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【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 百年の孤独をゆっくり読む暮らし 6月26日~7月2日

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。もうそろそろ第二詩集制作過程に入り、だいぶわたわたしています。でも、出版する前に大変なのは詩人ならみな同じ。深呼吸しつつ、これからに思いを馳せます。

6月26日 sun

第二詩集に関して編集の方のメールを見つつ、これからの詩集の創作作業を考えていきました。
二回目とはいえ、慣れないものです(笑) 
前の詩集がインカレポエトリ叢書で少し特殊だったからというのもあるかもしれません。でも、恩師の先生から、もう一人前だとおっしゃっていただき、インカレポエトリを卒業させていただきました。詩集は生き方をまとめることで、その出版は相当に勇気が要ります。
わたし自身は応援してくれる家族や友人がいて、そういう人々とのご縁を作っていったり切り拓いていけたからこそ、今は「よし、いい本をいい本とちゃんと自信を持って世に出す!」と決意を固められました。
そのくらい自信を持たないと、本の出版はできないようにも思います。
でも、不安なところがもちろんあっていい。わたしはまだ若いこともあります。
編集の方、出版社の方、帯を書いてくださった方しか、わたしの原稿を知りません。でも、「『フレア』はいい本になります!」と断言してくれた方々に、なんとお礼を申せばいいのかわからなくもなります。
そして、新しく本が出るよと伝えて、「出版おめでとう!」とメールしてくれた友人たち。ありがとう、本当にありがとう。
いい本を出すからね。がんばっていくね。

百年の孤独をゆっくり読む暮らし day8

第6章を読む。
たった4行で35年の時間が経ってしまったことにびっくりする。
そろそろウルスラもいい年なのだけど、きちんと母としてふるまって、自分の産んだ子の過ちが戦争だったことに本当に恥を感じているらしい。
そうだろうなあ、と思う。
彼女にとっても、そして平和を愛する人にとっても、アウレリャノ大佐が抱いていた何ものかは謎だし、とにかく好戦的だと思う。
何を抱き、何を求め、生きていくのか。
そういうことを考えた。

6月27日 mon

今日は2週間ぶりのラウンジシェアオフィス。集中してやりたい作業があったため、がんばろうと思います。
今は、詩の冊子をイラレで作っています。フリー詩誌にするつもり。物販イベントへ向けて、個人的にではありますが企画が進行しています。
今はお話しできないかもしれませんが、様々な物販イベント、地域イベントに出て、色々な出会いを持ちつつ、色々なものを売っていきたいと思います。自分の手から自分の文章が売れる喜び。決まりましたらご報告しますね。

朝見た紫陽花。涼やか……。
ラムネを差し入れたらポップを作っていただきました!
ありがとうございます。


百年の孤独をゆっくり読む暮らし day9

第7章を読む。
やっと、本の半分に近づいてきた。
ウルスラの涙ぐましい母であることの愛情などをひしひしと感じる。
どんな過ちを犯したとしても、息子は息子で、彼女の愛する人なんだろうなと思う。
でも、過ちは過ち。それにかかわる人間模様と、そして下される罰について、ふと立ち止まって考えたりした。
人が生きていくということ。「何かのために戦っている」ということ。

6月28日 tue

今日は家作業の日。わたしは毎朝4時ごろ起きてスマホのチェックをして、5時ごろ散歩にでかけ、6時に始業しています。
最近はシェアオフィスにでかけるようになったので、9時からは火曜以外の平日はなるべくそちらで作業をするようにしています。
なるべく家と作業場所は違う方がいいと思うのでそうしています。
今日は作り置きの日とナイスな移動図書館が近くの公園に来る日。
新作を1編同人誌に寄稿しました。スラックって便利。
明日はシェアオフィスで15時くらいからコーヒーイベントが行われます。オフィスのイベントに出るのは初めてですが、楽しみです。

