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簡単ではないけれど。

服は簡単に着替えられるけれど

自分自身を簡単に着替えることはできない。

「自分」というものを服みたいにパパッと簡単に変えられたら

楽なんだろうな。

可愛い服を着れば、いつもの自分より簡単に
可愛い自分に変身することができる。
かっこいい服を着れば、いつもの自分より簡単に
かっこいい自分に変身することができる。
服ってすごいですね。

髪型やメイクもそうだ。
魔法をかけられるんだから
これもまたすごい。

しかし、自分という人間はどうだろうか。

服を脱いで何も纏わない状態は、自分というものが露になる。
味方をしてくれる服やメイクはない。
髪型だってそれなりに整えないとそこまで変身できない。
そんな何も覆われていないありのままの自分を想像してみる。
そこに残るのは、自分が今まで習得してきたものだけ。
例えば言葉だったり仕草だったり考え方だったり。
それはもう自分自身の一部になっていて
もはや簡単には引き剝がせないものじゃないだろうか。

服や髪型やメイクは自分を表現することのできる一部だが
それはすぐに変えることだってできてしまう。
現に、毎日その日のテーマを決めている友達が昔いた。
今日は可愛い系・今日はかっこいい系など
「今日は○○系でいくぞ」というように
その日の気分に合わせたコーディネートを毎日楽しんでいた。
それはつまり、毎日いつだって変えようと思えば
簡単に変えられることができるという意味にもなる。
常に同じものを着ていたいと制服化している人もいるが
そういう人だってやろうと思えば
いつだって変えられるのだ。

けれどさっき言ったように
言葉や仕草や考え方などを変えるのは
これがまたなかなか難しい。
今まで自分を創り上げてきたものというのはとても根深い。
言葉を例として考えてみれば、言い方や言葉の選び方などは
みんなそれぞれ全然違う。
数ある言葉の中から、自分でその言葉を選んで繋げていく。
足りなかったら足すこともあるし
しつこく繰り返さない方がいいと思えば
そうする選択もある。
どんな相手にどんな伝え方をするかなど
人は、その人その人によって全然違う行動をとるわけだ。

仕草についても、育ってきた環境や自分の癖があったりと
意外と色々あるものだ。
丁寧だったり大雑把だったり、速いとか遅いとか
本当に様々ある。

考え方に至ってはもはや様々にあり過ぎてもうわからない。
沢山の人が多種多様な思考をもって存在している。

こうして身に纏っているものを剥がした後は
簡単に剥がせなかったものが残る。
何かのきっかけで急に人生観変わったということもあると思うが
みんながみんな、毎日全く違うものに変身するわけではないので
やはり今持っている自分というものは、そのまま表れるはずだ。

その時にどんな自分でいたいのか。
どんな姿でいたいのか。
どんなカタチとして存在していたいのか。

そう考えたら「こういう自分がいいな」と思う自分でいたい
と考えるようになった。
剝がされた後に残った自分、そのままの姿で勝負したいという感じ…
なのかな。

勝負は挑まないけれど
何も纏っていないありのままの姿でも
逃げないでいられるくらいの自分になりたいと
思ったのでした。


ではまた。




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