これは2日前の話だが、シェーバーが壊れたので新しいシェーバーを買った。備忘録としては以上だ。のちに検索する可能性を考慮し、言い換えた言葉も記載しておこう。ひげそり、髭剃り、ヒゲソリ。これで充分だろう。 ここからさらに髭剃りの話を展開するかどうか……、しばらく考えたがやめておくことにした。書こうと思えば軽く1000字くらいは書けると思うのだけれど、今はいいや。 最近は音楽をよく聴いている。新しい音楽を聴くこともあるが、既に知っている音楽をあらためて聴くことが多い。古いも
日曜日くらいに書き始めた日記をまだ書き終えていない。断続的に書き進めているが、いつ終わるとも知れない。たかだかスーパーに行ったというだけの話なのに。 大した話ではないから諦めて切り捨ててももちろんよいのだけれど、これまで何度もそのようにしてきたのでそうすることに少し飽きていて、今度は逆に諦めず断続的にでもいいから書き進めようと試みているといったところだ。 ただ、それのみに取り組んでいると本来の日記が滞る。というわけでこうして「諦めないぞ」と決意を新たにしつつも、本来の日
昨日は日記を書きそびれてしまった。まあでもたまたま4日ほど連続でブログを更新していたから「書きそびれた」みたいに感じてしまうだけで、錯覚である。 とはいえいきなりその認識に至ったわけではなく、数時間前までは昨日の分と今日の分の2つの記事を書こうかと考えていた。けれどもなんやかんやで書き始める時間が遅くなったし(今は午前0時を20分ほど過ぎている)、考えてみればそもそも毎日更新をしようと思っていたわけでもなかったことを思い出した。 テレビアニメ『響け!ユーフォニアム3』
昨日の記事のタイトルは「もやと煙は似ている」にしたけれど、アップした直後に「どちらも白くかすんでいる」にすればよかったかなと思った。理由はよくわからない。後者の方が抽象的だからだろうか。 今日はフリーライティングでウォーミングアップせずに、いきなり記事の文章を書いている。もう午前0時を過ぎていて、早く就寝したいというのもあるし、むしろフリーライティングでトピックを一度出してしまうことによって、それに囚われて(書くという行為の)足を止めてしまう可能性があるのではないかと思
日記を再開してから4日目。過去3回は事前に内容を考えずにいきなりワープロアプリで書き始めたが、今回はアウトライナーでフリーライティングをしてからワープロアプリにやってきた。10分で650字くらい書いた。このペースで1時間書ければ4000字になる。 しかしフリーライティングは事前に内容を考えるためのものではなかった。書き終えたあとにいちおう少し考えてみたが——ブログのネタになりそうなトピックはあるだろうか?——残念ながら良さげなネタは見つからなかった。 結局「今日もいきな
おもむろに日記を再開して今日が3回目。前の2回は休日に書いたが今日は平日。労働があった日、というのが平日の意味だ。 ここからが日記本番である。平日にも継続することができるか。それが問題。 平日にはあまり自由な時間がとれないという問題もあるが、それよりも書くことが見当たらないということが問題になる。 その日も生きて活動していたのだから何かしら書くことはあるはずなのだが、平日だとなぜか「書くことがないなあ」と思ってしまう。そうなってしまう理由は、日記を書こうとするときに労
さて今日も見切り発車で書いていく。あんまり毎日書きたくないのだけれど——それはとても大変なことだし、楽しみでやっていることが負担になってくる可能性があるから——でも「見切り発車スタイル」でやるとなると、畢竟(「ひっきょう」と読みます)、毎日書くことが導かれるように思われる。 見切り発車スタイルというのは、事前に内容すら考えずに、いきなりアップロードする前提の文章を書き始めることだ。下書きなし。推敲ほぼなし。ぶっつけ本番スタイルといってもいい。 そのような書き方をするなら
約2ヶ月ぶりにブログを更新しようとしている。約2ヶ月ぶりに「文章を書こうとしている」ではないところがポイントだ。文章自体はときどき——否、しばしば書いていた。といってもそれらは単なるメモ、あるいは無目的なフリーライティング、あるいは省みられることのないログとして書かれた(書き捨てられた)哀れな文章でしかない。 アップロードする前提で文章を書くということが約2ヶ月ぶりなのだ。まあじつを言えばこの2ヶ月のあいだに一度か二度、ブログを更新しようと試みた記憶がなくもないのだが、話
