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からだを通して、自分と繋がる。

今日はちょっと踏み込んで「性と自己受容」ということについて書こうと思います。

性について書く度に、目に見えてフォロワー様が減ったりもするのですが、

今日という今日は本当にスキがゼロでもいいと思って書きます。

それでも書きたい。。どうしても書きたい。ここで書かなかったら私じゃない。


性についての話は受け止め難いというかた、性について嫌悪感や気まずい思いのあるかたは、

今日は無理せず、また他の機会にいらしてくださいな。

(お付き合いくださるかたは性別問わずウェルカムです)



今、このアカウントには800名を超えるフォロワー様がいらっしゃいます。

実際にお話しをしたことのあるかたも、何名もいらっしゃいます。


たくさんのフォロワー様のうち、はたしてどれだけのかたが読んでくださっているのかは不明ですが、

フォロワー様10名の時でなく、100名の時でもなく、今だからこそ このことをシェアしたいと思います。


***


日本の社会で生きる “女性の身体を持った人類” にとって、最大級にタブーな場所って、どこだと思われますか。


答えは色々あるとおもうのですが、


わたしは、「膣の中」ではないかなと思うのです。


自分の身体で、最も愛しづらい場所。

愛してると言いづらい場所。

忘れられた場所。


おそらく、日本人女性の身体の中で、一番孤独を感じている部分なのではないかなって思うんです。


わたしはね。それじゃあおまたがかわいそうだよって思うんです。

仲間はずれにしたらかわいそう。



膣の内部を自らの手で撫でてあげたことは、ありますか。


「膣を撫でる」と聞いたとき、どんな気持ちになりますか。


「膣を撫でる自分」を思い浮かべたときに、どんな気持ちになりますか。


「膣を撫でるという言葉を発する私」に対して、どんな気持ちを抱くでしょうか。


「頭を撫でる」「頬を撫でる」「おなかを撫でる」などと聞くのと、何かが違うと感じられるかもしれないのですが、いったい何が違うのでしょう。


これが、性にたいする(わたしたち個人だけでなく、おそらく集団的な)心のブロックであり大きな誤解なのですよね。


膣にたいする気持ちって、 自分をどれだけまっすぐに受容できているかのバロメーターになるのではないかなとわたしは密かに思うのです。


「膣を撫でる」って別にフツーだし、いかがわしくねーよ、汚くねーよ、やらしくねーよ、下品じゃねーよって思うんです。

自分の膣を馬鹿にすんなよって、怒りと涙すら込み上げてきます。

(おまたの話になるとつい熱くなってしまいごめんなさい)



「わたしは自分を大切にしています」って思っていたとしても、

膣や生殖器の存在を排除しようとしたりモヤっとした思いを持っていたら、ちょっと寂しいよなっておもうんです。


自分を大切にしているつもりなのに、冷たい孤独感や無価値感が消えないという人がいるのなら、

それは膣の訴えている気持ちなのかもしれません。



これは私だけかもしれないのですが、自分の名前を呼びながら、自分をいたわる言葉や自分にたいする愛の言葉を伝えながら、

(頭を撫でたり、愛しい我が子をなでなでするのと同じような要領で)膣の内部を愛を込めてヨシヨシするとき、

性的な快楽とは全く別物の、涙が溢れて止まらなくなるような安心感と、何か大きなものに包まれているような深い安堵をわたしは感じるのです。


身体のほうも、こちらの気持ちにはっきりとした形で応えてくれます。

まるで独立した意志のある生命体のように、膣が指をきゅううっと抱きしめ返してくれるのです。


このとき自分自身との一体感を感じて歓喜と安堵の涙が流れることもありますし、

平常時には体験できないような深い瞑想状態(この意識状態を何と呼ぶのでしょうか…?)に入っていくのを感じたりします。


膣というのは、自分への言葉が一番伝わる場所だとわたしは感じています。

「ごめんなさい」でもいいでしょうし、「だいすき」でも「ずっと一緒にいよう」でもいい。自分の名前を、愛を込めてただただ呼びかけるだけでもいい。

自分が言われたかった言葉を、自分の心に一番届けてくれる場所。


抑圧された感情は生殖器に溜まると言われます。

インナーチャイルドって、子宮のあたりにいると言われていますよね。

(男性は丹田かな)


そこに直に繋がる器官だから、なのかな。

そう考えると本当に、自分の抑圧感情やインナーチャイルドとの対話がダイレクトに出来る場所なのかもしれません。

もしくは(ちょっとスピリチュアルですが)、子宮=宇宙と考えると、膣は宇宙と繋がっている場所とも言えるのかもしれません。

※わたしは宇宙は体内にあると解釈してます。



わたしはこう思うのです。

膣との和解は、自分との和解。

「膣と和解せよ」と。


多くの女性にとって、膣は「忘れられた場所」なのかもしれない。

でも、だからこそ膣は「忘れていた自分自身と再会できる場所」でもあるのですよね。


私がアホみたいに自尊心(自己受容力)が高いのって、自分の膣様と仲良くなったからだとしか思えないんですよね。

こんな神秘的な凄い器官を与えられている自分の身体を、崇めずにはいられなくなる。

自分にたいして、謙虚になるしか出来なくなる。


自らの手で膣の最深部に触れて、泣きながら自分に懺悔し愛を誓うとまじで人生変わります。

これ以上もう言うことはないので、明日からnote書かないかもしれません。


と言いたくなるくらい、今日書いたことが私の全てです。


自分ひとりだったらこれ書こうと思うまであと5年くらいかかっていたかもしれないので、きっかけをくれた詢川 華子さんには心から感謝です。

この度は素敵な企画をありがとうございました。(しつこく参加してゴメンナサイ)


自分からの愛と優しさと、歓喜と安心で満ちた幸せな膣が、子宮が、この国にたくさん増えていきますように。


なんて大きなことを言ってみたものの、

わたしが幸せになって欲しかったのは、本当はただひとり、

わたしを育ててくれていた頃の、わたしのお母さんの膣だったのかもしれません。


ご清聴どうもありがとうございました。



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性の受容&女性性開花特化BOXです。 女性性とは生命力であり、現実を生み出すチカラのこと。 自分の中の性・感受性に絡まりついた罪悪感や被害…

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