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【私小説】写真と桜

 よく写真を撮っている。下手くそな風景写真をメインに。

 寺社仏閣や城といった建造物、史跡、海や町の風景、動物、草花。風景写真の内訳はこんな感じだろうか。

 動物の写真は、猫や野鳥が多い。育ったところも今いる場所も、狐や猿、熊のような野獣が住む場所ではなかった。なので、見かけることは、まずなかった。あったとしても、動物園で飼われたものぐらいだろうか。

 スマホを持ち始めてから、毎年春に桜の写真を撮ることにしている。理由は単純に、きれいだから。

 しかし、毎年桜の写真を撮っていると、

「たまには違う構図や趣向の組み合わせの桜の写真が撮りたい」

 と思うようになってくるのだ。それが去年と同じロケーションであっても。趣向に関しては、言うまでもない。上野公園の桜一つを例にとっても、撮る場所を清水観音堂付近と不忍池どちらにするのかで大きく違ってくる。

 その背景にあるものが何なので、主役である桜の感じ方も大きく変わってくるのだ。これに関しては写真だけでなく、短歌や小説、映像にも言える話なのだが。


 天気が良かった春休みの終わり。通学に使っている自転車を引っ張って、外へ出た。近所をサイクリングしたくなったのと、桜が咲いたらしいので見たくなったからだ。

 柔らかな陽ざしは、田起こしされたばかりの田んぼとその脇にある住宅街を照らしている。その境目にある道を、私は全速力で駆け抜けた。

 春の陽ざしは気持ちがいい。夏のように殺人的でもないからだ。おまけに温かいから、冬のように物悲しい気持ちになることはない。

 農道へ出た。誰も通っていない道のど真ん中で、スピッツの『春の歌』と『チェリー』を口ずさみながら走る。


 運動公園の前へ通りかかった。

 駐輪場に自転車を止め、さっそく桜木のある方向へ向かう。

 整理されたコートの前では、帽子を被り、ジャージを着た人たちが走っている。また、遊具のある遊び場では、同じく春休み中の小学生が楽しく遊んでいた。

 私は桜木のある場所へ向かった。

 桜木のある場所は、遊具のある遊び場と近くを流れる用水路の間だ。


※画像はイメージです

 桜の木には、遠巻きに見ても咲いているとわかるくらい花が咲き誇っていた。

「お、桜が咲いてる」

 花が咲いていることに思わず感動してしまった私は、ポケットからスマホを取り出した。カメラを起動し、いろんな角度から撮影した。

 やっぱり、桜はいい。

 カキツバタやアジサイ、蓮の花、彼岸花、薄(すすき)、紅葉(もみじ)……。季節を感じる草や木、花が日本にはたくさんある。もちろん、これらは私も好きだ。だが、その中でも桜は別格に感じる。

「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現す」

 咲き誇っては散ってゆく。そんな様子が、『平家物語』の前文や壇ノ浦の平家滅亡の件にあるような無常感を感じさせるからだろうか。それゆえに咲いたときは盛り上がり、散った後は少し気分が落ち込む。まさに栄枯盛衰そのものだ。

 散ったときに沈む気持ち大きい分、満開のときに感じる高揚感も大きいので、

願わくば桜の下にて春死なむ
その如月の望月のころ

 と詠んだ西行の気持ちもよくわかる。

 ちなみに意味合いとしては、桜が満開になる2月15日ぐらいに死にたい、というもの。満開の桜木の下で死ねるなんて、なんて贅沢なんだ。

(ああ、私も桜の咲き誇る時期に死にたいな)

 そんなことを考えながら、私は最後の一枚を撮影した。


 ベンチに座って、先ほど撮った写真を見返してみた。

 題材が桜ということもあり、どれもきれいに感じた。だが、

「なんか、どれもよくある桜の写真でつまんないんだよな」

 と感じた。同時に、

「もっと、こう、きれいな写真を撮りたい」

 と思った。ただ咲いているだけの桜じゃない。例えば、池のそばや神社の境内一面に咲き誇っている。そんな感じの写真が撮りたいのだ。けれども、私の住んでいる街には、大きな池がある公園や桜木を植えている寺社仏閣が近くにない。なので、まず撮ろうと思っても撮れない。

「まあ、いいか」

 ため息を一つついた私は、気に入った写真数枚を残し、それ以外は全て消した。


 町のほうへ出た。ここら辺に行けば、もっと面白い桜の写真が撮れるのではないかと思ったからだ。

 昭和の名残を残した街並みの中を走った。思い出すのは、多田くんと地図を作ったこと。もう3年も前と考えると、時の流れの速さを感じる。

 土手へと上がった。川はあのときと変わらず、ゆったりと流れている。

 ここで私は、家から持ち出したお菓子を食べながら、春風の吹く土手で1人、黄昏ていた。

 結局、町中には桜のきれいな場所は見つからなかった。小学校や公園前も通った。きれいだけど、どれもありきたりな感じで、撮ろうとは思えなかった。


 帰り道。廃墟となっていた保育園の前を通った。

 昔はよく、ここの前を通っていた。この廃墟の前を通ると、みっくんが、

「お化け屋敷!」

 なんて言っていたことがあった。当時はただ迷惑でしかなかったけれど、今となってはいい思い出。可笑しくてうれしくて、微笑みがつい出てしまう。

 思い出に浸りながら、私は廃墟を眺めていた。

「そういえば『廃墟と桜』って、あまり聞かない組み合わせだな」

 池と桜、川と桜、学校と桜。この組み合わせはよく聞く。だが、廃墟と桜の組み合わせはあまり聞かない。

「斬新なのも、いいかもね」

 ポケットからスマホを取り出し、私は写真を撮った。その写真は、咲きかけの桜が前面に出ていて、廃墟が背景になっているものだった。

 この写真は、高校のときに撮ったものの中で、そこそこ気に入っている。春はどこにでも訪れる。当たり前すぎて、みんなが忘れかけていることを教えてくれる一枚だからだ。ちなみにこの写真は、今でもスマホのSDカードの中に大事に保存している。


   ※


 世を捨てた身となった今でも、桜が咲く季節になると、心がそわそわしてくる。

「あ、そういえば──」

 もう桜が咲いたようだ。といっても、まだ数輪咲いているくらいだが。

 さて、今年も自転車に乗って、カバンにカメラを入れて、桜の写真を撮りに行こうかな。


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