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22夏旅行記② フルゴンで“謎の国”アルバニアを北へ

1.ジロカストラからベラトへ、フルゴンの風

 朝早くに起き、ジロカストラのホステルを出る。旧市街に人影はほとんどなく、朝の光が白い街並みを照らして清々しい朝だ。ジロカストラからベラトまでのバスは1日1本、インターネットで集めた情報では複数の時刻表があり、現在どちらが正しいかは、いざバスターミナルに行ってみないとわからない。旧市街の坂道を下り、いかにも旧社会主義国なモニュメントやエンヴェル・ホジャの生家の横を通ってバスターミナルに行くと、ベラトへのバスはもうとっくに出発していた。賭けに外れた。

 アルバニアに鉄道は少なく、多くの観光客は旅行会社の運用する通常のバス、あるいは個人が運転するフルゴンとよばれる交通手段を利用する。ミニバンに皆が乗り合うシステムは、旧ソ連圏のマルシュルートカとほぼ同じだろう。仕方なくバスターミナルのスタッフ(口紅がとても鮮やかな紫だった)に相談すると、首都ティラナへ向かうフルゴンを途中下車し、ルシュニャという町でベラト行きのフルゴンに乗り換えることを教えてくれた。時間は余計にかかるが、ジロカストラにもう一泊するよりはよいだろう。

ホステルのぬいぐるみのような犬と猫

 数十分待つとフルゴンの座席がいっぱいになり、ようやくティラナへと出発する。無事ルシュニャという町で降りれるか、言葉も電波も通じない町でベラト行きのフルゴンに乗れるか、という不安が襲い、いっそのことティラナまで行ってしまった方がよかったか、と悩む。
 運転手は自分のことを覚えていてくれたらしく、一緒にルシュニャで下りた数人を指差して、「着いていけ」というジェスチャーをしてくれた。交差点を渡って町のはずれ、日陰もない道端で20分ごとのベラト行きを待つ。やってきたフルゴンはもう満席で、最後に乗り込んだ自分は入り口の段差の部分に立たざるを得なかった。 

 走りだして15分ほどして、異変が起こる。立ち乗りをする自分のすぐそば、つまりバンの前部真横のドアが開いた。しかしフルゴンは走り続ける。ドアが壊れていて、ちゃんと閉じないのだ。フルゴンが急カーブすれば、おそらく自分の身体はそのままドアから外へと吹き飛ばされてしまうだろう。手すりをつかむ手に思わず力がこもる。しかし、ドアの隙間から吹き込んでくる風は、密閉され蒸し暑い車内で汗ばんだ身体にはとても気持ちがよかった。 
 途中、車が停まった。道端で待っていた老人が、運転手と何か小さな、薬包のようなものを小銭と交換する。それ、何のクスリだ?

ホステルの近くにあったモニュメント。Google MapによるとAlbanian Monument of W.II.Wだそう

2.ベラト、窓と赤い屋根と城と乳白色の川

 ベラトのバスターミナルに到着し、ベラトの旧市街へと路線バスに乗り込む。アルバニアの路線バスはベラトとティラナのそれしか乗ったことはないが、どちらもバス内の係員が直接料金を集めるというシステムだった。乗降する人数が多くても、誰から徴収して誰から徴収していないのかを正確に覚えているのだ。 

 世界遺産にも登録されているベラトは、その特徴的な旧市街の景色から「千の窓の町」ともよばれる。乳白色のオスム川を挟んで、南側にはゴリツァ地区、北側にはマンガレム地区が向かい合う。マンガレム地区の背後の高台にはベラト城が残り、その城の中にもレストランやホテルが並ぶ。今回停まるゴリツァ地区のホステルで少し休むと、もう15時半になっていた。しかし日が沈むまではまだ4時間ほどあり、この小さな町を観光するには十分だ。荷物を置いてベラト城へと向かう。

ホステルの近くからマンガレム地区を見渡す

 橋を渡り、マンガレム地区からベラト城まで坂を15分ほど上ったが、あまりにも坂がきつかったせいで途中で記憶がなくなっている。かろうじて城壁の入り口へとたどり着くが、想像よりも城壁内のカラサ地区は広く、いくつもの土産物店やレストランが並んでいる。白い服や刺繡をほどこしたスカーフが石積みの壁にかけられており、観光地ながらも素朴な雰囲気が残されていた。本来ならば入場料がかかるとのことだったが、自分が入った時には入場料どころか、係員らしき人も見かけなかった。時間帯の問題だろうか?

