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22夏旅行記⑨ フェティエの墓と廃墟の町で死者の声を聴かんとする

1.どうせ葬るなら高い所に頼むゾ

 デニズリからフェティエのオトガルまで、曲がりくねった山道を抜けて到着したころには、夜も遅くなっていた。ホステルのある旧市街まではタクシーで移動したが、相乗りした若い女性はクラブに向かったようで、露出の多い服でネオンの光る店に消えていった。

 トルコの沿岸部に点在するリゾート地のひとつが、このフェティエの街である。9月半ば、まだまだ夏真っ盛りの時期だ。ヨーロッパからバカンスでやって来た人々で街はにぎわっている。近くのオルデニズという海岸はパラグライダーの聖地でもあるが、今回の目的はアクティビティにはない。水着も持ってきていない。海に入りたくないからだ。久しぶりに寝坊した2日目の昼下がり、中心街から歩いて向かうは、岩窟墓だ。断崖絶壁をくり抜いて造られた岩窟墓が、このフェティエにはいくつも残っているのだ。

 これらの岩窟墓は紀元前3~6世紀に、当時この地に居住していたリュキア人によって造られた。リュキア人は現在のトルコ南西部、地中海沿岸に複数の都市国家を築き、ギリシア神話にも多く登場するという。かつては独自の言語を持ち、ヒッタイトやトロイアなどと同盟を結んだ時期もあったが、その後はアケメネス朝ペルシア、マケドニア、ローマと大国の支配を受けた。 フェティエに残されている中で最も大きなものが、このアミンタスの岩窟墓である。リュキア人は死後、魂が天に昇ると信じていた。「高い所に葬る」というのが重要であったらしく、位の高い人物はこうして岩窟墓を造ることができたのだ。

 墓の柱の装飾はイオニア式であり、建築様式からも文明の伝播が窺える。また、様式は異なれど、エトルリア(現在のイタリア半島中部)やナバテア王国のペトラ遺跡、そしてエジプトやインドといった広い地域で岩窟墓は発見されている。自分は専門家ではないから、どこまで連続性が見出されるかはわからないが、もし繋がっているのならばとてもロマンのあることだと感じる。

中はあまり広くなかったが、墓自体の高さは数メートルある

 一番大きな墓は、入場料20TLを払い、長い階段を上れば中に入れるようになっている。墓室には何も残されていなかったが、ここに身体が置かれていたのだろう、という段差があった。ふと振り返ってみると、地中海と街並みが広がっていた。青と赤茶のコントラストがきれいだ。墓が築かれた当時と比べ、ずいぶんと景色は変わっただろうが、この海の色はおそらく変わっていないだろう。こんなに眺めのいいところに葬ってもらえるのはうらやましい。

 フェティエの中心部からアミンタスの墓までの道には、特に解説も保存もされていない、名もなき石棺が並ぶ墓地が残っていた。また、道の真ん中にも大きな石棺が残されていて、通行の邪魔になっている。岩窟墓と同時代に造られたものかまでは分からなかったが、もしこれらもリュキア人のものなら、岩窟墓に葬られるほど地位が高いわけではなかった人々の墓なのだろうか。

 岩窟墓を見終わったあとは中心街に戻り、港周辺を散策する。スタバでチョコフラペチーノを飲む。天気が良い。かなり暇だ。暇なのでまた商店街を歩いていると、猫が何匹も集まっているところに遭遇した。暖かいリゾート地だから、猫も心なしか毛並みがきれいに見える。

 晩ごはんは適当に入ったレストランでケバブを食べ、スーパーに寄ってビールとポテトチップスを買う。パッケージのおじさんが良い笑顔だったのが決め手だ。スーパーにはいろんな種類のビールが並んでおり、トルコの有名な銘柄であるEFES、そして(本当はデンマークのビールらしいが)その次によく見るTUBORG、またハイネケンやコロナなど、よりどりみどりだ。この日はEFESとTUBORGの2本を買って、ホステルのテラススペースで飲むことにした。中のテーブル席に加えて、外に向かう形でカウンター席がつくられていて、一人で飲む人間にとってはありがたい。泊まったホステルはサクラ ホステル&パブ (Sakura Hostel & Pub)で、かなり快適で過ごしやすかった。

2.風が掃除をするように辺りを吹き抜ける

 次の日、フェティエのバス乗り場(といっても一見ただの店先)へ向かう。ここは別の都市に向かうバスではなく、フェティエ近郊、オルデニズビーチや今日の目的地、カヤキョイへ向かうミニバスの乗り場だ。特にリゾート地に興味があるわけでもないのに、フェティエを旅程に組んだのは、ロードス島へのフェリーへ乗るためであり、そしてこの廃墟の街を訪れるためだった。カヤキョイまでは片道18TL、30分ちょっとで到着だ。バスを降りたところには小さなカフェがあり、ときおり人とすれ違うとはいえ、道を挟んで反対側は明らかに生気がなく、ここから先が廃墟の町なのだとすぐにわかった。後で気づいたことだが、どうやら別のところにチケット売り場があり、本来はお金を払って入るべき場所だったらしい。

