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[小説] 馬子田(1)



 一筋の光、ひとひらの花びら、それらが重なり空を飾る。そんな光景を僕はいつまでも見たかった。あの日刻んだ思い出を、僕はいつか忘れてしまうのか。それはまだわからないが、あの時の感触は消え去ることはない。思いは通り過ぎ、光はやがて果てる。だが、僕たちはまた光を求めて彷徨う。自分が光ることを忘れて。

 林の中で静かにうずくまる一羽の鳥、水飲み場になっている水たまりのような池で、水を啜っている。傍には虫たちが行進し、その寝床を探す。早いうちから寝る場所は必要だ。そんな日常の中で僕たちは我がもの顔で森を開く。開くとはよく言い過ぎだ。森を閉ざしている。深い暗闇に変わってしまった森や林。金儲けは自然を貶してしまった。それに怒らぬものなどいない。
 あらゆる神が仏が現象が地球が地表が宇宙が怒っている。それを見てみぬふりをしていることが、さらに怒りを増している。そして心を痛め悲しんでいる。その声が音が振動が聞こえてくる。
 あれから幾年経っただろう。過去にもそんなことはあった。ただ人間は人間だった。そこには馬も人間も共に暮らした歴史がある。


 風邪を切って走る馬の背に、ぼんやりと見える姿があった。その姿はやがてはっきりと見えてくる。ただ今はまだ危うく薄いものだった。それでも馬は駆けた。何千里と走った時、馬は疲れ果て横たわった。そこにいたのが人間だった。彼はまだ幼く、穏やかな表情をしていた。
 夜通し走ったのでわからなかったが、周りはもう明るくなりかけていた。そんなことも分からずに馬は草の上に伏せるように眠っていた。その顔に水たまりのような池から、少年が水を掬って垂らした。うっすらと開けた目には懐かしい顔が映った。はたと止まった虫の声、彼らもその瞬間にただならぬ予感を感じていた。
 少年が馬に話かける。
「どこからきた?」
 馬はすぐに答えられなかった。どんな思いで駆けてきたのだろう。目は血走っていた。それを察した少年は馬の目に手をやり、静かに閉ざした。
「まだ寝てろ」
 馬は安心してまた眠りについた。

 日が高くなってきて少し暑くなってきた頃、馬に添うように眠っていた少年が目を覚ました。彼も疲れていたのだろう。
「起きたか?」
 馬に声をかけた少年は草を集めて持ってきていた。
 ひどく衰弱していた馬は食べることも忘れていたことに気づいた。
「ありがとう」
 その声を少年は確かに感じた。
 目を覚ました馬はかすかな息をたたえながら、少しずつ草を食む。それを表情を変えずに少年は見ていた。呼吸が聞こえる。自然と無意識に彼らの呼吸があってくる。その時少年の腹が鳴った。数日何も食べてなかったのだ。それに気づいた馬は、横たえていた身体を静かに持ち上げた。少年はその身体に力強く手を添えた。その時お互いになぜか不思議な感覚を得た。それをその時は特に気にしなかった。馬が立ち上がると身体に乗っていた草たちがハラハラと落ちていった。
 馬は少年をかすかに引っ張りおぼつかない歩を少しずつゆっくりと進めた。その間、森はざわざわと動いていた。歓迎するような反発するような。少し中に入ったところに橙色の小さい果実が端の方になっていた。少年は、それに毒があるか考える間も無く口に放り込んでいた。苦く酸っぱい実は舌がじんじんしたが命を繋ぐ薬となった。


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