 ベラトの町並みを一望できる展望台までたどり着くと、高く掲げられたアルバニアの国旗が青空に揺れている。アルバニアの国旗は赤に双頭の鷲が描かれていて、まるでファンタジーの帝国の国旗のようでかっこいい。展望台から下を見下ろすと、赤茶色の屋根の民家たちとミルキーな川のコントラストが美しい。

 しばらくそこで休んだ後、来た方向へと引き返して、迷いながらもベラト城の遺跡が多く残る部分へと向かう。近くには廃墟となった教会があった。窓ガラスから中を覗いてみると、中には何らかの展示の痕跡が遺されている。後から調べてみると、この教会(Kisha e Shën Gjergjit)は19世紀に建てられたが、共産党政権のもとで破壊・改造され、現在は廃墟となっているものの、その復元プロジェクトが立ち上がっていると2021年の記事にあった。実際そんな様子は見られず、荒れ放題という印象を受けたが、せっかくの文化財なので有効活用されてほしい。

 ベラト城自体は13世紀にビザンチンの影響下で建てられ、その後にオスマン帝国の統治下に入ったため、城壁内にはビザンチン建築の教会とモスクの跡が残っている。城壁の見晴らしのよいところから聖三位一体教会と山間の景色を眺めてみると、ちょうど傾いた日が美しく差し込んできて、まるでファンタジーのような世界が広がっていた。近くではおそらく地元の男性たちが、このすばらしい景色と会話をアテにして瓶ビールで飲み会を開いていた。

手前に見えるのが14世紀に建てられた聖三位一体教会

 再び坂を下ってマンガレム地区へと戻り夕食を取ろうとしたが、あまりよいレストランが見つからない。しかも電波が一切繋がらず(何度も言うが、アルバニアはahamoの海外ローミングの対象外だ)事前にダウンロードしたオフラインマップしか見ることができないので、近くの店を検索することもできない。仕方なくスーパーでビールとラスク、ディップするバジル入りのクリームチーズを買って夕食にした。この組み合わせは大抵どこのスーパーでも売っており、ビールにも合うため、旅行中はかなりお世話になった。節約したいという金銭面の事情もあるし、一日中動き回った後に新しく店を探すというのもなかなか厳しいというのが本音だ。

 次の日の朝、テラスからの景色を眺めながらホステルの朝食を食べる。朝食がビュッフェ方式のホステルは多いが、その中でも比較的よい内容だった。パンだけでなく生野菜があるのはポイントが高い。ホステルには各都市へのフルゴンの時間と料金が書かれた表もあり、情報の少ないアルバニアを旅するバックパッカーにとってはありがたいホステルだった。あとは二段ベッドの段にカーテンを付けてくれるとよいのだが。

3.過去と未来の交差、ティラナ

 この日はベラトからさらに北上し、首都のティラナまで移動した。千の窓の町に別れを告げ、再び旧市街から数キロ離れたベラトのバスターミナルに向かう。ベラトからティラナまでのフルゴンは1時間に数本出ている。たいていのフルゴンは正面の窓に行き先が掲げられている。何台もの車の中、“TIRANE”という文字はすぐ見つかった。ちょうど出発するころに天気が悪くなり始め、大粒の雨が降り出してきた。実はこの数日前から、バルカン半島滞在期間に連日の悪天候が丸被りすることがわかっており、「ついに来たか」という思いだった。

 フルゴンの中で、PrinceのAround the World in a Dayを聴いた。1日で世界一周。本来ならば2時間程度の距離だったが、途中何度も渋滞に巻き込まれ、予定よりも遅れてティラナのバスターミナルへ到着した。ティラナのバスターミナルに建物らしい建物はなく、ただの広い駐車場といった様子だ。しかし、これまでジロカストラ、ベラトとあまり大きくない街を回ってきたため、何十台、何百台とも思えるフルゴンや大型バスが行きかう光景には、一国の首都らしい活気を感じる。

 国内線のバスターミナルは路線バス乗り場と隣接しているが、アルバニア語をまったく解さないため、どれがホステル近くまで行くバスかが分からない。一応事前に調べておいたものの、いざ現地に行ってみるとよく分からないのだ。勘でそれっぽいバスに乗ったが、どうやら間違っていなかったようだ。しかし、人でいっぱいのバスの中で東洋人は自分一人だけで、視線が集まるのを感じて気まずい。この注目される気まずさは結局、ブルガリアに入るまでずっと付きまとっていた。

 ホステルの近くでバスを降り、荷物を置いて観光に出かける。雨は今のところ止んでいるが、傘を持っていなかったので適当に紫色の折り畳み傘を買い、ティラナの中心部であるスカンデルベグ広場へと向かう。ティラナは「観光地がない」とも言われるが、確かに観光らしい観光は半日あれば終わってしまうだろう。観光地のほとんどが広場の周辺に集まっているうえ、多くが共産党政権時代の建築物や負の遺産といったラインナップなので、人にとってはとことん関心のない場所かもしれない。しかし、自分は社会主義建築や独特の雰囲気を愛しているため、共産党政権時代の匂いが残るティラナの街は魅力的に感じた。

