8月16日にメーリングリストからmixiへ移行することになりました。

mixiは個人的な日常を発信することが多く、
NEWJIを広げるという場としてはあまり適しておらず、
一旦、NEWJIの活動を停止することになりました。

再度NEWJIが活動するまで、実に7年の時が経ち、
ブラジルW杯の真っ只中である2014年6月24日に、
サッカーメディアとして、再度立ち上げることにしました。

メディアと言っても、個人サッカーブログの延長ではありましたが、
主にSEOを最適化して、閲覧者を少しづつ増やし、
ピーク時は月に10,000UUを獲得するサッカーブログとして、
少しだけNEWJIとしての活動ができていると実感していました。

ただ、2018年のロシアW杯まで続ける予定ではいましたが、
その時勤めていた会社の本業にも忙殺され、
少しづつ更新頻度も落ち、
2018年1月25日に再び休止することにしました。

しかし、それでもまだNEWJIという名前を使って、
いつか世界一のサッカークラブを創りたいと夢見ていました。

2019年9月9日にすでにプロサッカー選手を引退した親友に、
NEWJIを株式会社として本格稼働させたいことを伝え、
自分なりに着々と準備を進めていきました。

そして、2020年4月1日、
ついに念願のNEWJI株式会社を設立しました。

サッカーへの想いも消えることなく夢を持ち続けていましたが、
何より社会人生活で長かった製造業界の課題を、
ずっと解決したいという想いも非常に強くなっていました。

自分の得意分野であるマーケティングとITを活用し、
製造業の課題をデジタルに最適化することをビジネスの柱にすることにしました。

もちろん、
最終的には世界一のサッカークラブを目指す会社として、
定款にもその想いを記載し設立しました。

口では簡単に言ってしまうことは誰でもできますが、
自分なりに世界一を本気で目指すためには、
何が必要かを考え、
IT×製造業の領域で勝負をすることを選択し、
NEWJIブランドのサービスを開発することを決意しました。

今はまだ始まったばかりですが、
少しでも製造業の課題を解決するような取り組みを進めています。

すでに多くのお客様にリリースしたサービスをご利用頂いていることは、
とても嬉しいことです。

お客様からの「ありがとう」が今は原動力となり、
かつてないスピードと力を入れて踏ん張っている段階です。

NEWJIのサービスをご利用いただくこと。

つまり、NEWJIがありったけの付加価値を提供し、
お客様にとって、なくてはならないサービスを目指しています。

そのためにも妥協は一切せず、
仮に最高のサービスと思っていただけるようになったとしても、
まだまだ「期待のその先」を提供し続けるような会社であり続けること、
今目の前にあることに全力で取り組んでいます。

今後も、NEWJIとしてグローバルで先進的なサービスを提供し続け、
NEWJIブランドを製造業界に定着させ、
いつか、世界一のサッカークラブを目指すという、
ハイブリッドカンパニーであり続けたいと思います。


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