アイスパフェ。暑いのでローソンから帰る前に食べました。
何気ない幸せを忘れないよ。


・角野栄子『「作家」と「魔女」の集まっちゃった思い出』角川書店

書影の装画が松本大洋さんで、思わず手に取ってしまった本なのだけど、とっても面白いです。
角野栄子さん。『魔女の宅急便』シリーズでわたしも小さなころからお世話になりました。どんな方なんだろう、と児童文学作家さんには興味津々なのですが、彼女も「戦争」を小さなころに体験していて、それでも家庭はあたたかな方でした。
この本はそんな角野栄子さんのエッセイ集。小さなころからや魔女取材、旅に渡ってありとあらゆる角度で「おまじない」であったり、「異界」との接点をやわらかな文体で書き上げています。とても魅力的な方でした。いつかお会いしたいなあと思います。

・おいしい文藝『ちょこっと、つまみ』河出書房新社

学生時代は恩師の先生やゼミ・サークルの関係で飲みに行くことが多かったのですが、今はビール缶(中くらい)を半分飲んだら真っ赤になってしまって恥ずかしいので飲んでいません。
健康には悪いのだけど、おいしいんだよねえ。お酒も、おつまみも。
いきなり梅雨も明けてしまって、これからビールの季節、なんてしゃれこみたいのですが、わたしにはそうはいきません。
でも、おつまみは炭酸飲料に合いそうだなあと思いながら読んでいました。
「おつまみ」は少量で満腹になれる、高カロリー高脂肪のものが多いのだけど、それが日々の豊かさにもつながってくるならいいよねと思ったりもします。おいしそう、数々の文人たちが愛する「つまみ」に関するショートエッセイ集です。

・原田マハ 高橋瑞木『現代アートをたのしむ――人生を豊かに変える5つの扉(ドア)』祥伝社

アーティストを「表現者」と翻訳するならば、わたしは「表現者」になりたいとずっと思っていました。
実はこの本を読む前に雑誌『俳句四季2022年4月号』の千倉由穂さんの俳句評(論考の方が近いかも)を読んでいて、「前衛とはなんだろう」とずっと考えていたんですね。
もちろん詩歌だってアートです。受け継がれるすべての「藝」というものが「芸術」のように感じる。人の心に寄りそう、といった意味で、そしてそうでなかったとしても、現代アートのある暮らしはいつもより数段豊かな気がしています。
なくても立派に生きていけるけど、あったら人生が豊かになる。
これは間違いのないことで、そういう意味でも原田さんと高橋さんの対談は大変考えさせられました。

・姜尚中『漱石のことば』集英社新書

今どきのことばでいえば、「やばい人」。わたしはよくも悪くも、漱石をそうとらえています。作家として、小説家として、俳人としてはとても素晴らしい人ですが、その作品を生み出した彼はものすごい性格と繊細な神経の持ち主で、家庭では苦労したひとです。
でも、彼が予見していた「未来」だとか、見ている「人間」の像には一点の曇りがなく、むしろクリアに普遍的なものを予見していたのだなと思います。文豪のなかの文豪です。
そして、彼に助けられた、という人は姜尚中さんだけでなく、たくさんいるようにも思います。
ある課題図書の一冊からこっそり読んでいたら、救われた一行。
そういうものを持っていた青春って、悪くないような気がする。わたしにとってそれは太宰治のことばだったのですが、まあそれはのちのちの出会いがあることを期待して。
姜尚中さんが選ぶ「漱石名言集」。彼の作品の内にも、彼が時代や人間をどうみていたか、日本を、世界をどう俯瞰していたのかを捉えることができます。

