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22夏旅行記④ ソフィアは名も街も美しい

1.知恵(ソフィア)をうろつく

 北マケドニアのスコピエを15時に出発し、ソフィアへ到着したのは日没直前だった。一週間ほど前にアルバニアに入ってからずっと、ahamoの海外ローミング(2週間までは追加料金なしで使える!)の範囲外の国にいたが、ブルガリアの国境を超えてしばらくすると、電波が入った。外でTwitterできることがこんなに安心するとは思わなかった。Wi-Fiしか使えない間は、ずっとオフラインマップを使用し、移動時間はダウンロードしたラジオを聴いていた。それもまた旅情があって良いのだが、やはり何かがあった時の不安が勝つ。

 ホステルまで向かっている間に辺りはすっかり暗くなってしまった。ひとまずブルガリアの通貨レフを引き出し、晩御飯はスーパーで買ったチョコのお菓子にした。ホステルのシャワーが汚く、半泣きでシャワーを浴びた。翌日以降は違うホステルを予約していたが、これは大正解だった。

 ソフィアには3泊滞在し、そのうち2日は市内観光、もう1日は現地ツアーに参加してリラの僧院へと行く予定だった。
 この日はまず、別のホステルへ移動することから始まる。ホステルはIvory tower hostelという名前だったが、アイボリーという名の猫がおり、オーナーにホステルの名前は猫の名前からとってるんだよ、と教えてもらった。荷物を置いて、まずはホステルの近くでありソフィアの中心部、地下鉄セルディカ駅へと向かう。セルディカSerdicaはソフィアの旧名で、かつてローマ帝国の支配下におかれていた際は、コンスタンティヌス帝が「我がローマ」と呼んだほど重要な都市だったという。実際、セルディカ駅構内にはローマ帝国時代の遺跡が残されている。

セルディカ駅。奥に見えるのはモスク

 セルディカ駅の周辺は大通りになっていて、その広大さと街のデザインは、どこか共産党政権時代の面影を感じさせる。Y字路の交差部には立派な建物がある。かつてブルガリア共産党の本部だった建物だが、現在は議会の一部が入っているらしい。

右の白い建物がそう

 ぶらぶらと街を歩いていくと、路面電車の線路、そして黄色や緑の車体が見える。そう、ソフィアは路面電車のある街なのだ。私は路面電車が大好きだ。地元の石川県には路面電車がなかったせいか、なんとなく憧れがある。しかも、ソフィアを走る電車はどれもノスタルジックな色合いとデザインで、街並みとよく合っていてかわいらしい。
 これまでアルバニア、コソボ、北マケドニアと回ってきたあとにソフィアの街並みを見ると、整っていて美しく(落書きが多いエリアもあるものの)、いわゆる「西欧」の雰囲気とかなり近いように感じる。何よりも印象的だったのは、街をうろついていても全く視線を感じないことだった。特にアルバニアとコソボではかなり視線を感じたが、ここソフィアでは東洋人はさして珍しいものではないのだろう。

かわいいね~~~~~~

 ソフィアの街はかなり写真映えする。アテネ、ローマなど、歴史のある街はそこらじゅうに遺跡が残されているが、ソフィアもなかなかのものだ。ホテルと大統領官邸に囲まれた場所に教会が残されている。この小さな聖ゲオルギ聖堂は4世紀、ローマ支配下で建てられたもので、ソフィアで最も古い教会でもあるという。シェラトンホテルがあるくらいだから、この周辺には高級そうな店が多く、とてもではないが貧乏バックパッカーにはあまり縁のない場所だ。

奥がシェラトンホテル、写真には写っていない部分が大統領官邸

 散策の目的地は、ソフィアの目玉観光地、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂だ。さっきのシェラトンホテルから15分ほど歩くと、その印象的な金色と緑色のドームが見えてくる。ソフィアの街自体には派手な観光地が多くないこともあり、この大聖堂がソフィアのシンボルにもなっている。

