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臓器も骨髄も角膜も血液も ~16歳 意思表示~


あなたは人に臓器をあげたいと思ったことはありますか?
これは初めて臓器提供に興味を持った15歳から、高校、大学、就職、転職、独立、結婚、出産、離婚などを経験し、新たに出会ったパートナーが腎臓移植が必要な人であったという15歳から50歳までの(現在も更新中)日記です。



■16歳

高校生になった私は「制服をきれいに着ているから」という理由で学級委員長になった。担任が最初はどの生徒も特性が分からないから、と、その理由で決めているのだそう。それが意外と外れないらしい。

中学の時はまさか委員長をやるようなキャラではなかった。中学は転校生という事もあって、目立たず大人しいキャラを演じてたが、途中から飽きて陽キャに転身した。風貌はいたって普通なのに、ヤンキーと呼ばれるグループのたまり場などに毎日顔を出していたため、先生から「あいつらを監視しててくれ」と頼まれたこともある。普通の子なのに彼氏がヤクザの組長の息子だったという事も関係していたのかな?ちょっとよくわからないけど。

そんな私が高校で委員長とか意外過ぎて面白いが、適応能力抜群の私はすぐに委員長キャラになった。そこで委員長とは「自分が悪くなくても、クラスの代表として謝る」という事を知った。初めは、え?私が謝るの??と思ったけど、代表とはそういうものだ、と数学の先生に言われて驚いて謝ったら、当事者から「私が悪いのに、本当にごめんさい!!」と謝罪されたことをきっかけに、なるほど、そういうシステムなのか。と急に悟った。

そんな感じで私は人より「気づき」が遅いのかな?と思うことは昔からよくあった。例えば、小学校のころ校長先生が朝礼で話し始めたとき、「校長先生の話すことがどんどん耳に入ってくる!これって私には予知能力があるんじゃ?!」と思ったけど、それが「耳が聞こえる」という事で、私にはありがたいことに聞こえる耳があったという事だ。そんなの当たり前だとみんなが思うことが私には驚きでしかなかった。「私は耳が聞こえる!では聞こえない人はどうするのか。もしも耳の聞こえない人と出会った時、私はいったいどのようにコミュニケーションをとればいいのか!?」急に不安になり、担任の先生のつてで手話の会に参加させてもらっていたこともある。これもボランティアとかそういう思いからではなく、単純に私は耳の聞こえない人と会話ができない!それって困る!という思いからである。

こんなこともあった。右足、左足、交互に出していたら前に進んだ。「永遠に繰り返していたらこれはどこまで行くのだろうか?これって永遠にどこまでも進んでしまうのではないか?!」というおかしな感覚になり、放課後どこまでも右足、左足、右足、左足、右足、左足・・・・右、左、右・・・と下を向きながらいつまで足が動くのか実験していたらとんでもない所まで行ってしまったこともある。

こんな感じで、おそらく人間の体に興味を持つということが、他の人より遅かったというか気になったというか。。。

そんな時に、テレビのニュースでやっていたのだ。脳死になったら臓器を提供しますか?拒否しますか?と。そんなこと「提供する」以外の選択肢があるのか??不思議だった。しかもそのことを「意思表示」するためのカードができたと。さっそく父親に「不思議だねぇ~拒否するってどういうことなんだろうか?」と聞いたら「お前はどうしたい?」というので、「私はもちろん提供する以外の選択肢はないので、もしも私が脳死になったら何から何まで提供してほしい」と言うと、父は言ったのだ。

「それはできない」と。

衝撃的な返事であった。
出来ないってなんだ??しばし固まっていると

「脳死というのは死んではいない。心臓は動いているんだ。その生きている娘の体を切り刻んで、臓器を取り出すなんて親として絶対にできない」と。

「私がそうしたいと言っているのに?」

私は不思議でたまらなかった。どちらかというと奉仕の精神の塊のような父親であると思っていたからだ。するとこうも言った。

「お前も親になればわかる」と。

この時の私は高校生なのでもちろん理解できず、この年から何度も何度も「もしも私に何かあったら臓器を提供してほしい。これが私の望みである」という趣旨の話をすることになる。





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