 カヤキョイはかつてLeivissiという名の町で、その歴史はかなり古くまでさかのぼる。隣の居住区にカフェやレストランはあるものの、町全体が廃墟になっている。かつては6000人が居住したとされるカヤキョイは、近現代のトルコにおけるギリシャ人迫害の歴史に翻弄され、最終的に住民が消滅してしまった町なのだ。住民の多くは迫害によって移住を余儀なくされただけでなく、残された数少ない住民も、ギリシャ・トルコ戦争後の住民交換条約によって、ギリシャへ向かわざるを得なかった。同様に、ギリシャからトルコ人も住民交換条約によってトルコへ戻ってきたものの、彼らがカヤキョイに入植することはなかった。迫害され命を落としたギリシャ人の幽霊が出る、と恐れられたからだという。

 そんなまさに「ゴーストビレッジ」のカヤキョイだが、天気の良い昼間に訪れたため、さほど不気味さは感じなかった。また、もう住民が消えて1世紀ほどが経っているため、ほとんどの家は構造のみ残り、生活感を感じさせるような生々しいものは何もない。時折観光客とすれ違うだけで、それ以外は静けさに包まれ、猫もおらず、ただレンガ積みの廃墟の中を風が吹き抜けるだけだった。
 町の中はアップダウンが激しく、おまけに石段がだいぶ崩壊しているので、かなり歩きにくい。しばらくあてもなく歩いていると、民家と比べると構造が残っている建物に行き当たった。どうやら小さな教会か礼拝堂のようで、外壁には十字架の刻まれた石がはめ込まれていた。

正面のくぼみに像が置かれていたりしたのだろうか

 さらに歩くと、特徴的な屋根の大きな建物が見えてくる。教会だ。先ほどの小さなものと比べるとかなり大きく、天井も高い。カヤキョイの中でも最も有名な教会で、何も残っていないとはいえ中はかなり立派なつくりになっているらしい。らしい、というのは、自分が訪れたときには立ち入り禁止になっていたからだ。
 教会を柵の向こうから覗くと、欧米からの観光客だろうか、カップルが教会の中にいる。草と石をかき分けてぐるりと一周してみるが、入口らしきところはない。諦めかけたところに、向こうからやってきた二人組が「この先から入れる」と教えてくれた。しかし、それはどう見ても高い塀を乗り越えての侵入口でしかなく、モラル的にも、そして怪我の危険を考えて、入ることはやめておいた。危険だからと立ち入り禁止になっているところへ無理やり入ることは、かつてこの町に住み、この教会で祈りを捧げていた人たちにとっても、敬意が欠けた行動であるような気がしたのだ。

 カヤキョイの中心部には古い城塞の跡が残っており、そこに上るとカヤキョイの景色が一望できる。隣の町の赤い屋根、そしてカヤキョイの灰色の廃墟のコントラストには、どこかぞっとさせるものがあった。灰色の遺構にぽっかりと空いた窓と扉の跡が、無数の目となってこちらを見つめてくるような感覚に襲われた。
 その後はかつてのメインストリートを歩き、かつての学校だった場所の横を通る。かつてはこの坂道を子供たちが駆け抜け、時には追いかけっこをしたり転んだりもしたのだろう。散策している途中は意識していなかったが、ひととおり見終えてバス乗り場に戻った時、自分がずっと息をつめていたことに気づいた。

3.港から港へ

 さて、カヤキョイからフェティエの中心部に戻ってきた後は、またもや街をぶらついた。宿の前のアーケードは賑わっているが、そこから細い道に入ってみると、一気に生活が見えてくる。港町らしくブーゲンビリアが咲いていた。鮮やかなピンクの花がこぼれ落ちそうな様だけで、一気に気持ちが開放的になる。

 フェティエには無料で入れる小さな博物館がある。多くの展示はリュキア人関連のもので、無料とはいえなかなかの見応えがあった。目玉はリュキアの遺跡であるレトゥーンから出土した石碑で、これはさながらロゼッタ・ストーンのように、3言語で文章が書かれているのだ。紀元前338年のもので、それぞれの面にリュキア語、ペルシャ語、ギリシャ語で法令の公的記録が刻まれているという。

おそらくリュキア語

 博物館を出た後、海沿いを歩く。ギリシャ行きのフェリーなど、交通手段としてのフェリーは少し離れた港から出るため、この海沿いに並ぶのはどれもアクティビティのための船だ。
 この日の晩ごはんもケバブにした。明日はギリシャへ戻るので、トルコの(本場の)ケバブはこれで食べおさめというわけだ。昨日食べたものが微妙だったので、今度は敢えて口コミの少ない、入りづらい雰囲気のローカルな店で食べてみた。結果的には成功だったといえよう。その後、またもやビールを2本買い、昨日と同じくホステルのテラスで夜景を見ながら飲む。本当はもっと飲みたいが、明日朝早くのロードス島へのフェリーに遅れるわけにはいかない。渋々フラフラになって就寝した。ほぼ毎日のように酒を飲んでいる気がする。

かわいいっ
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