見出し画像

初めて『スキ』をもらった気持ち

noteに登録をして3ヶ月目。

昨日初投稿をして、記事に初めて『スキ』をいただきました。

投稿から8分後についたスキの通知を見て、想像しなかった温かな気持ちで胸がいっぱいになり、思わずnoteを書いています。


私がnoteを始めた理由は…

このコミュニティを通して人と繋がりたい、反応をもらいたい気持ちよりも、『誰かに読んでもらう心づもり』で、文章を書く時間がほしいと思ったからでした。

人にわかるように言葉で伝える、ということは、まずは自分で物事の輪郭が見えていないと難しいです。

それはかぐや姫の顔よりおぼろげで、一人きりの部屋で向き合い続けるのには気が滅入ってしまうもの。

そんなとき、画面の向こうで自分の文章を読んで理解しようとしてくれている人がいると思うと、対面で話すのと同じく、相手に伝える言葉を冷静に考え、整理をしながら、内面を見つめることができるのです。


──見ている人がいるかもしれないし、いないかもしれない。
──書けなかったら投稿しなくてもいい。


ほどよく肩の力を抜きながら素直に書き進めていくうちに、今感じていることの輪郭が見えはじめ、モヤモヤしていた気持ちの整理ができています。


飾らずどんなことでも書ける場所、として日記を書く習慣はありますが、人に届けることがない文は、どうしても肝心な部分をはしょり、触れたくない部分は掘りさげずに、蓋をしたままの記憶も数多くあります。

無論、自分だけの引き出しに永遠にしまい込んだままでいいこともあり、痛む傷痕に無理に触れる必要はないと思うのです。

しかし日常の中でとめどなく感じていることを言語化することで、受け止めたり、噛み締めたり、労ったり。

それらを経て、ようやく自分の一部になっていくセラピーのような感覚も、書くことにはあると感じています。



noteに登録したのは、今年の1月でした。

登録したはいいものの、こんなどうしようもない心のうちを公の場で披露するのは恥ずかしい。
それなら全裸に靴下で歩く方がまだマシかも…とかなり気後れしてしまい、湧き上がる感情を連ねては、下書きに保存する毎日でした。

そのうちに、自分の記事のことを忘れてしまうほどに、皆さんの素敵なnoteに夢中になっていきました。

読めて、書ける場所がある。

例えるなら、のんびりと森林浴のできる温泉に入ったあと、冷たいハーゲンダッツをすくった時くらいに充実しています。
もし公開して誰の目に留まらなくても、充分かもしれないと感じていました。


そんな中、投稿した記事についた『スキ』を見た瞬間。

ページを開いていただいたことだけで嬉しいのに、ざっと読んでもかかる1、2分の時間をくださり、スキを押してくれたこと。

何ヶ月も投稿できず立ち止まっていたわたしに、『ようこそnoteへ。』『待っていたよ〜』と両手を広げて迎え入れてくださったかのように(勝手に)感じて、胸に込み上げるものがありました。


届くって、受け取ってもらえる相手がいることって、こんなにも嬉しいんだ。


高校生のころ書いていたブログで、心ない意見に傷つきたくないと妄想を膨らませ、コメント欄を閉じていたことがありました。

初めて欄を解放したその日、予想もしない数のコメントをいただいた驚きと、一人ひとりの言葉の温かさに感激し、何度も繰り返しコメントを読んだことを思い出します。


指先でなぞる小さな画面のなかに、限りなく広がるnoteという街。

顔も名前も、どこに住んでいるのかもわからないけれど、あなたの押してくださったスキがとても嬉しかったです。

ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?