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臓器も骨髄も角膜も血液も~18歳 合格発表~


あなたは人に臓器をあげたいと思ったことはありますか?
これは初めて臓器提供に興味を持った15歳から、高校、大学、就職、転職、独立、結婚、出産、離婚などを経験し、新たに出会ったパートナーが腎臓移植が必要な人であったという15歳から50歳までの(現在も更新中)日記です。



■18歳

18歳になると、将来のことなど考えたりする時期に突入する。

昔から
「CMを作る人になりたい」
「ライターになりたい」
という漠然とした夢はあった。

勉強が嫌いで、高校にすら行く気がなかった私は
父親の

「いい高校に行けと言っているのではない。その高校で何をするかだ。例えばもしも一番低いランクの高校に行ったとしても、そこで生徒会長になれば、なにか見えるものが変わってくるかもしれない」

という言葉を聞き、まずは好きな高校を選べる立場になろうと、猛烈に勉強し、偏差値を9上げ、ある程度の高校に行くことが可能になった。
が、それでも市内で1.2を争う偏差値の低い女子高に行くことにした。

そこで、自分では思ってもみなかった「学級委員長」という役割を、
三年間することとなり、そのことにより、その後の性格が作られたのではないかと思う。

うちの高校は就職を前提とした学校だった。
全部で16クラスあり、
商業科・家庭科・普通科・特別進学クラス
に分けられている。

私はこの「特別進学クラス」にいた。
このクラスは1クラスしかなく、3年間クラス替えもない。
基本的に短大、大学に進学希望者のクラスだ。
ただ、短大の付属高校だったうちの高校は、進学と言っても
ほぼほぼ短大へ進む。

私は進学クラスにいたが、卒業したら「CM制作に携わる」か「ライターになりたい」と思っていて
これはどうしたもんか、と思っていた。
高校を受けるかどうか悩んでいた時も相談した、レコードショップの金井さんに相談すると「ライターは大学を出てからでもなれる」と。

たしかに。
金井さんの言葉はなぜかまっすぐ心に届く。

私は付属の短大ではなく、大学受験することにした。
さて、どこの大学にしようか。
「ライターになりたい」
と言いながらも、せっかく大学に行くのなら、と
英語の先生を目指すことにした。

私は目標ができると突っ走るタイプらしく、
高校受験の時のように、めちゃめちゃ勉強した。
塾へ行き、家庭教師をつけてもらい、友だちとの電話も断ち、
家族との外食にも行かなかった。

頭はいい方ではなかったので、行ける大学は限られていた。
その中でも「教育心理学」を学べるところを選び、
そこを卒業した先生がいたので、その先生に
どの学科に行けば英語の教師になれるのか確認し、
推薦で受検させてもらった。

受験番号は「0001」
試験会場は9割が男子だった。

東京での合格発表には父親についてきてもらった。
行きの新幹線の中で、膝の上の飲み物が下に「落ちた」
私がそれだけで途方に暮れていると、父親は
「全部落としてしまえばいいんだ!」
と、窓際の飲み物、棚の上の荷物、すべて床に落とし始めた。
「もうこれ以上落ちるものはない!」と。

最寄りの駅で降りるまでの間に、車窓から
なんと黒猫を8匹も見た。
もう絶望的である。
受かる気がしない。。。

落ちて悲しむ顔を見られたくない。

父親には東京までついてきてもらって申し訳ないが
大学の入り口で待っててもらうことにした。
そこからでも合格発表の貼り出してある場所は見ることができる。

私は一人で歩きだし、大きな合格発表の貼り紙のところまできた。
上から順番に番号を確認していく。

ない。

もう一度言う。
私の受験番号は「0001」である。
探さなくても、もしもあるとすれば一番上である。
この時父親も、思っていたそうだ。
「そんなに探すことはないだろう。
あるなら一番上だ」と。

私はこの受検、結構頑張った。
落ちるわけはないのだ。
あれだけ頑張ったのだから。
もしもなかったとすれば、可能性として、
それは見る場所を間違えているのだ。

自分に言い聞かせ、もう一度発表の場を見た。
私の学部は
「文学部 教育学科 教育学専攻」である。
私が見ていたのは
「文学部 教育学科 初等教育専攻」であった。

あっぶね。

場所を「教育学専攻」に移動して再度確認。

0001
0004
0007

あった!!!
あっぶね。

父親のところへ走っていき、無事合格を報告。
父親は「1番を確認するのにどうしてそんなに時間がかかるんだ!
もう絶対にダメだったかと思ったぞ!」
ごもっとも。

高校の担任にも電話したが、高校ではまだ4大の合格者はいない。
不合格者が続いていたので、担任の先生は私ももれなく不合格だと思い込み、電話に出てさえくれなかった。

私は4月から東京の大学に進学するため、
実家を出ることとなる。
そんなこんなで、私の大学受験は無事に幕を閉じた。
それ以来、黒猫は私のラッキーアイテムとなる。

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