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旅行と、引きこもりが、好きすぎます。

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最近の記事

23夏秋旅行記① かつてのアラル海を見た日のこと タシケント・ヌクス

 前回の旅行記の最後、「もう今後は逐一旅行記を書くつもりはない」とした。しかし、忘却というものは容赦なく襲ってくる。それがまた、懲りずに旅行記を書こうとしている理由だ。  大学院の入試が終わってから数日後、私はまたパンパンのバックパックを抱え、関西国際空港行きの関空路快速に乗っていた。日根野での切り離しに不安になって何度も自分の車両を確かめた。2022年の夏はバルカン半島、ギリシャ、トルコと地中海をぐるりと回るように旅をした。今回の旅行も約40日間で、日本からウズベキスタン、

    • 最果てのアレクサンドリアへ:ホジェンドの記憶

       ホジェンドという街がある。タジキスタン第二の街だ。ウズベキスタンとの国境から数十キロのところに位置している。国境を越えたすぐそこで、乗り合いタクシーを運転する男が交渉する隙も無いままに、いいから乗れ、と陽気に声をかけてきた。破裂しそうなバックパックを抱えて助手席に乗り込むと、ほどなくして後部座席が三人の男で埋まった。後部座席の男は「あなたの名前は何ですか」「何歳ですか」「出身はどこですか」と書かれた翻訳アプリの画面を見せてくる。二十一歳だ。大学生で、日本出身だ。そう答えると

      • ねりものの考えていることのすべて 20230723-31

        ・母の「ママ」以外の一人称をほとんど聞いたことがない 女性は子供を産んだら自然とそうなるものだろうか。母は死ぬまで自分の前では自らを「ママ」と呼び続けるのだろうか。自分は子供を産むつもりがないが、もし産んだとすれば、おのずとそうなるのだろうか。その場合、自我はどのように変化していくのだろうか。不可逆な自我の変化への興味と恐怖がある。 ・店員の気が狂いそうで心配 近所のファミマのレジ上に、ずっと広告を流し続けるでかいモニターが設置されていた。あれをずっと聞かされる店員も大変だ

        • 22夏旅行記⑪ まぶしいアクロポリスと旅の終わり

          1.ふたたび落書きだらけのアテネへ行く  長かった旅行記も、これでついに完結だ。アテネ空港で一夜を明かしたあと、市内までは地下鉄の3号線(ブルーライン)を使って移動することにした。アテネの地下鉄は引ったくりやスリが多いと聞いていたため、怯えながら車両に乗り込む。しかし車内は清潔で、さほど乗客も多くなく、治安が悪い印象は受けなかった。宿の最寄りモナスティラキ駅Monastirakiまで乗った限りでは、だが。  どの都市でもそうだが、アテネも同様に「危ない場所」というのが存在す

        23夏秋旅行記① かつてのアラル海を見た日のこと タシケント・ヌクス

          22夏旅行記⑩ エーゲ海の楽園!騎士の足音響くロードス島

          1.ロードス島彷徨記  一度地中海の地図を見てみればすぐに分かることだが、フェティエからロードス島はすごく近い。そんなロードス島へのフェリーは、夏のハイシーズンの予約の埋まり方がすごく、ひと月前に予約してギリギリだった。フェティエを9時に出発し、ロードス島には10時半に到着するから、およそ1時間半の船旅だ。  フェリーの中では寝たいところだったが、ロードス島に着く前に読み終えなければいけない本があった。ロードス島に行くなら読んでおけ、とも言われた塩野七生の『ロードス島攻防記

