マガジンのカバー画像

noteとかblogとかSNSについてとか。その他雑感。

47
運営しているクリエイター

#心

心を震わせるとか、自分の欲に恋をするとか。

前回に引き続き、本題の前にお礼から申し上げたいのですが 先月から動かしはじめました『本当のわたしが花ひらく 🪷 性なる自分爆開花メソッド』、マガジンに登録してくださったかたはほんとーにありがとうございます。 とっても励みになっております。 それから最近、このアカウントをフォローしてくださるかたが(珍しく)増えていてとっても嬉しいです。 そこで今日は少し早めのホリデースペシャル🎅🏻🎄ということで、 わたくしが常日頃コンテンツづくりとか ものづくりをするときに、一応クリ

手放すと爆上がりの法則、アゲイン。そして一緒に人類にモテませんかのお誘い。

タイトルがすでにカオス。 まあ良いでしょう◎ 気にせずいきます。 *** 昨日も書いたけど、最近どーんと落ちるような体験があって、 「わたしは試されているのか???」 「試されているのだとしたら、わたしはそこから何を掴めばいいのだ???」 って考えてたんですけど。 そこでぱーん!と出てきた答えのひとつが、 「人類に愛されることをそろそろ自分に許したらいいんじゃないか」 ということでした。 ちなみにタイトルの『手放すと爆上がりの法則』の元記事はこちらです。

今年も来年も、ブレないしょぼさで生きていく〜2021年、誠にありがとうございました〜

おかしいですね。。 ついこの間ハッピーニューイヤー♡と言っていたばかりなはずなのに、もう2021年が終わっていこうとしています。 2020年のステイホーム期を経て自分の幸せとは何かということを再考し、『わたし基準』の最適な睡眠時間を軸に生活を立て直した2021年。(わたし氏、睡眠が何より大事マン) いやなことを全力で回避して、楽しいこと・幸せなことに時間(命)を遣おうと決めて過ごした2021年。 一瞬で過ぎてしまったように感じられるのは寂しくもあるけれど、よく寝てよく

『泣いてもわめいても、願いが叶うことから逃げられない』

今年の5月25日に公開した『もっと見つめ合えていたなら』という記事があるのですが。 その記事の中で、私は私自身について「これまで目と目を合わせるコミュニケーションからずっと逃げてきたのかもしれない」というふうに書きました。 “ 単純に恥ずかしかったのかもしれないし、幻滅されることが怖かったのかもしれない。自分を知られるということに耐えられなかったのかもしれない。” だから相手を大切に思うようになればなるほど、真っ直ぐに目を合わせるということを避けるようになってしまってい

「自分軸で受け取ること」に関してと、モヤモヤや焦りへの予祝について。

先日スタートした定期購読マガジンですが、ご購読くださった方々から早速あたたかいフィードバックをいただいています。 そのお声の中に「自分にはできない」という率直なご意見もありました。 これは改めてお伝えしなければなあと思ったのですが、 もし私を含む “発信者” の発言に違和感を覚えたり「合わないかも」とお感じになったとしたら、それは ご自身のその感覚が正しいです。 なので、一度登録しちゃったから… などと気を遣われずに 無理せずいつでもフォローも配信も解除していただけれ

あなたとわたしの世界が交差する。タブーの先の約束の場所で。

8月初旬のある日のこと。 私はうきうきと胸をはずませながら、東京・赤坂にある某ホテルのラウンジへと向かっておりました。 noteで出会い仲良くなったお友達と、フォロワー様【ダブル】1,000名記念のお祝いをしようと待ち合わせをしていたのです。 ダンジョンのように広いホテル内で(予定通り)迷子になり遅刻しそうになりながらも なんとかいい感じの時間前に到着し、予約の席に通されます。 その直後。すみれ色のマキシワンピースをエレガントになびかせ 待ち合わせのテーブルに颯爽と現

