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意見のある者と意見のない者。

私自身全く意見がないというわけではないけれど
何かについて意見するという事を
実はもともとあまり
やってこなかったのかもしれない。

特に夫を見ていると
自分がそういう人間にすごく思えてくるのだ。

夫は常に何かしらに意見し問題提起してくる。
凄腕の「意見する人」である。
他に例えるなら、御意見番か?
何かに意見している時の夫は、そんな風に見える。

打って変わって私は…あんまり意見がないかもそれない。
いや、意見がないわけではないのだが
自分からの「始まり」がないんだな。
たぶんそうだ。うんうん。
何か言われたら、別にそれでいいかな~という感じ。
何も考えてない?
うーん、そうなのかなぁ…自分でもよくわからなくなる。
そのままそれをまずはやろうか、というタイプ。
夫とは真逆なんだなぁ。

例えば、夫は時事ニュースを見聞きすると
必ずすぐに意見が出てくる。
そんなに意見ある⁉︎とこちらがびっくりするくらい
いつも自分の考えを何かしら言ってくるのだ。
すごいね…私そんなにこれに意見ないけど?と、なってしまう。

そんなに色んな事に特に敏感に反応せず生きている私は
夫の言う意見のボリュームに、最初は疲れていた気がする。
「そんなこと、どうでもいいんじゃないの?」と
ずっと思っていたし、そう言ってしまった事もある。

しかし夫は容赦なくいつでも意見を言うし
私にぐいぐい話しかけてくる。
意見のない私にいくらそっけない態度をされても
そのスタイルは全く変わらなかった。
ある意味ハート強いな、夫。

なので、結局私も何かしら意見を言う羽目になるのだ。
意見といっても、その問題に対して
別に私は意見がないとかでもいいし
少し気になる所があればそれを言ってみたりだとか
そんな程度の事だ。
けれどそうして過ごすうちに
とにかく何かしらを伝えるのが
いつの間にか癖になっていた。
でも別にそれは自分の意志というよりは
これについてどう思うかを聞かれるので
しょうがなく答えていた、という感じだったと記憶している。
そんなに深くは考えていなかったのだ。

しかしある日、私はそのことについて考えてみた。

よく考えたら私って、どんなことに対しても
何も意見も持たない人間になってないだろうか…と。
何も考えない何も思わない、空っぽな「空き箱」になっていないか?
せっかく箱を開けてもそこには何も入っていない。
なんだ、がっかり。みたいな。

そもそも私、ちゃんと今、生きてる?

そう思ったら、なんだか急に怖くなってきた。
いや、これに気づいた時、ほんと倒れそうになった。

自分が今までとんでもなく
勿体ないことをしていたんじゃないかって。

そもそも夫は色んなことに対して自然と意見が出るタイプ。 
そして私は新しいことを考えたりせず、何も意見のないタイプ。
そんな二人が一緒に住んで、共に生活をする。
よく考えたら夫という生き物は、時事ニュースだけでなく
日常の様々な出来事に対して敏感に反応する人だった。
何かをそのままそっくり受け入れることはあまりない。
そのことに対して昔は夫にことを
「一つ一つそこまで考えなきゃいけないなんて…
なんと生きにくい人生なんだろう…」
と思って見ていた。
他にもっといい方法はないかとかこれは必要なのかとか
色んな角度から考えることを必ずする。
そしてすぐに意見を言ったり試したりするのだ。
それで試してみてその結果を考え、自分なりに納得し終了する。

こう聞くと時間のかかるタイプだし
難しい人間という印象を受けると思う。
私も最初はそう思っていた。

しかしこれは、常に真剣に向き合っていることの表れなのだと思った。
むしろ私の方が全く真剣に向き合っていなかったのだと思う。
色んなことを考えるのを放棄し、意見を持たないようにして
自分はただ楽をしているだけなんだと思った。

そしてこうして改めて考えてみた時
私は正直自分に、ちょっとがっかりした。

私のこのスタイルは、一見良さそうに見える。
何も文句を言わないで全てを受け止めますみたいな雰囲気を醸し出す。
しかし実は違うのだ。
そのスタイルの本当の意味は
真剣に向き合っていないという姿でもあるのだ。
意見がないということはもちろん「同意見だから」とか
それで「納得できている」などのように寛大な感じがして
一見プラスの印象に見える。
けれど実際には真剣に捉えていなかったり
考えるのが面倒だからそれでいいですよみたいな思考である可能性も
少なからず潜んでいるということなのだ。

意見する者というのは、それだけ色々なことを考えて
その事柄の隙や問題点を突いているのかもしれない。
しかし、もちろん良いことばかりではないとも思う。
いつも何かしら難癖をつける人、ともとれるからだ。
しかし「意見をしない者」より実はよっぽど
真剣に考えている可能性が高いかもしれない。

「意見のある者」と「意見のない者」のどちらがいいのかは
ここまで書いてきた通り、結局難しくてよくわからなった。
けれど自分なりに真剣に向き合い、常日頃から
自分の意見としてはこうだと考えることはとても重要だと感じた。
何も考えず問題だけが通り過ぎていくばかりの日々よりは
こちらの方がずっと楽しそうだ。
noteを始めた時から感じていたことでもあるが
自分の意見を創り上げる作業というものは
自分を解放する「楽しい作業」でもある。

最初は題名を「VS」で、戦いにしようとしたが
どちらがいいということではなかったので書き直した。
ただ、お互いに意見を言い合う環境というものが
何よりも大切なのかもしれないということは
最終的に強く思ったことだ。

私のこの夫との環境は「意見のない者」側の私に与えられた
素敵なプレゼントなんじゃないだろうか。

夫との出会いがなかったら
この素敵な産物はなかったかもしれない。
そして、こんな事を考えたりこのような記事が生まれることは
決してなかっただろう。

出会いとは、不思議なものである。


ではまた。

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