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たとえ「普通」には生きられなくても

生きていると、失敗をすることもあれば挫折をすることもある。
頑張っても周りにうまく馴染めなかったり、行き場がなくなって孤立することもあるだろう。
何事もなく「普通」に生きるのも、なかなか難しいものだ。

小学校から大学までストレートで卒業し、22歳で正社員として就職して、20代~30代で結婚し、子どもを産んでマイホームを買い、定年まで働き続ける。
それが、ステレオタイプな「普通の人生」だ。

だが、そんな人生を歩める人がいったいどれだけいることか。
そもそも「普通」でないことはそんなにいけないことなのだろうか?

今回はそんな「普通」について考えてみたい。
「できることなら普通に生きたいけど、それができない」と思って悩んでいる人や、「自分は『普通の道』を踏み外してしまった」と思って落ち込んでいる人などは読んでみてほしい。


◎私の人生は「普通」じゃない

まず私の話をするが、私は全然「普通」ではない。
高校時代は不登校生徒だったし、社会に出てからすぐに仕事で挫折して3年間引きこもった。
(なお、引きこもっていた時期のことは下の記事に書いた)

その後、なんとか引きこもりからは抜け出したのだが、いつも仕事は長続きせず、様々なバイトを転々とした。
しかも、どこの職場でも一年くらい経つと精神的に調子が悪くなり、続けられなくなって辞めている。
正社員として働いた経験も一度としてない。
一時は生きていくお金さえなくなって、生活保護を受給して生活していた。

今は仕事で得た収入で生活できているが、年収はとても低い。
メンタル疾患と発達障害を抱えながら、精神科に通院もしている。
いつまた生きていけなくなるか、わかったものではないのだ。

◎「勉強して褒めてもらうこと」にしがみついていた話

私が「普通の人生」を最初に踏み外したのは、高校時代に不登校になったときだった。
それまでの私は勤勉な学生で、「言われたことはまじめにやる」「成績もよく、教師の評価も高い」という模範的な生徒だった。

だが、ある時不意に「なんでこんな必死になって勉強しなきゃいけないんだろう?」という問いが湧いてきた。
そして、私は勉強が手につかなくなり、しまいには勉強することがバカバカしくなってしまったのだ。

不登校になる前の私は「勉強してテストでいい点を取ること」が至上命題になっていて、時間さえあればテスト勉強をしていた。
だが、私は別に勉強が好きなわけではなかった。
むしろ、「勉強なんかするよりゲームをしていたい」と思うことが多かったのだが、私は勉強をやめられなかった。
勉強をやめてテストの点数が悪くなることが、怖くて仕方なかったのだ。

それまでの私は、「なんで勉強するのか?」ということを全く考えずに突き進んできた。
理由らしい理由はなかった。
せいぜい「テストでいい点数を取ると他人が褒めてくれるから」というくらいのものだ。

そう、私は認めてもらいたかった。
評価してもらいたかったのだ。
他人からの評価や称賛がなくなってしまうのが怖かった。
もしそれがなくなったら自分の居場所もなくなってしまうように、当時の私は感じていたのだ。

◎勉強という「すがるもの」を無くし、不安に沈む日々

だが、ついに私のエネルギーにも限界がきた。
これといって明確な目的もないまま、好きでもない勉強を長年自分に強いてきたことで、「これ以上、勉強なんてしたくない!」という風に心が反発し始めたのだ。

私は勉強をやめた。
そして、学校に行くこと自体もバカらしくなって不登校になった。
親は心配したが、私はもう学校に行く意味が見いだせなくなってしまっていたのだ。

そうして家にこもって生活するようになったのだが、私には勉強に代わる「やりたいこと」も特になかった。
「他人に褒めてもらうため」という受動的な理由で勉強をしていただけだった私には、「主体的ににしてみたいこと」なんて何も思いつかなかったのだ。

だが、そのまま何をするでもなく無為に時間を過ごしていると、不安がどんどん大きくなっていった。
「他の同級生たちは今頃みんな勉強しているのに…」と思って、自分のことを落ちこぼれだと感じたりもしたし、「これから自分の人生はどうなっていってしまうのだろうか…」と将来のことを考えて絶望したりもしたものだ。