先週はついに週記を書きそびれた。例によって仕事が忙しかった。なにしろ土日も出勤していたのだから、週記を書くことなど不可能だったのだ。 平日も遅くまで働き、帰宅してから少しだけ飯を食っては風呂に入って寝る。あるいは風呂に入らずに寝る。そういう生活を送っていた。 そういうふうに書いてしまうと、とてもかわいそうというか、悲壮感が漂ってしまうが、自覚的にはそれほどでもない。まあでも、あと1時間くらい早く帰宅して、ログくらいは書ける生活が送りたいとは思っている。 先月末頃から
さて。今週はわりとログが残っているから、それを見ながら書く。 どうしてログが残っているのかというと、アウトライナーでログを取り始めたからだ。以前まではScrivenerでログを取っていた。ところが仕事が忙しくなったタイミングでログを取らなくなった。しかしログを取っていないと週記に書くことがなくなってしまうから再開する必要があった。でもなぜかScrivenerでは再開できない気がした。 僕のログの取り方というのは、まず日付を冒頭に記す(「2024年3月3日(日)」)。ログ
さて、今週もやっていくわけだが……。 おとといは「態勢を立て直す」という記事をアップしたし、今日は「アウトライナーは「思考の加工場」である」という記事をアップした。前者は約4000字、後者は約2000字の記事である。それで何が言いたいかというと、まあ、今週はもう充分書いたのでは? だから今更、惰性で続けている「週記」なるものをしいて書かなくてもいいのでは? と思っているということだ。 どうして急にそれほどの量の文章を書くことができたのだろう? 上記2つの記事でも書いた
それなりに考えた結果、とりあえずそういう結論に至った。ほかにも以下のような成果を得た。 思考の場=Scapple(フリーボード?) 思考の加工場=Bike(アウトライナー) 文章工房?=egword Universal 2(ワープロ)? 文章倉庫?=Scrivener(?)? 端的に思考の成果を表現すると以上のようなものになる。しかし多くの人にとっては意味不明だろう。したがって以下に説明を記すのが筋——だとは思うのだが、上記の図式を眺めても一切ぴんと来ない人に向
最近は個人的な読み書きができていない。あまりこの言葉は言いたくないが、仕事が忙しいからだ。どうにか週記だけは継続しているが、内容が乏しくなっている。以前までは週記を書くために、平日はとりあえずその日にあったことや思ったことなどをいちおうメモしておく(ログと呼んでいる)ということをしていたのだが、最近ではログすら取れていないから、週末にいざ書こうと思っても、いったい今週は何をしたのか思い出せない。したがって週記に書くことが乏しくなる。 読書はまったくできていないわけではない
今週あったことなどを書いていく目的の週記だが、今回はその目的を脇において、Logseq(アウトライナー)に放置されていた思考の断片みたいなものを、いったん取り上げておきたいと思う。というのも、しばらく放置して見向きもしていなかったせいか、久しぶりに見てみたらなんだか「腐ってしまった」ような感覚を覚えたからだ。 そのうち考えようと思っていた事柄たちのはずだが、使いものにならないような感触を覚えてしまった。しかしそのままたんに削除するのも忍びない。腐っているなら腐っているで、
久しぶりにミュージックアプリでプレイリストを作成した。iPhone用/ドライブ用だが、あまり吟味せず、適当にいろいろ放り込んだだけのプレイリストだ。仕事が忙しくなり、そのストレスに対抗するためか、通勤時に爆音で音楽を聴くという習慣ができつつあり、それをやり始めたらiPhoneの方にあまり音楽を入れていなかったことを思い出し、急遽新しいプレイリストを作成することになった。ヘヴィだったりハードだったりするものを聴くことが多い。 ある日の夜に、ふと自由な時間が訪れたのだが、や
さて、やっていくわけだが、もしかしてこの週記も途絶えるかもしれない。ちょっといろいろ忙しくなりそうで。 今週は日々のログすらまともに取っていない。ログを取っていたのは2日だけで、日記を一度書いた。日記では「笑い男事件」のことを書いたが、ここでは説明を省く。ログには、(以前からそうだが)大したことを書いていなかった。 ところでログとは何か。たぶん「ライフログ」と呼ばれるものだが、僕がやっていることはそれよりもっと雑なログだと思う。何か行動するたびに逐一書いていたわけでは