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【私小説】読書の話 その2─平家物語と死生観─

 中学時代の私は、実益のあることは何もしてこなかった。

 学校の勉強や部活を頑張ったり、行事の実行委員や委員会を積極的に立候補したり。学校の先生の目に適うような有益な努力は、自発的にしたことがない。仮にやっていたとしても、周囲から押し付けられたものばかり。

 反対に、周りから見れば無益なことばかりしていた。

 死後の世界について考察したり、好きな作品で気になったことを調べてみたり。

 こんな感じだったから、誰かに褒められたことはほとんどない。むしろ、周りの大人の逆鱗に触れては、

「こんなしょうもないことに頭を使うくらいなら勉強しろ」

 といつも怒鳴れていた。

 好奇心と単なる暇つぶしで私は調べているのだから、人からどう思われようが関係ないのだけど。ただ、否定するときに怒鳴りつけるのは辞めてもらいたい。


 たまに古典を読んでいた。読んでいたのは、『今昔物語集』や『南総里見八犬伝』。この二つだろうか。もちろん古語や文法がわからないから、読んでいたのは現代語訳なのだが。

 その中でも、『平家物語』は特に好きだった。

 栄耀栄華を極めた平家。だが、清盛の悪行のせいで周囲からのヘイトを一身に集め、それが原因で宗盛の代で滅びてしまう。これが『平家物語』の大まかなあらすじ。

 ちなみに『平家物語』を読もうと思った理由は、大河の『平清盛』を見て、平安末期に少し興味が湧いたから。ただそれだけ。

 読んでみた感想としては、

「悲哀を感じた」

 ということだろうか。

 清盛に虐げられた人たちの悲しみ、息子重盛の葛藤、源頼朝や木曽義仲、源義経の戦い。中身は平家の没落劇だけでなく、平家に関わる様々な人たちのドラマが描かれている。

 特に悲哀を感じた話は、俊寛の話だった。

 鹿ケ谷の陰謀に加わった罪で、俊寛は平康頼と藤原成経と共に鬼界ヶ島へ流罪になった。徳子の難産の原因が、平家に虐げられた人たちの生霊にあるということで、平康頼と藤原成経は恩赦になり、都へ帰還できた。だが、同じ被害者の俊寛は恩赦にはならなかった。そして俊寛は海へと入り、かつての仲間を乗せた、島を離れる船を泣きながら追いかけた。

 ある日俊寛の従者であった有王が、鬼界ヶ島へやってきた。有王と再会した俊寛はあれこれを語り合う。そして有王と別れたあと、庵で飲まず食わぬの念仏三昧の生活をして、37歳という若さで亡くなった。

 俊寛の話を初めて読んだとき、ものすごく悲しい気持ちになった。

 同じ罪を背負っているのに、自分だけが許されない。本土に残した家族がいる。島に人はいるけど言葉が通じない。その中で俊寛は生き、死んでいったのだ。俊寛の悲しみや孤独、そして有王と再会したときの喜びは、かなりのものであったであろう。同じ悲しみを背負ってからは、さらに共感できるようになった気がする。

 俊寛のエピソードのインパクトがあまりに強すぎたので、交換日記に、

「『平家物語』を今読んでるのですが、俊寛のエピソードが切なすぎて胸にきました」

 と書いた。

「遠い南の島でひとりぼっちって、辛いよね。最初のうちはのどかに感じても、あとでいろいろ思い出して泣いちゃうかも。それと佐竹くん、読書をするのはいいけど、授業の方もしっかり聞こう」