50メートルの高さがある

 このアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、露土戦争で戦死した兵士を悼むために(ブルガリアはオスマン帝国の支配下にあったため、露土戦争によって解放されたのだ)建設されたという。だから、この聖堂はブルガリア正教の総本山でありながらも、中世ロシアの英雄であるアレクサンドル・ネフスキーを記念しているのだ。
 また、緑が特徴的な設計もロシア正教会の形式を反映しているように見える。ロシア正教、ウクライナ正教の建築物は白い壁に緑、あるいは青の屋根が印象的に用いられることが多い。日本においてはあまり馴染みのない建築であるが、青緑の屋根を持つ函館のハリストス正教会、より緑が鮮やかなキーウの聖ソフィア大聖堂、青い玉ねぎドームが美しいセルギエフ・ポサードの生神女就寝大聖堂などは知名度もそれなりにあるだろう。
 東方正教会において色は重要視されており、それは当然建築だけではなく、着用するローブやベストなどにも当てはまる。6パターンほどの色を用意し、儀礼に応じて変える必要があるという。正教会の屋根に用いられがちな緑は主に聖霊や永遠の命を表し、青は天国や聖母、金は神の栄光を意味するという。ペンテコステでは緑のローブが着用されるというから納得だ。

 中に入ってみると、かわいらしい外観とはうって変わって、荘厳な雰囲気の空間が広がっていた。高いドーム天井がもたらす縦空間は薄暗さで満たされている。その中で、蝋燭と豪奢な黄金の祭壇が光を放つ。目を凝らすと、壁一面が天井までイコンで埋め尽くされているのがわかる。世界最大級の正教会の聖堂だと言われるのもうなずけるほど、迫力があった。内部の撮影は別料金がかかるため行わなかったが、どちらにしろ写真では伝わり切らないだろうとも思う。しばらく壁際の長椅子に座り、ぼうっと黄金の光を眺めていた。

 聖堂を出たあと、公共交通機関の一日券を購入しソフィア中央駅へ向かう。地下鉄内も特に治安の悪そうな感じはなく、清潔でよい。ソフィア中央駅へ向かったのは、イスタンブールへの夜行列車、その名もボスポラス・エクスプレスの切符を手に入れるためであった。当日でも購入できるかもしれないが、やはり事前に購入しておいた方がよいだろう。
 地下鉄は綺麗だったのに対して、ソフィア中央駅は臭い。駅前に大きな共産主義ふうのモニュメントと、それを取り囲むように謎の建築物の跡があるのだが、明らかにそこからおしっこの匂いが漂ってくる。
 夜行列車の切符が購入できる窓口は一つしか開いておらず、おそらく同じ目的の観光客がずいぶんと長いこと占領している。かなり待ったあと、間違いのないようにメモに日付を書いて見せることで、無事切符を手に入れられた(窓口の女性は英語が話せなかったため、苦労した。英語ができない人を担当にしていいのか?まあいいか)。これで、イスタンブールへ移動することができる。

 まだ16時にもなっていなかったため、せっかくの一日乗車券を活かして、もう少しソフィアを探索してみることにする。旧共産圏の地下鉄駅はロシア、ウクライナ、ジョージアなど魅力的なものが多いが、ソフィアの地下鉄駅もすばらしい。建設されたのは最近のはずだが、駅によってはインターネットミームThe Backroomsを彷彿とさせるような、独特の雰囲気がある。

左下が一番かっこいい!青いライト最高

 もう少し旧共産圏の雰囲気を味わいたいと思い、数駅先の国立文化宮殿へと向かった。まるで一つ目の怪物のような、いかにもといった雰囲気の建物は迫力がある。共産趣味も満足したため、翌日の早起きに備えて、早めにホステルへと戻ることにする。

量り売りの店。苦手なのにレバーだと気づかず頼んだが、おいしかった!