 スカンデルべグは15世紀の人物で、アルバニアの国民のシンボルである。彼はオスマン帝国のムラト二世治世下で騎士として活躍していたが、アルバニア総督に就任した後は反旗を翻してアルバニアの北部を統一し、オスマン帝国によるバルカン半島の勢力拡大に25年にわたって抵抗した。19世紀以降のナショナリズムと民族意識が覚醒する中で、スカンデルべグは国民の英雄として象徴的に描かれ、現在のアルバニアの国旗はスカンデルべグの軍旗が元になっているほどだ。また、コソボ紛争などでも知られるように、現在のアルバニア国境と民族分布は一致していない。スカンデルべグの像とアルバニアの旗はアルバニアだけではなく、この後訪れるコソボと北マケドニアでも見られる。
   
 広場の近くには、かつてのトーチカが改造されて地下が共産党政権時代の歴史を展示する博物館になった、BUNK ART2という場所がある。並んだ挙句に手持ちのレクが足りずに引き返し、そのまま入れなかったのだが。入り口のドーム型の屋根の内部には、人間の写真が一面に貼ってあった。全てが共産党政権のもとで命を落とした人間の写真だ。ちなみにBUNK ART1はティラナの郊外にあり、こちらはさらに広く充実した展示内容だそう。

 ティラナで見たかった場所は他にもある。一つは、エンヴェル・ホジャのピラミッドと呼ばれる建物で、これはエンヴェル・ホジャの子供が設計し記念館として使われていたものだ。しかし失脚後は廃墟となり、ホームレスが住むような事態にもなっていたらしい。この建物のデザインはいかにも社会主義建築、といったもので、写真を見た時からすっかり一目惚れしてしまい、絶対に生で見たいと思っていた。しかし、ちょうど今年から改築工事が始まってしまい、道からは高いフェンスに遮られてほんのわずかしかその姿を見ることはできなかった。私は戦後の社会主義建築、ブルータリズム、バブル建築などが大好きだが、これらはたいてい保存されることもなく解体されていってしまうため、「いつ無くなるかわからない」ことを痛感する出来事となった。

 次に向かったのは、同じくエンヴェル・ホジャの、今度は彼が実際に住んでいた邸宅だ。先程のピラミッドの近くにあるが、この地区は当時立入制限がなされていたらしい。こちらも事前にインターネットで写真を見ていたが、実際に門の前まで行ってみると、思いがけずその小ささ(実際は決して小さくはなく、プールなんかもあるのだが)に驚いた。もっととんでもない豪邸だと思っていたのだ。邸宅自体は現在も綺麗に保たれている。

エンヴェル・ホジャ邸

 大まかな観光を終えたあと、調べるとかなり上位に出てくる人気のレストランに歩いて向かったが、予約でいっぱいだと断られてしまい、完全なる無駄足となった。しかたなくホステルの近くまでひたすら歩いて戻り、ケバブを食べた。スーパーに寄ってビールとおつまみを買ったが、これまでで一番物価が安く驚いた。チョコアイスが60円程度で買えるし、ビールも安い。酒飲みの天国だ。本気でティラナに住みたいと思った。

1レクはほぼ1円ぐらいなので計算しやすい。瓶ビール1本が100円あれば買える!
カラフルに塗られた建物

 ティラナの街を歩いてみて、特に印象的だったのは街並みのカラフルさだ。集合住宅や橋のレンガがカラフルに塗られているのだ。旧ソ連圏や東欧諸国といった、かつて社会主義だった国はどこか独特の、薄暗いとも無機質ともいえる雰囲気をまとっている。ティラナも同様にそんな雰囲気を残しているものの、トーチカを現代アートに昇華させる試みや若者の多さに、古いものと新しいものの交差を見た。首都ながらも日本ではほぼ知られていないこの街だが、とても魅力的な街であると思った。

4.ティラナからコソボへ

 翌日、ホステルを出てティラナの国際バスターミナルへと向かう。国際バスターミナルは商業施設の隙間にあり、各会社のオフィスが並んで、客引きが立っている。ティラナからコソボまでのバスは比較的本数が多く、当日行けばそのまま買うことができる。どのオフィスに入ればいいか迷っていると、おじさんが声をかけてきたので、「プリズレン」と答えると、そのまま(おそらく自社の)オフィスに引きずりこまれた。彼はかなりフランクで、初対面ながらハグをして別れた。

 チケットを買った後は近隣のショッピングセンターで時間を潰す。百均ならぬ1€ショップや小さい屋内のゲームセンターなどを見た後、適当に入った店で昼ごはんを食べる。思ったよりも量が多く、またあまり美味しいとも言えなかったが。それでもレクが余ったので、出発前にお菓子を買って気持ち残金を減らし、残りはお土産とすることにした。アルバニアのレク紙幣は、透明な部分(フィルムのような感じだ)があり、なかなか珍しくてイカしたデザインなのだ。
 バスは途中何ヶ所かで止まり、最終的に満席となる。その中にはヒジャブを身につけたムスリムの女性も多かった。このバスの道のりとコソボ入りはトラブルだらけだったのだが、それは次回に書こうと思う。

国際バスターミナルの近く、ティラナビール


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