不真面目のすすめ
僕にとってnoteはあくまでも自分の残したい気持ちを書き留めておく場所であって、別に自分の人生のキラキラした部分なんかをみんなに見てほしいとかそういうわけでもない
僕の中から書きたい気持ちがわいてくるときは大体自分自身と向き合っている時か、何か悲しいことがあった時か、昔のそんな記憶をふとフラッシュバックさせたときだけだ
つまりなにかしら負の感情で構成されている。ちなみに今もすごく鼻水出てきて気分が悪いし負の感情に包まれてる
毎日ずっと真面目に一コマ90分の授業なんか受けてられるか!
きっと世の中でいち早く鬱や自殺をしてしまう人たちは毎日しっかりと学校に通って90分の授業を真面目に全部受けてるような皆勤の完璧主義人間なんだろうな。まあ僕も今までそんな感じの人間だったから人のこと言えないけど
人は良く「今逃げたらこの先一生逃げ続ける人生になるぞ」なんてほざいてるけど
そういう人たちって責任取らない上に「逃げる」と「耐える」をはき違えてるよね
つらい状況の中でただじっと耐え続けることが偉いのか?
そこから逃げ出したとして、それは「逃げ」じゃない
自分を蝕む環境から身を遠ざけるの生き物の本質だ
うさぎがライオンから逃げたら悪い事なのか?
猫が水に溺れてもそこでじっと耐えることが猫の為になるのか?
今一度人間が、特に世界の何も知らない子供たちにホラを吹きまくる悪い大人たちがいかに愚かなのかを言動から振り返り、本当にその環境でじっと耐えることが正解なのかを考えてみよう
人間は、僕たちは、僕たちが思うよりもっと自由だ
人生の価値
突然ですが、あなたに100億円をあげましょう
嬉しいですか?きっとあなたは僕に感謝するでしょう
でも、その代わりにあなたの残りの人生の50年を頂きます
嫌ですか?多くの人は先に提示した100億円を拒否して、50年分の寿命を僕には明け渡さないでしょう
つまりあなたの人生50年分には100億円以上の、いやいやもっともっとはるかに大きな価値があるのです
人は朝目が覚めるだけでも本来は幸せなことで。でも僕たちは長く生きているとそんなことも当たり前にとらえ、次第には朝なんて来なくていい、もう人生を終わらせたいなんてことも考えるようになるのです
こうじゃなきゃいけないなんてないし、もっともっと肩の力を抜いて生きてみよう。
なんてこと言われてもなかなか一朝一夕にはできないと思うし、沢山の時間をかけてゆっくりと自分自身が幸福に感じる生き方を出来るようになれば良いな
まあだからと言って授業中に先生の目を盗んでこんな文章を書くことを肯定するわけじゃないけど
そのくらい昔に比べて僕は僕が不真面目になれたことが嬉しい。やった!
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