          22夏旅行記⑩ エーゲ海の楽園!騎士の足音響くロードス島

          22夏旅行記⑨ フェティエの墓と廃墟の町で死者の声を聴かんとする

          1.どうせ葬るなら高い所に頼むゾ  デニズリからフェティエのオトガルまで、曲がりくねった山道を抜けて到着したころには、夜も遅くなっていた。ホステルのある旧市街まではタクシーで移動したが、相乗りした若い女性はクラブに向かったようで、露出の多い服でネオンの光る店に消えていった。  トルコの沿岸部に点在するリゾート地のひとつが、このフェティエの街である。9月半ば、まだまだ夏真っ盛りの時期だ。ヨーロッパからバカンスでやって来た人々で街はにぎわっている。近くのオルデニズという海岸は

          22夏旅行記⑨ フェティエの墓と廃墟の町で死者の声を聴かんとする

          22夏旅行記⑧ 猫と遺跡と枯れた城 イズミル、エフェソス、パムッカレ

          1.ドブ臭いエーゲ海、スミルナの街へ  カッパドキアからはるばる12時間、イズミルのオトガルへ到着だ。アナトリアのちょうど真ん中から、今度は西の果てまで移動したことになる。エーゲ海に面するイズミルは、イスタンブール、アンカラに次いでトルコ第三の都市だ。目立った見どころは少ない街だが、エフェソスやパムッカレと、ペルガモンといったトルコ屈指の観光地へのアクセスの拠点となる大都市でもある。この記事を書くにあたりWikipediaを見ると、「その美しさが『エーゲ海の真珠』と称えられ

          22夏旅行記⑧ 猫と遺跡と枯れた城 イズミル、エフェソス、パムッカレ

          22夏旅行記⑦ 砂埃のカッパドキアで痛む足首を引きずる

          1.愚者、ふたたび    カイセリ行きのバスの休憩のころから、足首が痒いような、痛いような感覚がする。さては南京虫かと思ったが、どうもその痛みは強くなっていく。別の虫刺されがあったせいで、南京虫かと勘違いしただけだった。特に心あたりは無いが……、いや、そういえば2日ほど前に、ホステルの二段ベッドの上段から降りるのを盛大に失敗したのだった。そのときに足首をひねったのだろう。その場は特に痛みが残らず忘れていたが、歩いたことで後から痛みが出てきたのかもしれない。クレジットカードの件

          22夏旅行記⑦ 砂埃のカッパドキアで痛む足首を引きずる

          22夏旅行記⑥ エポス、21万返して!不正利用のイスタンブール

          1.イスタンブールのすてきな一日  イスタンブールに着いて3日目、ここ数年で一番のトラブルが発生した。簡潔に言うと、愚かにもクレジットカードを紛失(ATMに吸い込まれ)し、21万円分を不正利用された。帰国後に改めてエポスカードに問い合わせたが、結局補償の対象とはならなかった。時系列が前後するものの、次の章ですべてを記しておきたいと思う。この章では、悲劇の前の美しい一日の思い出を振り返るにとどめる。  ホステルで最高の朝食を食べたあと、しばらく歩いてグランドバザールへと向か

          22夏旅行記⑥ エポス、21万返して!不正利用のイスタンブール

          22夏旅行記⑤ 一路、東へ 憧れのイスタンブール

          1.国境の長いトンネルを抜けるとアナトリアであった  ソフィア〜イスタンブール間の夜行列車は、2人部屋のクラスをとっていた。諸々込みで70レフ、日本円で5000円くらいだ。相部屋の客と特に会話が盛り上がることもなく、ひたすらビールを飲んで、やっと浅い眠りについたかと思えば車掌に叩き起こされ、パスポートを集められる。出国審査だ。しかし審査は待てど暮らせど終わる気配がなく(そりゃあ乗客全員分は時間がかかるだろうが)、結局パスポートを返されたのは1時間以上経ってのことだった。再び

          22夏旅行記⑤ 一路、東へ 憧れのイスタンブール

          22夏旅行記④ ソフィアは名も街も美しい

          1.知恵(ソフィア)をうろつく  北マケドニアのスコピエを15時に出発し、ソフィアへ到着したのは日没直前だった。一週間ほど前にアルバニアに入ってからずっと、ahamoの海外ローミング(2週間までは追加料金なしで使える!)の範囲外の国にいたが、ブルガリアの国境を超えてしばらくすると、電波が入った。外でTwitterできることがこんなに安心するとは思わなかった。Wi-Fiしか使えない間は、ずっとオフラインマップを使用し、移動時間はダウンロードしたラジオを聴いていた。それもまた旅