当時の私は「いったい自分はどう生きたいのか」ということがわからず、かといって今更学校に戻るのも怖くて、どこにも行けなくなっていた。
私は自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶し、自分の人生を放り投げてしまったのだ。
「もうどうにでもなれ」と。

◎それでも、私とかかわってくれた人のこと

だが、そんな中で、親以外に私とかかわってくれた人が一人だけいた。
クラスメイトの女子で、その人はナルコレプシーという障害を持っていた。
ナルコレプシーとは、日中に自分では制御できないほどの強い眠気が起こる睡眠障害で、彼女はその障害のために高校を何年も留年していた。
それゆえ、学校の学年は私と同じだったのだが、確か年齢は私より二つか三つ上だったと思う。

どういったいきさつだったかは忘れてしまったのだが、私は彼女とメッセージのやり取りをするようになった。
そして、不登校中もやり取りは続き、私はその人と一緒に出掛けたりするようになったのだ。

もしも勉強に至上の価値を置いていた頃の私だったら、何年も留年している彼女のことを、無意識に見下したかもしれない。
だが、今や私も「普通」からはみ出てしまった側の人間だった。
彼女のことを一方的に見下したりできるわけもない。

むしろ、彼女は聡明で思いやりのある人だった。
それにもかかわらず、障害があるために進級することができず、「普通」に生きられなかったのだ。

そういったこともあってか、「『普通』って何なんだろう?」と私は次第に考えるようになっていった。
勉強にしがみついていた時には、「勉強していい点を取り続けることが『普通』だ」と思っていた。
そして、「普通」じゃなくなったら人生は終わりださえ思っていたのだ。

だが、「普通」じゃなくたって生きている人はいるし、「普通」じゃないからと言って、その人に価値がないわけじゃない。
私は彼女とかかわる中で、そう思った。

当時は、「普通」からはみ出たもの同士、いろいろな話をしたものだった。
具体的にどんなことを話したかまではもう忘れてしまったけれど、彼女の存在が私を勇気づけてくれたのは確かだ。
彼女のおかげで、「普通じゃなくたって生きていていいんだ」と私は思えるようになっていったのだ。

◎淡い恋の終わり

正直に言うと、私はその人に心を惹かれていた。
しかし、私は自分の抱いている気持ちが、本当に純粋な恋心なのかどうか自信が持てなかった。
なぜなら、私の内側には時折、「実のところ、自分は彼女のことが好きなんじゃなくて、単に同情しているだけなんじゃないか?」という疑いが生じてきたからだ。

もちろん、主観的には彼女のことを「好きだ」と思っていた。
しかし同時に、「実は無意識に障害者である彼女のことを見下して、密かに同情しているのでは?」という疑いを否定しきることも、私にはできなかったのだ。

それに、もし仮に付き合うことになったとしても、障害のある彼女のことをちゃんと支えてあげられるかどうか、正直言って不安もあった。
そんな具合で、当時の私の中ではいろいろな感情が複雑に絡まり合っていて、私は思い切って前に進むことができずにいた。
つまり、私はストレートに「好きだ」とは言えなかったのだ。

そんなある日、いつものように二人で出かけた先で、彼女が「他人から私たちのことはどう見えるかな?」と何気なく聞いてきた。
その時、私は本当は「恋人同士みたいに見えるかもね」と言いたかった。
でも、その勇気のなかった臆病な私は、思っていたのと違うことを言った。
「姉弟みたいに見えるんじゃないかな」と私は言ったのだ。

その時、彼女は少しだけ寂しそうな顔をしたような気がする。
それからあとは、なんだか気まずくなってしまって、あまり話もしないで解散になった。

以来、彼女と一緒にどこかへ出かけることはなくなった。
やり取りすることも急激に減って、ほとんどかかわりがなくなってしまった。
決定的な仕方で、「何か」がそこで終わってしまったのだ。

◎彼女が私にくれたもの

その後、最終的に私は高校に戻った。
新しく高校3年に上がる春、進級するタイミングでのことだった。
それまで頑張って勉強していたおかげもあって、不登校中のマイナスが帳消しになり、留年はしなくて済んだのだ。

