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弱いままで許されて、愛されて、認められる場所。

まーた昔話でもしましょうかね。

久しぶりの #スナックSunao 、開店でえす🥂

いらっしゃいいらっしゃい。

(昼間っからスナック笑)



あれは何年前だったかな。

ある日の仕事終わりに、当時よく一緒に遊び歩いていた友人から

「芸能関係の人(※) と飲み会するから来てくんない?」

とLINEが入りました。


※ 具体的な職業等を詳しく書くと個人が特定できちゃう可能性もなきにしもあらずなので、「芸能関係の人」とぼんやり書かせてください


その日夜の恵比寿に集まったのは、ゴリゴリのパリピ女の友人と、その友達の芸人の男の子。さらにその男の子の知り合いのA氏(※前述の芸能関係の人)と、そして私。


そんな謎の四人でお話ししながら飲むこと数時間、A氏の知り合いたちが続々と合流。その後、タクシー二台で夜の西麻布に向かいます。

合流したのはタレント志望の綺麗な女の子が二名、なんの仕事してるかわかんないけどとりあえず六本木のタワマン在住のおじさん&その知り合いという「いかにも(夜の)港区」な匂いのメンバーでした。


その日の二軒目は西麻布の一角にある雑居ビルの中の、なんか会員制の薄暗い個室カラオケ的なお店。

場の空気がふんわり温まってきた頃、なんとなく流れというかフィーリングでA氏と私は意気投合するのですが……


そのA氏というのが、これまた非の打ちどころのないような爽やかな好青年でな。。

子どもの頃からの夢だったというテレビ関係の仕事を日々パワフルにこなし、女優さんをしているという奥さんとの間には小さなお子さんもいらっしゃって、都内の一等地に家を買ったばかり(当時)。

絵に描いたような「幸せのお手本」のような彼は人柄も明るく プライベートも充実し多くの後輩たちに慕われているようで、欠けているところなど何もないように見えました。


そんなA氏ですが、、

酔いが回ってきたのか、とろんとした目でこちらを見ながら こんなことを言ってきたのです。

「SMプレイの相手(セフレ)になってほしい」

「麻布十番にSMルームのあるホテルがあるから、今度一緒に行こうよ」


話を聞くと、奥さんとは別に そういうプレイができる関係の相手が常にいるそうで。

パートナー以外の相手との性の営みが善いとか悪いとか、世間では色々言われるとは思いますが、私には人の行いについて口を挟む趣味も権利もありませぬ。


ただ単純に自分の好みとは合わなさそうでしたので

「私はナメクジの交尾みたいなセックスが好きなので無理ですね…」

と丁重にお断りをしたのですが(断りかたの癖がつよい)、その後色々と考えてしまいました。ほーそうかあ…… 勉強になるなーって。

人の幸せって色々あるんだなーって。



想像でしかないけれど、

きっと家庭でも職場でもそれ以外の場でも、A氏は「いい夫」であり「いい上司・いいビジネスマン」、そして「いい男」なんだろうなって思いました。

自分の理想を叶えるために努力して、みんなの期待に応えるために頑張って。

好きなことを仕事にして、(嘘のない自分の欲望を見せることはできないけど)自慢の奥さんと “あたたかい家庭” を築いて、プライベートも充実して、人脈にも恵まれて。


彼の表面だけをすくい取って見ると、きっと多くの人の目には「好きな仕事で成功している上に素敵な家族もいて、超好青年で周りからも慕われる完全無欠の人格者」のように映るんだと思う。


でもなんかさ。

やっぱり人間って強くてきれいな部分だけじゃ生きてけないんだなあって。

A氏と話していて、すごく思ったんだよね。


どんなに強そうに見える人でも、

みんなが欲しがるようなものを なんでも持っているように見える人でも。


武器を降ろして鎧を脱いだ無力な自分のままで許されて認められる場所を、

自分の弱さやエゴや欲望や甘えをさらけ出しても否定されずに受け容れてもらえる場所を、

どんな人でも、求めてるものなんだなあって。


そんな究極的な安息の場所が、彼にとっては「どれだけ痛めつけても受け容れてくれて、そんな自分のことを一生懸命求めてくれる女の子たち」だったんだろうなあって。

かっこいい成功者である自分の頑張りの価値を認めてもらって称賛してもらえる気持ちよさと同じかそれ以上に、

嘘のない自分の姿を 求めてくれて愛してくれて包み込んでくれる存在を、抗えずに求めていたのかもしれないなあって。



これは弱音なんだけど

時々ね、社会という戦場で頑張ってる男の人にとっての救いって、「なんの責任も感じなくて済む、第三者の女」なんじゃないかって考えが頭をよぎることがあるんだ。


本気で惚れた相手にほど、触れさせることに臆病になってしまうような

〝 男のプライドの奥にある、何かとんでもなく柔らかくて愛すべきもの 〟

みたいなのがあるんじゃないかって。(うわ、書いてて泣きそう)


パートナーに “ちゃんと” 大切に思われてるときほど、そんな「なんの責任も感じさせない第三者の女」には ある意味宿命的に敵わないんじゃないかって、謎の被害妄想を抱くことがあるよ。

どっちの立場になることもあるんだけどね、なんかふと、そう思うときがある。


それで、自分にとって何が幸せなことなのか、一瞬わからなくなったりする。

そんなことであれこれ思い悩んでも無意味だってわかっていても、時々ね🥱

弱さもかっこよさも、全部わたしにしか触れさせないでほしいなんて、欲張りなのかもしれないけどね。


まー他人のことなんぞ頭の中で考えたところで一生わかりっこないから

ぐるぐるモヤモヤ考えた末、結局私は自分の気持ちのほうに視線を戻すだけなんだけどね。


そんな感じで、今も昔もさまよいながらもとりあえずぎりぎり人と関わって生きてますわって感じです。

あーなんか、人間って色々おもしろいよねーって感じで本日のnoteは以上となります。

お付き合いどうもありがとうございました!




過去記事の玉手箱たち⇩(個人的に特にお気に入りのnoteをテーマごとにお詰め合わせしました🎁)、多くのかたにお受け取りいただけてとても幸せに思っています。

(現在は3種類の玉手箱をご用意しています🧸)


だれかが道に迷いそうになったとき、孤独を感じたとき、ひとりで泣きたくなったとき。

ここに残した言葉やメッセージたちが、ぎゅっと隣りで手を握って差しあげられるような存在となりますように。



こちらもよろしくです🦥

「自分を好きになる」の、その前に。基本の書。


最後までお付き合いありがとうございました。

それではまた〜。



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