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ねりものの考えていることのすべて 20230723-31

・母の「ママ」以外の一人称をほとんど聞いたことがない
女性は子供を産んだら自然とそうなるものだろうか。母は死ぬまで自分の前では自らを「ママ」と呼び続けるのだろうか。自分は子供を産むつもりがないが、もし産んだとすれば、おのずとそうなるのだろうか。その場合、自我はどのように変化していくのだろうか。不可逆な自我の変化への興味と恐怖がある。

・店員の気が狂いそうで心配
近所のファミマのレジ上に、ずっと広告を流し続けるでかいモニターが設置されていた。あれをずっと聞かされる店員も大変だが、けっこうな費用をかけたかわりにリターンはあるのだろうか。レジで並んでるときに見るのを想定してるのだろうけど、そんなに「へえ、こんな商品あるのか、買おう」ってなるかな。

・歌詞に個人名が入るのってなんか日本語だとダサく感じて、他言語だとなんとなくイケてる感じがすることが多い
日本語ネイティブだからそう思うのだろうか。New Jeansの「ETA」の歌詞和訳を見ると、「혜진이가 엄청 혼났던 그날 (へジンがすごく怒られたあの日 )지원이가 여친이랑 헤어진 그날 (ジウォンが彼女と別れたあの日)」という部分があるけど、なんかイケてる!という感じがする。でも韓国語ネイティブだとどう感じるんだろう。

・このデジタルの世に手書きレポートを課すことの利点ってある?
中間・期末ともに手書きレポートを課してきた講義があり、大学生活4年間で手書きレポートは初めての経験だった。アナログ派なのだろう、とは思ったが、一般教養なのでとにかく多くの受講者がいる。なおさらデジタルのほうがよいのではないだろうか?

・何かに登録する時は毎回メール配信のチェックを外しているのに、大量のPRメールが来るのはなぜ?一括で解除させてほしい

・「暑い中」にくらべて「寒い中」とはあまり言わない気がする
「暑い中お疲れ様でした」「暑い中ご来場ありがとうございました」にくらべて「寒い中お疲れ様でした」「寒い中ご来場ありがとうございました」ってあんまり言わなくない?気のせいだろうか?

・「フランス人は○○しない」系の海外をアゲるやつはどの国までイケる?
フランス、北欧はおしゃれなイメージがあるけど、一方でドイツやルーマニアだとそういう印象はない。同じヨーロッパの中だと、スイスはなかなか微妙なところではないだろうか。

・インドって想像以上に観光地がありすぎるな
大体のイメージがデリー、タージマハル、ガンジス川という感じだと思うが、実際はジャイプール、ムンバイ、仏教関連遺跡などいろいろありすぎて国土のデカさと歴史にビビる。

・犯罪者の本(自伝、インタビューなど)を読むと、自分の中で犯罪者に「人格」が与えられ、それがどうにも恐ろしいことのように感じられる
以前、地下鉄サリン事件に関連して「オウム死刑囚魂の遍歴: 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり」などを読んだ。今まで自分の中で「ヤバい犯罪者」としか思っていなかったのがパーソナリティを知ることで、妙な親近感に近い感情を覚えてしまい、それがすごく怖いと思った。のを思い出した。自分はかなり他人に感情移入しやすく、影響されやすい人間なのだ。これってかなり“ハマり”やすい人なのかも?

・Y2Kブームの中でも、バンダナはあまりリバイバルしなかったな

・アウシュヴィッツでは社会主義者も「改宗」し、軍隊でも同様に何かの宗教を信じるようになる人がいるという話があるが、自分もいざそのような状況になれば、“神の存在”を見出せるようになるか?
・では、たとえば弾圧を受けたキリシタンのなかで、「転んだ」人と、そのまま殉教を選んだ人の違いは?殉教を選んだ人たちは、死の間際で神を見出すことができたのだろうか?転んだ人たちは見出せなかったのだろうか?
キリシタンの弾圧の中で、使命に燃えてこの極東まで来たはずの宣教師だが、フェレイラ(沢野忠庵)や「沈黙」のモデルのジュセッペ・キアラは棄教を選択した。棄教を選んだ人と殉教を選んだ人の違いはどこにあるのか、個人の信仰心の強さか?神を見いだせたか見いだせなかったか?

そうして、私は、私の心の中で、ある声がその男にこう答えているのを感じた。 『どこだって。ここにおられる。―ここに、この絞首台に吊るされておられる。』

エリ・ヴィーゼル 「夜」

この一節本当にすごいなと思ったけど、これめちゃくちゃボンヘッファーの「苦しむ神」の話だな(ちゃんと著書を読んでいないため、違うかもしれません)。やはりアウシュヴィッツ、ホロコーストといった事柄はその辺の思想に、これまでにないレベルの影響を与えたのだろう。過去を見れば、ペストの大流行なんかもキリスト教の権威の低下、そして宗教改革の遠因となったという部分を見れば、類似の事例といえるかも。

日本だとそんなに「巨人」の地位が高くない気がする
もちろん野球の話ではない。北欧神話(霜の巨人)やギリシア神話(キュクロプスやティーターン)、旧約聖書(ゴリアテ)、中国(盤古)と世界各地に巨人神話はあるが、日本においてはあまり有名な「巨人」がいない気がする。せいぜいダイダラボッチぐらいだろうか。この差にはなにか意味があるのだろうか?

寝不足の時に大学や乗り物の中で仮眠を取ろうとすると、まったく寝たという感覚がないのに気づいたら1時間ほど経っていたりしてビビる
これってほぼ気絶状態なのか?

・不死者はどこまでバラバラにしても生きているという判定になるのだろうか?不死と意識の継続はまた別?
身体がバラバラになり、水や土にしみこむ原子レベルになっても意識があったら、そのうち「地球」になるじゃん。あるいは、意識がある程度のバラバラまで継続すると仮定したとき、体のどこの部分に意識の本体(?)は宿るのだろうか。やはり脳だろうけど、脳がバラバラになったら、バラバラになった脳片どうしでひとつの意識を「共有」することに?こう考えると不死者って簡単に扱える問題じゃなさすぎる。

・人生の不可逆性って怖すぎる!

・よく考えたら腹が痛いときに「神様に祈った」ことってないかもしれない
自分の行いへの罰としての(辛いの食べたとかではなく、普段悪いことをしている自分への報い、みたいな)腹痛であるとも考えたことがない。それは腹痛に限らず、全ての嫌なことに対して、ノリで「これ○○したことへの罰か?」ということもあるけれど、本当はぜんぜんそう思っていない。神が見ているという考え方もしっくりこないな~。

・大学のキャパに対して学生数が釣り合っていないことへの怒り
あのさ、普段全く講義に来ないくせに期末期間だけ大学こもって席占領すんじゃないよ。オラは毎週ちゃんと講義出て、今学期は欠席も(別用でどうしようもなかった日含め)1~2回しかしてないんすわ。コンセントついてる席独占しやがって!許せね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


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