・細谷正充編『まんぷく〈料理〉時代小説傑作選』PHP文芸文庫

時代小説と季節、そしてそれに伴う「料理」は豊かであればあるほどよいと思います。
現代のわたしたちは、時間と日付と気温などは気にしているけれど、「暦」と暮らしているかというと、時代小説のなかの登場人物とはまた違うのかもしれない。
でも、「おいしいものを食べたい」と思ったら材料から見るのがいいんですよね。旬の食材ほどおいしいものはないし、夏だから水ようかんが食べたい、それでもOKなんです。
「料理」ほど季節や暦と一緒にまわっているものはないと思います。だからこそ、旬と向き合えば向き合うほど、わたしたちは「暦」と共に生きている気がする。このアンソロジーにはもちろん畠中恵さん・宮部みゆきさんが登場しています。
深夜には読めない一冊。ランチとディナーに何を食べようか迷う朝におすすめかもしれないと思います。

・群ようこ『れんげ荘物語 ネコと昼寝』ハルキ文庫

れんげ荘物語はたまに、のほほんとしたいときに読みます。
キョウコは月十万円のアパート暮らし。その日その日をのらりくらりと生きているのだけど、彼女は色々と謎が多い人物でもあります。
彼女のお母さんもかなり過干渉ですし、会社を辞めた過去もあるため、そうとう激しい過去があったように思うのですが、キョウコ自身はとても穏やかに日々を送っていて、そののんびりとした感じに「いいなあ」とさえ思うんですね。
一人でも怖くない。それでも彼女の周りには、集まってくる人々がいて、彼女はそれで満足しています。
そういう暮らしを、とても理想的だし恵まれていると思うのです。
彼女みたいな生き方をするには、相当な鍛錬が必要にも思います。日々を穏やかに平穏に暮らすことのありがたさから、目を背けないこと。

・カズオ・イシグロ 入江真佐子訳『わたしたちが孤児だったころ』早川書房

びっくり、しますね。読後、少しばかり言語を喪失してしまう。
孤児になった少年が両親を探すために上海で探偵になるのですが、彼の過去と現在が混ざりながら話が展開していきます。
カズオイシグロはこの中で何を伝えたかったのか。
「わたしたちが孤児だったころ」の「わたしたち」とは誰なのか。
それはあくまで「読者のわたしたち」のような気さえするのです。「全世界の喪失」というものが「孤児」になる瞬間にあって、孤児はずっとその瞬間を覚えている。
ただただ、自分が孤児だということを自問する。
それだからこそ探偵にしかなりえない、と思います。わたしたちもまた、孤児であったころが確かにあったのかもしれない、と強烈な読後感ののち、思います。

・古内一絵『二十一時の渋谷で キネマグラフィカ』東京創元社

平成が終わり、新元号発表の時、大手IT企業に買収されかけている映画会社のお勤め人たちの物語。
働くこと、そして社内の雰囲気、色々と会社員には身にしみるものがあるのかもしれません。わたしも数年でしたがオフィス勤めの頃がありました。
でも、ここまで状況は悪いようでもなかった気がするし、それでも色々な理由があってやめてしまって、今の生き方や活動を仕事にしているからなんとも言えないのだけど……。
人間って、信じられる人とそうでない人どちらもいますが、その一握りの「信じられる人」を頼りに、そのご縁を大事に生きていくって、つまり働くことのような気もしているんです。
わたしはそういうことをすごく大事にしてきたし、そういう幾人かの人々が集まって、希望を持つことができると最後の方で思いました。

百年の孤独をゆっくり読む暮らし day10

第8章を読む。
恋とどうしようにもできない衝動、それは昔から持っている人が多いと思うし、こういう青年期の悩みを抱えてしまうんだろうなと思った。
いくら時代が移り変わり、どんなに荒波が襲っても、わたしたちは人間であることの営みをやめたりはしない。
それは恋や愛だけではなくて、パンを食べることだったり、生きることだったりすると感じた。