 と返された。

 帰りのホームルームが始まる前に交換日誌が返され、それを見たときに、

「やっぱりそう来たか」

 ため息が出た。予想通りこう来るだろうなと思ったからだ。普段から授業を聞いていない分際で、こんな高尚なものを読んでいるから、何かしら言われないわけがない。

 それと同時に、少しうれしい気分になれた。めったに私のことを褒めてくれない先生が、褒めてくれたから。

 くだらない私のコメントに、長文のそれも情感たっぷりな返答をしている。このことから、私と専門的な話ができたのが、よほどうれしかったのだろう。


 壇ノ浦のくだりも好きだった。特に平知盛の入水の辺りが。

 最初は平家が優勢だったが、潮の流れが変わって形成が逆転。もうダメだと悟った平家の武者や女性たちは、海へと飛び込んでいった。

 亡き清盛の妻時子は、八尺瓊勾玉と草薙剣(いずれも三種の神器の一つ)、そして安徳天皇を抱いて、

「波の下にも都はありますよ」

 といって海の底へ飛び込んでいく。

 全てを見届けた平知盛は、

「見るべきほどのことは見た。あとは自害しよう」

 と言って、鎧を重ね着し、その上に錨を巻き付けて壇ノ浦へと沈んでいった。

 ちなみに棟梁であった兄の宗盛は、泳ぎが上手くて親子で源氏に生け捕りにされたそうだ。同じ両親を持っているのにも関わらず、対比的に描かれているのが興味深い。


 平家滅亡で思い出したが、私も死ぬときは海に飛び込んで死にたいと思っていた。

 やるだけのことをやったあとに、

「いざ、うれ、さらばおのれら、死出の山の供せよ」

 とか、

「見るべきほどのことは見つ。今は自害せむ」

 と言い残して海に飛び込み、死出の旅路に出られたら、どれだけかっこいいだろうか。

 または、自分が大事にしている宝物を胸に抱いて波の下の都へと旅立つのも悪くない。

 暇さえあれば、そんな暗い妄想を私はいつもしていた。特に進路関係の話が出ていたときは。

 私には高校へ行けるほどの学力がない。だから、高校の話が出ると、いつも厳しいことを言われたり、母親にヒステリックを起こされたりしていた。だからといって、何もしないわけにはいかない。それゆえに、これからのことを考えるときはいつも、死という選択肢を心の懐に忍ばせていた。死後の世界について考え、調べてからはその傾向が強くなった気がする。

 夏のある日の帰り道。将来のことをいつも考えるとき、死という選択肢も考えていたことを、三浦くんに話したことがあった。

 大きく口を開いて三浦くんは笑って言う。

「アホ。高校入れないからといって死ぬバカがあるか。お前みたいな救いようのないアホにだって、入れる場所はあるものさ。心配するな」

「けど、やるだけやった上でだよ」

「なるほど。そういうの、嫌いじゃない。命を賭けて戦う展開。見た目に反して、お前も男だな。知盛にでも影響されたか?」

 右手でグッドサインをしながら、三浦くんは言った。お前に言われたくはない。

「本当に褒めてるの?」

「褒めてんだよ」

「そういう口調に聞こえないけど」

「悪かったねぇ」

 皮肉っぽく、三浦くんは返した。

「あ、そうだ」

 何か忘れていたかのように私は、

「一時の幸せのために頑張るって、むなしくない? たとえば高校に受かったとしても、その後が幸せかどうかはわからないじゃん」

 と言った。

 いい高校に入りたいから勉強する。スポーツや文化的活動でプロになりたいから部活を頑張る。楽しい学校生活を送りたいからたくさん友達を作る。目立ちたいから体育祭や文化祭の実行委員になる。モテたいから髪型に気を遣う。彼女を作る。

 そんな思春期の少年少女たちが誰もがする努力が、私はとても浅ましく感じられた。

 面倒くさいというのも、もちろんある。だが、それ以上に、意味があるのか? という感情の方が大きかった。

 テストの点数でマウントを取る。人脈の多さを見せびらかす。内申点を上げたいから、先生に媚びるため実行委員を買って出る。モテたいあまり髪型を似合わないものに変える。自分の欲望と猥談の話題作りに彼女を作る。

 努力と言えば聞こえはいい。だが、背景にある薄汚い煩悩が見え見えの時点で、イタいなという気持ちになってくる。いくら誰にも敵わないものを持っていてもそうでなくても、いずれは醜く朽ちてゆく。そして、手に入れた一時の快楽や栄華は、永遠に続くということがない。なのに、儚い幸せのためだけにひたすら頑張る。そう考えると、むなしくなってくる。

 ちなみに、これらの努力を他人がやる分には否定はしない。

「そうか」

 そうつぶやいて三浦くんは少しの間考えたあと、

「確かに君の言うとおりだ。いくら強大な敵を倒した英雄だって、環境が変われば無用の長物でしかない。それに栄華を極めたとしても、ずっと続かないからね。朝読書のとき『平家物語』を読んでいた君も、わかるはずだ」

 と答えた。

「君もそう思っていたのか」

 三浦くんの言ったことについて、私はうなずて、

「結局、身に合わない幸せは、人を滅ぼすということかな?」

 と聞いた。

「そういうことだ」

「なるほど……」

 よく考えてみると、いくら頑張っても、次のステージが自分本来の実力と合わなければ意味がない。勝ち取った環境が合わなかったり、分不相応だったりしたがゆえに、滅びの道を歩むことだってある。木曾義仲や源義経のように。

 また、平家のように、栄華の代償を払わなければいけないことだってある。大きな幸せには必ず何かしらの代償が伴うからだ。その代償は、他人の幸せや自分が大切にしているものかもしれない。

 これが、『平家物語』を読んでいて、無常観と同じくらいに感じたこと。自分の一時の快楽や栄華のために頑張っても、むなしいだけ。

 私はこの世における栄耀栄華を望まない。その代わり、小さな幸せを縫い合わせて生きたい。縫い合わせた小さな幸せが、長く続くものになれば、なおいい。私の願いは、単なるわがままな願い事なのかもしれないが。

 もちろん叶わなかったときの保険に、死という選択肢も心の懐に忍ばせておく。人生何があるかわからないから。それに、人間にとって「生きること」だけが幸せではないのだから。

 私のものの考え方、特に死生観において、『平家物語』は強い影響を与えている。


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