「気にしない」から「諦めてしまう」へ
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台風が酷かったですね。
いかがお過ごしだったでしょうか。うちの近所でも、大雨が降りました。幸い、自宅近くは、川や山が近くにないので、洪水やがけ崩れなどの心配はないので、ありがたかったです。
読んでくださったあなたが、被害や影響が、無い、あるいは少ないといいのですが。
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ちょっと、前に書いていた文章が、あまりに、独りよがりで、ちょっと、病んだ内容だったので、引っ込めさせていただきました。
不快な思いをさせた方がいらっしゃったら、すみません。
自分だけが読むとか聞くのならともかく、不特定多数の方が読む可能性があるもの、というのを時々、忘れてしまうことがあります。
慣れというものは、恐ろしいですね。
SNSを始めたばかりの頃は、いろいろ注意をしていたことなのに。
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慣れとは少し話しがずれるのですが、誰かに何かを伝えるとか、何かをやり取りする時に、情報以外に、感情みたいなものが、ある程度通じているか。
ネットもリアルも含めた人間関係において、そこの所が、自分は、ちょっと、雑というか、諦めるようになっていたのが、良くないなあと、思ったのです。
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どうせ自分の感じてるものは、通じにくいから仕方ないと、まるっきり諦めてしまうのも、なんか行き過ぎている気がしたのです。
自意識過剰で身動きが取れないのも困るのだけど、まるっきり諦めてしまうと、何かを伝える伝え方が、雑になっていくし、人間に対する優しい気持ちが無くなっていってしまう。
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何かを伝えるのは、自分の技術とか、伝えるタイミングだけでなくて、相手の状況とか、気持ちのゆとり、気分もあるから、過剰に考え過ぎてもいけないです。でも、なんか、「相手が求めていることや発信していることを、きちんと聞いているか、ということや、自分も、相手に内容がわかりやすい形で伝えようとしているか」、ということを考えたとき、どこかで諦め始めていました。
「どうせ、アクセス数も少ないし、読まれない、聞かれない」という前提で、何かを伝え出すのです。
「気にしない」というのと「諦めてしまう」というのは、似てるようで、全然違う。
私の場合は「気にしないようにしよう」が「自分への諦め」に繋がってしまい
「通じない可能性ばかりじゃなくて、少ないことでも何か通じる可能性もあるんだ」
という意識すら、無くしていってる感じでした。
「自分への諦め」は「相手への諦め」にも繋がってしまう。
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私まったく諦めてしまっていたら、何か伝えること自体をやめてしまうと思うのですが、そこまででなくても、私は、凄く「絶望や無力感の匂いがする内容や伝え方」をしていたなあと思って、ちょっと、反省したのです。
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