見出し画像

8月31日に私は雇い止めになる。

8月31日に、6年勤めた会社との契約が終了になる。

雇い止めになる予感はしていた。
直接言われるずっと前、3年前から私は、いつかこういう日が来るのだろうと予想していた。

原因は、コロナの影響もなくはないだろうが、はっきりしている。
一言でまとめると、わたしは明らかに会社員に合っていないからだ。
※そのあたりの価値観は以下に詳しい。

直近1年は諦めていたから、それまでの2年間。
仕事を自分で作ってまじめに、そして、きちんとアウトプットも出して頑張っていたと思う。(時が経つとともに、その記憶も薄れかけているが)

自分が自分で立てた目標にはどこまでも頑張れるのだが、人が掲げる目標にはどうにも興味すら持つことができなかった。
他者やチームの価値観を理解できるが、共感や具体的なコミットメントができない私の性質は、明らかに会社員向けではない。
面接を1年以上受け続けても受からなかったのは、当然だろうと思う。

なので、雇い止めの話を告げられた時、心の一部分は「ほっ」っと肩の荷が下りた。
これ以上、普通な人生を歩もうとするのは向いていないんだから、諦めたほうがいいと言われた気がしたからだ。

しかし、一方で、私にはまだフリーランスで活躍できる力もないし、ましてや起業するにもビジネスモデルもまるで思いついていない。
そして、フリーランスであっても起業であっても、人の関わりはどうしても逃れられない。
ここ2年、原体験も含めればここ4年、わたしは(チームで)働くことに、まったくポジティブなイメージを持つことができなくなってしまった。社内の人と関わりをもつと、蕁麻疹や発熱がでてしまうほどにストレスだった。

閉塞感を感じていた時に、コロナで強制的に自粛を求められた。
在宅の勤務ができたときは本当にうれしかった。人と会わないことがこれほどに楽なことだとは思わなかった。

前に書いた通り、これまでの生活でかかわった人たちの中でも、いまも応援したいと願う人はいる。関わり続けたい人もいる。
しかし、1人の時間をもてて、前々からやってみたかったブログや動画の制作ができたのは、本当に得難い経験だった。
自分と向かい合えて、なおかつ、それを行動に移せた期間を不意に得たのは、本当にありがたかった。


これから先のお金の不安はもちろんある。特にわたしの性質はコロナ後にも会社的に得のあるそれではない。
しかし一方で、これまでのストレスから解放されてほっとした側面は確実にあり、新しいチャレンジもできた。

この不安・絶望と安堵・希望で、わたしはいまだに揺れている。
社会的にまともでないといけないと思う私と、もう許してあげたい(ほしい)私がいる。

相反する気持ちを抱えたまま、それを解消できない程度には心が疲れてしまった。
私は一度休んでしまいたい。
休んだ先に何があるのかはさっぱり見えない。確からしいものは何もない。
それでも、休もう。理性と罪悪感が咎めても、休もう。

休み明け、私は何か変わっているだろうか。チャレンジしたいものがあるだろうか。笑っているだろうか。

お金を稼ぐということが大変だということを最近実感しています。サポートいただけると幸いです。