          22夏旅行記④ ソフィアは名も街も美しい

          22夏旅行記③ コソボで民族を考える、へんてこ首都スコピエ

          1.プリズレンに行きたいだけなのに    アルバニアから国際バスに乗って向かうのは、コソボ第二の都市、プリズレンだ。数日前からバルカン半島の天気はすぐれず、途中から大粒の雨が窓ガラスに打ち付ける。しばらく山間の急カーブが続く道を走っていると、異変が起きた。大型バスのトランクの扉が、走行中に突然開いた。バスの不具合であることは確かだが、このままでは荷物が車内から路上に放り出されてしまう。雨はなおも降り続け、車内がざわめき出すも運転手は気づかない。しばらくしてやっと、運転手が車を

          22夏旅行記③ コソボで民族を考える、へんてこ首都スコピエ

          22夏旅行記② フルゴンで“謎の国”アルバニアを北へ

          1.ジロカストラからベラトへ、フルゴンの風  朝早くに起き、ジロカストラのホステルを出る。旧市街に人影はほとんどなく、朝の光が白い街並みを照らして清々しい朝だ。ジロカストラからベラトまでのバスは1日1本、インターネットで集めた情報では複数の時刻表があり、現在どちらが正しいかは、いざバスターミナルに行ってみないとわからない。旧市街の坂道を下り、いかにも旧社会主義国なモニュメントやエンヴェル・ホジャの生家の横を通ってバスターミナルに行くと、ベラトへのバスはもうとっくに出発してい

          22夏旅行記② フルゴンで“謎の国”アルバニアを北へ

          22夏旅行記① 天空のメテオラに神の光をなんとなく見る

          1.運を使い果たし、落書きだらけのアテネへ行く  2022年8月14日、その日は私の「人生初の海外一人旅」が始まる、思い出深い日だった。成田空港の制限エリア内で、頂点から傾いていく日に、人生における運の総量と収束について考えていた。出発の前々日に京都駅から夜行バスに乗り、前日には東京で都合よく当たったライブに行ったところ、おみごとアリーナ最前列を引き当てたのだった。そのときは運の総量というものはないという結論を出しはしたが、結果的にそれは盛大な伏線となってしまった。イスタン

          22夏旅行記① 天空のメテオラに神の光をなんとなく見る

          死がこわいので、死について160人に訊いてみたよ

          メメント・モリ(挨拶)! 死ぬのってめちゃくちゃ怖くないですか。2022年現在、日本の平均寿命は男性81.47 年、女性87.57年という数字を記録している。まさに世は大長寿・メメントモリ時代というわけだ。はや三年が経とうとしているCOVID-19の流行、また戦争のニュースは、人々にとって死をより近くに認識するきっかけとなったかもしれない。一方で、これらの事象に死の恐ろしさや唐突さという一面こそ実感すれども、「いかに死ぬか」「自分にとって死とはなにか」といった思考を巡らせる

          死がこわいので、死について160人に訊いてみたよ

          恐山雑記

           曲がりくねった山道を路線バスで上っていると、雨がぱらぱらと降り出して、山道の先が煙のような白い霧に覆われはじめた。般若心経の流れるバス内に乗客は自分含め二組だけで、秋の深まるみちのくは車内であっても肌寒くて仕方なかった。もっとも、それは本当にバスの空調のせいだったかどうかは、今になってはもう分からない。  北陸に生まれ育った自分にとって、青森県とはとても遠く、同じ本州でありながら北海道よりも離れているような、曖昧ながらも「世界の果て」のような場所だった。源義経が逃れ着いた

          恐山雑記