遠慮の殻を破ってみたら、新しい世界が広がってきた。

先日初めて、noteで副業のアクセサリー作りについて書きました。 あたたかいコメントをお寄せくださった方々、また実際にShopのほうにいらしてくださった方々、ありがとうございました。 なんで今までちゃんと触れてこなかったのかというと、アクセサリーが作れてしまうことに無意識でコンプレックスを感じていたからなのだと思うのです。 同じように、こうして文章が書けてしまうこと、ピアノが弾けてしまうことにたいしても、どこかコンプレックスというふうに捉えてしまう自分がいました。 (

noteをはじめたばかりの頃のわたしさんへ。

noteをはじめたばかりの頃のわたしさんへ、2年後の2021年の私から お手紙をかきます。 ノリとときめきで書きはじめたものの noteの右も左もわからなく、「フォロー」「スキ」などの概念もよくわかっていなかったあなた。 自分が書いたものを誰かとわかちあう幸せを夢見ていたけど その叶えかたもわからずに、それでも書くことにだけは一生懸命だったあなたへ。 あなたが 祈るような気持ちで一生懸命書いた『優しすぎて生き辛い人のための自分軸の作り方』。 近所のカフェにこもって、ド

「願わくは、この文章が誰かの孤独に届きますようにと」

「図らずとも共感されてしまう文章」って、 “授かる” もしくは “託される” ような類いのものだと思うのです。 だから、頭でイロイロ考えてりきんで書くものではないとは思っているのですが。 ただ一応、文章という形で発信をする際に頭の片隅に入れておいて損はない基本のき的なテクニックというものもあったりするので、今日はそのことについてシェアしたいなと思います。 ここからは、わたくしの有料記事【 書くことで新世界の扉が開かれる『ハートが歓喜する愛と至福のblogメソッド』】の袋

生きててくれたらそれでいいのよ。

私は自分にたいして、「生きててくれたらそれでいい」って思っています。 欲張りかもしれないけど、できれば幸せでいて欲しいなとも思ってる。 これは人にたいしても同じで、根底にあるのは生きててくれたらもうそれでいいし、できたら幸せでいてくれたらいいなっていう気持ち。 距離が近くなると、どうしても色んなことを求めてしまうのだけど、「生きててくれたらそれだけで最高」っていう気持ちを誰にたいしても忘れたくないなって思う。 一時的に縁が途切れたように思える人のことはなおさらそう思う

必死な姿を隠さないということ。(自分的note活動のコツとかそういう話)

誰だって、自分のかっこわるい姿を人様の前で晒すのはいやですよね。 悩んでいる姿、葛藤している姿、怖がりながらも挑戦する姿… ならまだしも、 誰かに嫉妬している姿や目論見がはずれて失望している姿、上手くいっているように思えたのに突然壁にぶつかってげっそりしている姿など、できれば誰にも見られたくないものです。 これは私たちが比較・競争社会のなかで生きてきた名残といいますか、「涼しい顔で凄い成果を出すことが正解」という意識が今でもまだまだ染み付いているためなのかなと思うのです

自分以外にはなれないのよね、な話。

先日、noteのお友達の方々とオフラインで集まってお話しをする機会をいただきました。 遠足みたいでドキドキしたあ! いつもnoteを拝読したり、リモートでもお話しをしたりしておりましたが、 その上で実際にお会いして顔を合わせて話すというのはやはり格別ですね。 なんだか夢を見ているような、すごい時間を過ごすことが出来ました。 待ち合わせの場所は、横浜は元町。言わずと知れた洗練されたおしゃれエリアです。 そしてお会いするのは、もういくらでもお話ししていたいと思うくらい

noteを書き続けて1年で見えた世界について。

先日、このようなお知らせが届きました。 noteをはじめて二年が経ったそうです。おめでとうございます。 とはいえワタクシは一度離れた出戻り組。ちゃんと腰を据えて更新をするようになってからはちょうど一年です。 いい機会なので、今日は「noteを続けていたら起こってしまった素敵なこと」「noteを書き続けて一年で見えた世界」について書いてみようと思います。 *** noteをやっていて一番よかったなあと思うのは、「夢を語り合える魅力的な大人たち」と出会えたこと。 本当

心で結ばれるご縁が生まれるとき。

“世の中には「縁は有限である」というメッセージがたくさんたくさん仕掛けられています。 でも実際はそうではありません。 自分という存在にたいして自分の心を開いていくことによって、出会いは無限に生まれるものなのです。” これは先日公開いたしました「書くことで新世界の扉が開かれる『ハートが歓喜する愛と至福のblogメソッド』」からの引用です。 この文章の構想を練っていた段階では、この先自分の身に起ころうとしている事件のことなど、わたしは予想だにしておりませんでした…。 同