学校に戻ることにした理由は、「高校だけは出てくれ」と親に泣きつかれたからだ。
私自身はもう高校をやめるつもりでいたのだが、どうしても親の反対を押し切ることができず、仕方なく私は再び高校に戻った。

不登校中にかかわっていたナルコレプシーの女の子は、結局その年も留年してしまい、私とは学年が別になってしまった。
それでなくても、彼女は障害のために休みがちだったから、学校で彼女を見かける機会さえほとんどなくなった。

彼女とはそれっきり会っていない。
だが、それから何十年もたった今でも、折に触れて彼女のことを思い出す。
彼女は素敵な女性だったし、彼女と過ごした日々は決して「普通」なんかじゃなかった。

彼女と出会って、私は「普通じゃない自分」を受け入れられた。
「普通」からはみ出してしまったもの同士、私たちはあの限られた時間の中で、確かに何かを交換し合っていたのだ。

彼女はきっと私を救ってくれたのだと思う。
私の心の殻を破り、温かい想いを教えてくれた。
そのことを、私は今でも感謝している。

ただ、それでも私は考えてしまう。
彼女は間違いなく私に居場所を与えてくれていたのだが、私のほうは、本当の意味で彼女の居場所になれていなかったのではないか、と。

当時の私はまだ若く、彼女の障害のことをまったく気にしていなかったと言えば嘘になるだろう。
彼女は私のことを受け入れてくれていたが、私は完全には彼女を受け入れられてはいなかったように思うのだ。

彼女が今、この世界のどこかで幸せに生きていることを願う。

◎「普通」という名の幻想

ところで、なぜ人は「普通」に憧れるのだろうか?

きっと「普通」だったら仲間外れにされないし、自分のことを堂々と説明できるし、安定した人生を送れると思っているからだろう。
逆に、もしも「普通」じゃなくなると、仲間に入れてもらえず孤立したり、自分のことを堂々と語れず肩身の狭い想いをするし、不安定な人生になると思われている。

確かに、そういう側面もあるかもしれない。
実際、私が不登校になったとき、私とかかわってくれる人はほとんどいなかった。
不登校になって「落ちこぼれた」ことで、自分の経歴を自信をもって語れなくもなった。
もしあのまま高校を中退していたら、職業の選択にも不自由することになっていただろう。

だが、「普通」じゃないからといって、その人に価値がないとは思わない。
むしろ、「普通」じゃないくらいのことで仲間外れにしてくるような集団からは、進んで出て行ったらいいと思う。
たとえ「普通」から外れていたって、居場所は意外なところにあるものだ。

もし道を踏み外したとしても、そこで人生は終わりなんかじゃない。
むしろ、失敗や挫折をした経験のない人のほうが、信用ならないだろう。
そういう人は人間としての魅力や奥行きに欠けるのではないかと思う。

また、もしも「普通」にしがみつくことで生活が安定していたとしても、ベルトコンベアでただ流されるだけのような人生じゃ、生きている甲斐がない。
「不安定なほうが良い」とまではいわないが、安定を求めすぎれば、生きているのだか死んでいるのだかわからないような状態になりかねないだろう。
そして、そんな人生はきっと虚しい。

「普通」じゃなくたって生きている人は、世の中にたくさんいる。
それぞれがそれぞれの人生を生きていて、一つ一つの輝きを持っている。
たとえ障害を持っていたとしても、他人に何かを与えることは可能だし、時には人を救うことさえもできるのだ。
かつて、障害を持った一人の女性が私のことを救ってくれたように。

「普通」から否応なくはじき出された人は、「自分には居場所がないし、生きている価値もない」と思うかもしれない。
でも、決してそんなことはない。
「こんな自分はダメだ」と思う必要はないし、無理して頑張って「普通」に合わせなくたっていい。
なぜなら、あなたに合う場所はきっと社会のどこかにあるし、たとえ「普通」じゃなくたって、幸せにはなれるからだ。

そもそも「普通」なんていったいどこにあるだろう?
「普通の人」なんて、本当はどこにもいない。
「普通のもの」なんて、一つもない。
それは「普通」を畏れ、「普通」に憧れる人々が作り出している幻想にすぎないのだ。

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