2.リラとボヤナへ、リラックスできない車でボヤっとドライブ

 世界遺産であるリラの僧院は、ソフィアからの定番デイトリップスポットだ。しかし山の奥にあるため、自力でアクセスすることは難しい。おとなしくソフィア発着のツアーに参加して連れて行ってもらうことにした。
 朝早く起きてホステルを出る。集合場所でバンに客が詰め込まれていく。一人席に座ると、なぜか降りろと言われる。そして、運転席とガイドの間の狭い空間に座らされた。いや、気まずすぎますから!他にも一人参加の客はいたはずなのに、わざわざ降ろされてまで自分が選ばれたことに納得がいかず、乗車中はTwitterでも愚痴っていた。

 リラの僧院には3時間弱で到着する。山の中なので肌寒いが、なんとなく空気が澄んでいるような感じがする。門をくぐると、散々旅行写真で見てきた光景が目に入る。建物を支える縞模様のアーチは、どこかコルドバのメスキータを思わせる。解説を聞く他のツアー客はガイドについていくが、英語が分からないため自分はここで離脱し、帰りのバスの時間だけ聞いて自由行動をすることにした。

聖堂の周りを取り囲む僧房から。手前の花がきれいだ 

 ここリラの僧院はもとは10世紀、僧侶イヴァン・リルスキが創建し、ブルガリアの文化的、精神的中心となった。14世紀に地方君主フレリョ・ドラゴヴォラが再建したあとオスマン帝国の支配下で破壊を受けるが、その後も再建され、現在に至るまでブルガリア正教の重要な場所となっている。僧院のメインであり、多くの観光客がここだけを見て帰るであろう聖堂自体は、19世紀につくられたものだという。しかし、比較的新しいとはいえ、聖堂の天井と壁は見事な(狂気を感じるまでの)フレスコ画で覆われている。ここまで鮮やかで豪華なフレスコ画は世界中でもなかなか見られないだろう。

画面上部のドームには楽園追放の絵が描かれている

 フレスコ画は聖書の場面、正教の聖人たちの肖像、4本の川が流れる天国の様子、イサクの燔祭などが描かれている。創世記の楽園追放、受胎告知、また最後の晩餐など、聖書に詳しくなくとも理解できる場面も多い。あまりにも細かく描き込まれているせいで、一つ一つ見上げているとすぐに首が痛くなってしまう。
 フレスコ画には、天国や聖書の場面だけではなく、恐ろしい地獄もある。壁の最下部には、地獄の化け物に襲われている全裸の女性たち、鎖でつながれている人間たち、といったおどろおどろしい場面が描かれていた。

 聖堂の中は撮影禁止のため写真はないが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂と同様に薄暗く、蠟燭型のライトがいくつも据えられた黄金のシャンデリアが光を放っている。また、同じく金色の絢爛豪華なイコノスタシスには多くの聖人の姿が描かれている。自分はクリスチャンではないため無闇に近づくことは避けたが、熱心に祈りを捧げている人たちの姿が印象的だった。
 隣には鐘楼があり、美しい花柄が壁に施してある。聖堂以外の建物はどれも素朴でかわいらしい、いかにも「伝統的なブルガリア」といった雰囲気の姿だ。 

 ひと通り見学を終えると、ちょうど昼過ぎだった。山の中だが、ちゃんと昼食の当てはある。僧院の裏門を出ると、すぐに行列が目に入る。パン屋があるのだ。定番であろうパンだけを頼んでみると、揚げパンのようなものをそのまま渡された。みな砂糖をかけて食べているのでそれにならうが、確かにパン自体の味は薄いため、砂糖をかけてちょうどいいくらいだ。おそらくブルガリアの朝食としてよく食べられているパンだろう。

 ツアーはリラの僧院だけではなく、帰りにソフィア郊外のボヤナ教会(これも世界遺産だ)にも寄ってくれる。ボヤナ教会は小さく、外見もシンプルなものだが、そのフレスコ画は中世の東ヨーロッパ芸術のなかでも高い価値を認められているものだ。教会自体もおよそ三段階にわたって改築、付加されたもので、側面から見るとその境目がはっきりとわかる。
 内部のフレスコ画見学は、保護のために一度に入れる人数と時間が決まっている。ガイドに解説してもらうが、これも英語が苦手なせいで所々に登場する固有名詞しかわからない。フレスコ画は、中世の第二次ブルガリア帝国において首都タルノヴォを中心とした芸術運動のタルノヴォ派に属している。
 全能者ハリストス(キリスト)、福音書記者、またあとから調べたところ、4人の教父やさまざまな守護聖人などが鮮やかに描かれている。フレスコ画は確かに美しく、13世紀に描かれたものがここまで残っていることはすごいことだと感じた。もう少し知識があればもっと理解できたのに、と思うので、いつか再訪してリベンジしてみたいと思う。

