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インスリンを打つ単位が、1日16単位になった。
(朝5、昼0、夕5、寝る前6)
 
血糖値は105前後をウーロウロ。
 
運動は、スクワットとひざつき腕立て伏せをしている。
(インスリンが効いてるからか、とにかく楽だ)
 
あまり、「インスリンを打つ単位を下げよう」とはしていない
のだけれども、調度いい位置がこんな感じになっているのだ。
 
ごはんもそれなりに食べているんだけれども。
(むしろ低血糖を警戒して、ちゃんと食べてるんだけれども…)
 
 
 
血糖値は105前後をウーロウロしているのだった。(何でだ)
 
もしかしたら、血糖値をメインにコントロールしている器官って、
すい臓ではなくて、基礎代謝量を決定している筋肉の総量なのかも
しれない。(仮定ですが)
 
病院の医師もそうだけど、2型糖尿病患者さんが血糖値コントロール
のみを見て一喜一憂しているのを見て、何か違うように感じざるを得ない。
 
血糖値コントロールも大事だけれども、そこはメインじゃないだろうと。
 
 
『血糖値を良好とされる範囲内にコントロールできている』ということが、
イコール『糖尿病という生活習慣病に対応できている』ということでは
ないのだ。( ← ここ、すごーーーーーーーーーく重要です)
 
 
自らの影と対峙した『ゲド戦記』のゲドのように、そこからは何かを学ぶ
べき要素があるはずなんだけれども、本人がそこらへんの対応を甘く見て
間に合わなくなると、体の一部や命そのものを持っていかれたりするんだ
よな……と思うのだ。(本当に甘くないですね)
 
 
「学ぶべきを学んで、ちゃんと対応してくださいね」
 
「楽な道はないですよ」
 
 
ーーーみたいなことを、私はいいたいんだけれども。(ーωー
  
「自分は関係のない健常者だ」と思っている一般の方にも、私は
同じように伝えたいんだけれども。
 
『無知である』という点において、むしろ健常者の方の方がヤバくね?
と私は思ったりしているんだけれども。
 
 ↑ こういうことをいっても、大体において通じないものなんですが。
(人間、自分で痛い目見ないと、何も学ばないものですからね。 私含め)
 
 
まあ、それはそれでいいのだ。(?)
 
人間は皆、行きたいところに行きつく…のだろう。
 
 
 
行きたいところにしか行きつけないのが、大問題なんだケドネ。
 
ーーーーーー
追記:私は手の平アトピーと出会えたことが、得難い出会いだったと
 思っているんだけれども、そのうち2型糖尿病と出会えたことも
 得難い出会いだったと思う時が来るのだろうかと、思っています。
 
 人生万事塞翁が馬。 何が幸いか分からないにぇ…。
(出来事そのものは中立なので、私達は『意味』を決めれるわけです)

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