6月29日 wed

新月でした。朝は頭に半分ゼリー状の膜が張ったようになって、暦と共に生きているんだなあと思います。
曜日、月の満ち欠け、四十八節気。そういうものに非常に左右されます。
今日は午後、シェアオフィスでコーヒータイムのため、昼から働くことにしました。わたしは6時~15時で基本作業をしていますが、この間の実務時間をずらしたりもしています。
月曜日に伺った時に、早めのランチタイムを取っていたら、デスクに座っていたフリーランサーの女の子がイベントブースからバランスボールを持ってきて(使い放題なのです)椅子にしていたのにはびっくりしました。彼女のコーヒーマグを手に取るしぐさに見とれてしまった。またお話しできたらなと思います。
午前中に用事があって本を返しに行き、アイスコーヒーを飲んだGREVE COFFEEさんでゆっくりしていたら、たまたま近くに来ていたシンガーのmay nieceさんとご縁ができました。わたしの話でよかったのかしら。カフェのバルーンアートも楽しめました。

バルーンアートのアーティストの方の作品。かわいい~

オフィスのコーヒータイムではよいご縁があり、作家のふたがみもとのぶさんと情報交換をしたり、色々物販イベントの情報・活動情報を報告できたりしました。
もしかしたら近々わたしもこのシェアオフィスでワークショップのようなイベントを開くかもしれません。フリーランサーのみなさまととてもよいご縁ができました。新作草稿1編。1万歩達成。

よい刺激とご縁を作ることができました。
多謝!


・市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』東京創元社

海月って、蠱惑的な魅力があるモチーフですよね。
これはその「魅力」にとりつかれてしまった人たちの本格ミステリ。航空機として1983年から飛行実験をしている「海月(ジェリーフィッシュ)」。その中である日、殺人事件が起こります。そしてジェリーフィッシュは自動航空機能と閉鎖空間が制御できなくなり、航空機自体が雪山に閉じ込められてしまいます。
完全な殺人など起こらないのですが、誰かが誰かを想う気持ちと同じ分だけ、人は誰かを、何かをねたみ、恨んだりします。
その中で殺し合いが起きるというのはミステリの刺激的な醍醐味でもあるのですが、久々にそういうものを味わいました。
人間ドラマとしても完成度が高く、満足の一冊です。

・島本理生『夜はおしまい』講談社

女性が持つ選択肢は、葉脈のようだと思います。
わたしが見ている世界はとても平穏で、この短編集に出てくる「彼女たち」とは違う生き方をしています。
清らかな心を持ちたいと願っても、何かを踏み誤ってしまったり、何かを選び損ねてしまったり。そういう彼女たちが歩む道は、決して平穏ではありません。
ひどい男に騙されたり、夜の世界にしか生きられなかったり、自分を飾り立てて「魅せる」ことしかできなかったり。
夜というのは一つの事象であると思います。「彼女たち」がどうか清々しい朝を笑って迎えられたらな、と思います。

百年の孤独をゆっくり読む暮らし day11

第9章を読む。
恋ってやめられないんだな、と思う。別に恋はもういいや、というと投げやりな感じがするかもしれないけど、わたしはそれだけよい恋をさせてもらったように思います。
かなわない恋であればかなわないほど、その人を焦がしてしまうんだろうな。それは日本でもマコンドでも一緒で、日本では源氏物語なんてまさにその典型だなと。
主体的に恋焦がれているのがこの小説では基本的に男性だというのも発見でした。女性は誰かの恋を捨てる立場の人もいたり、なかなか大変そうです。
恋ってやめられないんだな。例えクーデターのような戦争だったとしても。そのさなかでさえ、人と人を求めてしまうんだなあ。

6月30日 thu

梅雨があっという間にあけてしまい、びっくりするくらいの暑さ。これではのぼせてしまいます。
シェアオフィスに9時から17時までいてすべての作業をする方向に今日はシフトしました。
朝の出勤前はスペースで久納美輝さんたちと雑談をし、バスに乗っていきました。
着いてからも少し涼まないとやっていられません……。
6月の締めの作業と、いつもの雑務、7月の予定を立てていました。
昼食をとりながら、やんぐはうすらじおを聞き、聞きながら作業をして、デスクトップやダウンロードフォルダの整理をしました。