3段階にわたって付加されている

 ソフィアに戻ったあと、急に日本食が食べたくなった。ラーメン屋を調べてみるが、やはり高い。ホステルの近くに中華料理店があったので、そこで甘辛いタレを絡めたチキンとチャーハンを食べたところ、あまりにもおいしすぎたので、さらにテイクアウトしてホステルのベランダでビールと一緒にいただいた。
 
3.オリエント前夜

 ソフィア最終日。2日前に予約していたイスタンブールへの夜行列車に乗るまでの予定を、まだ決めていなかった。郊外へ行ってみるか、それとも博物館に行くか悩んだが、後者をとることにした。夏のソフィアは暑い。夜行列車には当然シャワーなどはついておらず、イスタンブールのホステルのチェックインも13時以降のため、シャワーを浴びずに(汗拭きシートをフル活用して)観光することとなる。なので、なるべく汗をかかずにいたかったのだ。身体がベタベタすると狂いそうになってしまう。

 初めに訪れた旧共産党本部、また大統領官邸のすぐ近くにソフィア国立考古学博物館がある。お昼前にホステルを出たあと、そこでしばらく時間を潰してみることにする。
 ブルガリアの歴史を語るにおいて、外せないのがトラキア人の存在だ。アレクサンドロス大王に征服され、さらにローマ帝国に支配される以前の、古代ブルガリアにはトラキア人が居住していた。トラキア人は「黄金の民族」ともいうべき黄金文明を築き、現在も様々な黄金の装飾品や杯などが出土している。彼らは文字を持たなかったが、トラキア人に関する記録は『イリアス』や『オデュッセイア』にも登場するという。 
 また、ヘロドトスは『歴史』でトラキア人について以下のように述べている。独特の死生観を持っていたのだろうか。

彼らは子が生まれると、これから身に起こる不幸を数え上げ、悲しみ、涙する。また人の死にあたっては、永遠の幸せを得たとして喜び祝い、土に埋める。

 博物館の目玉、トラキア人の黄金のマスクだ。これ以外にも黄金の装身具がいくつも展示されている。展示室はブルガリアの歴史を古代から順に追うようなつくりになっていて、壁一面に当時のブルガリアの地図や解説が貼られている。英語は苦手なものの、なんとなく理解することはできた。トラキア人は騎馬民族であったことから、馬をモチーフとした土器なども多い。ブルガリアの世界遺産、スヴェシュタリとカザンラクのトラキア人古墳にも行ってみたいものだ。
 一階にはローマ支配時代の石像やレリーフなどが並べられていて、一つ一つ解説を読みながら見ていると意外と時間が経っていた。博物館を出て、ホステルに荷物を取りに行き、再び地下鉄に乗ってソフィア中央駅へと向かう。

 ソフィア中央駅の内部は無機質、かつ「共産」という雰囲気で、写真には写っていない壁の部分にも一面の“それっぽい”モザイクアートがあった。駅の横にはスーパーがあり、そこで食べ物や飲み物、なんでも調達できる。せっかく夜行列車に乗るのだから、酒は欠かせないだろう。しかし飲み過ぎもよくない。自分の適量(だと思っている)500mlのビールを2缶、夜食兼おつまみのラスクなどを買いこんで、乗車時間を待つ。

 ソフィア-イスタンブール間の夜行列車をボスポラス・エクスプレスと呼ぶのは先ほども述べたが、実は別にボスポラス海峡を渡るわけではない。イスタンブールはボスポラス海峡によってアジア側とヨーロッパ側に分断されているが、この列車はヨーロッパ側、それも中心地ではなく、そのかなり手前のハルカリ駅までしか行かない。あのオリエント急行の終着駅、イスタンブール中心部のシルケジ駅に着くわけではないのだ。
 しかし、それでもやはり夜行列車のロマンというものは大きい。ホームに停まる列車の表示を見るだけでワクワクしてしまった。明日の朝にはあのイスタンブールへ、ずっと憧れてきた文明の十字路に降り立つことができるのだから。

色合いも良い

 

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