創作の知人に少しショックなことがあり、受付のスタッフさんの明るさにひたすら助けられていました。

百年の孤独をゆっくり読む暮らし day12

第10章と第11章を読む。
ウルスラがとうとう100歳を超えるようになった。
長生きはしてみると面白いものだなあとこの本を読んでいて思う。たくさんのドラマとストーリーでできている。
命名というものは本当に不思議なもので、この家同士にかけられた呪いもそうなのだけど、ホセ・アルカディオ・ブレンディアを名乗るものは衝動的というのには読者として大変頷けるものがあった。
対照するかのように、アウレリャノを名乗るものは内向的で頭が良い。その中で、うちに秘めているものがある。
そして、彼らに降りかかる災厄と同じだけ、時代というものも進んでいく。

7月1日 fri

今日は朝6時から始業。昨日収穫できなかったキイチゴを収穫しに行きました。
夕食のピザを早めに食べるため、今日は15時終業でした。
ラウンジシェアオフィスが開くのが9時のため、お便りを送った双子のライオン堂さんのラジオ、渋谷で読書会を聞きつつ今日の作業をしていました。
花金、明日から週末♪ ちょっと創作のことでよいことがありました。
オンライン合評イベント、よいものにしていきます!!
誕生日ラッシュと出会いラッシュだった一週間。濃かった……あっという間でした。ラウンジのみなさまとはあだ名で呼びあっています。
それぞれの仕事は違うし、SNSでもつながっていないけど、こういうご近所のコミュニティも大事にしていきたいです。

朝の散歩は水面の近くを歩きました。
落ちていたものを太陽にあてて。

百年の孤独をゆっくり読む暮らし day13

第12章と第13章を読む。
あまりにも冷静な目線で人間模様が描かれているので、これがノンフィクションだと途中まで読んでいて思っていた。
だからこそ、あまりにも突飛なことが出てくるととてもびっくりしてしまいます。
近代文化というものが流れ込み始め、それが「アメリカにバナナを売ったから」というわかりやすい回答があって。
でも、文化はその土地その土地で起きるもので、技術というものにそれが適応できるのか、もポイントなのかなと思います。
「他人の悲喜こもごもに付き合ってられるか、自分のことだけで精一杯なのに」というようなマコンドの人々の気持ちはわかります。それは、きっとわたしたちとはまた違った「自分のこと」をたくさん持っているんだろうなと思います。
わたしたちは日本の現代で「他人の悲喜こもごも」の物語がないと生きていけなくなってしまいました。
フィクションに共感できるか、についてとても考えてしまいました。

7月2日 sat

昨日までの出会いを振り返りつつ、のんびりとした一日でした。
今日はケーキ屋さんのパティスリー クロリ エ ド シーの開店日だったのでケーキを食べ、一週間お疲れさまランチをCANE & Gattoでしました。
地元の若いみなさんと雑談をしたこと・フリーランサーの方々とのよい出会い。
明日はショッピングで女の子たちの話の話題に出た野球帽や洋服(かわいいよねえ)、あとラウンジシェアオフィスに箸を置き忘れてきたので、買いに行こうと思います。

本日開店!
食べすぎ?(笑)
一週間おつかれさま~


百年の孤独をゆっくり読む暮らし day14

ついに2週目になりました!
第14章から最後にかけて一気読み。
そうか、この物語はずっとウルスラという女性の孤独の話と、大きく言えば機能しなくなった「場所」「土地」の話だったんですね。呪い、というものは家と家の呪いでもあったのだけれど、土地としても栄えてしまったり近代文明が入ってしまったりして、何かがマコンドで途絶えてしまった。
でも、百年の歴史をウルスラは生き抜いて、子どもたちも大きくなって、戦争や疫病や天災、色々なことが起こって。
そして最後に……ウルスラの危惧していたことが起こります。
ウルスラ、あなたと出会えたことを忘れない。
わたしの本になりました。G・ガルシア=マルケス 鼓直訳『百年の孤独』新潮社。抱きしめたよ。


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