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めんどくさがり屋のひとりごと⑪「私的ドラフト会議」

こんなタイトルではあるが、あらかじめ言っておく。

これはプロ野球の話ではない。
もっと言えば、スポーツの話ではないし、私自身スポーツにまったく興味が無い
だから、「本物の」ドラフト会議についての関心も無い。

では何か、それは「脳内キャスティング」についてのドラフト会議の話である。
しばしお付き合いを。

私の趣味は読書である。
ありきたり過ぎて「就活の面接で趣味を訊かれた時に言わない方がいい」と言われる、あの読書である。
主に小説がその中の比率を多く占めており、自己啓発本やビジネス書などは噓臭くて一切読んでいない。
マンガも「読書」に含めるのなら、「小説:マンガ=6:4」ぐらいの割合のバリバリ創作物系の読書をしている。

そこでいつもしていることがある。
それが、「実写化をした時の配役を考える」である。

かめはめ波や悪魔の実でさえ、生身の人間がそれをショービジネスとして再現しようと考えるのだ、どんな創作物も実写化の宿命からは離れられない。
小説はさておいても、マンガはビジュアルが既に明示されているので、大抵原作ファンたちから「この人じゃない……」と言った批判が来る。
私もその気持ちを幾度と感じたことがあるので、その批判は尤もである。

それでも制作側が実写化を諦めないのは、その作品に魅了されて「自分たちだったら原作を越えられる作品を作れる」と確信したからである。
私見だが、「原作と肩を並べられる実写化」は数多あっても、「原作を越えた実写化」は存在しないと思う。
「青は藍より出でて藍より青し」は創作物においては成立しないのだ。
単に私が原作至高主義であることもあるのだが。

その「原作と肩を並べられる実写化」を実現させるためには、果たしてどの役者をキャスティングしたらいいのか。その候補をいくつも考える。
それを読書をするたびに頭の中で行っているのだ。

例えば、最近ドラマが始まった「霊媒探偵 城塚翡翠」の原作である『medium 霊媒探偵城塚翡翠』(相沢沙呼)を読んだ時、脳内で実写化をした時にはこういうキャスティングをした。(読んだのは2022年3月)

城塚翡翠:浜辺美波(ドラマ:清原果耶)
香月史郎:松坂桃李(ドラマ:瀬戸康史)
千和崎真:古川琴音/趣里(ドラマ:小芝風花)
鐘場正和:高嶋政宏(ドラマ:及川光博)

まったくもって予想大外れの脳内キャスティングであったが、文章とカバーイラストから脳内で誰がその役に相応しいのかを考えたら、そういう結果になった。
私の中ではそれまでの経歴から「ちょっと変わった探偵=浜辺美波」の方程式が出来上がっていたので、実際にドラマになるという話が発表され、翡翠を清原果耶が演じるということになった時には「清原果耶?!これはびっくりした……けど、これはいいぞ!」と予想が外れて憤るよりも、それを上回る面白さが私を襲った。

この作品は「演技力」が試される作品である。
だからこそ、演技力に定評のある役者さんたちに演じてほしかった。
なので、上記の実際のキャスティングは驚きとワクワクを誘った。
こういうのが、私の思う「原作と肩を並べられる実写化」の一例である。

また、こちらの脳内キャスティングと実際のキャスティングが合致したこともある。
『3月のライオン』の映画化の時のことである。
原作の人気キャラクターの中に、島田開八段という主人公・桐山零の先輩棋士がいる。非常に面倒見が良く、零を自分の開催する研究会に誘ったり、実力は折り紙付きなのに、タイトルを獲ったことの無い「無冠の帝王」であり、細身かつかなりの胃弱で薄毛というチャームポイントもある。

その姿は俳優の佐々木蔵之介を彷彿とさせるもので、実際に原作者の羽海野チカ先生も佐々木さんをモデルとして島田八段を描いていたらしい。
原作者がそう言っているのだから、読者は尚更その影響を受ける。
私も羽海野先生のその話を知る前に島田八段の姿を眼にはしていたが、もし映像化するなら佐々木蔵之介一択だと思っていた。

それが神木隆之介主演で映画となる、監督は「るろうに剣心」で佐藤健を見事に緋村剣心へと昇華させた大友啓史となれば、期待せずにはいられない。
絶対原作に寄せたキャスティングをしてくれるに違いない――だからこそ、島田さんを佐々木さんに演じてもらうことを願った。
そしてキャスティングが順次発表されてゆき、佐々木さんが島田さんを演じてくれることになって、とてもとても嬉しかったのを覚えている。
羽海野先生の意見が反映された部分もあるだろうが、ファンたちも納得のキャスティングの一例だと思う。

これも私見だが、「佐藤健・神木隆之介・鈴木亮平には何をやらせても違和感を生まない」と思っているので、脳内キャスティングの中には出てこない。
実際にキャスティングで出てきても、「思っていた人とは違うけど……まぁ、この人ならいけるだろうな」と納得してしまう。
実写化におけるキャスティングの調和は、原作ファンの役者への信頼度が物を言うのである。

私はテレビドラマや映画などが好きなので、役者さんに対する関心度は高い方だと思う。
だから、たとえ架空のキャスティングであっても妥協はしたくない。
そして、妥協を感じるキャスティングには少し冷めた目で見てしまう。
「この人、この監督の作品の常連だから選ばれたんだよな……」と思うことも多々ある。
ラスボスだったら香川照之、福田雄一作品になら橋本環奈を出しておけばいい……実際には違うだろうが、あまりに多いと生臭さを感じて、観てる側もマンネリで新鮮味を感じない。
だから、監督や脚本家によっては「絶対この人出すよな」と確信を持つことも多々ある。そして、それは大概当たる。

だからこそ、城塚翡翠を清原果耶が演じることは新鮮さと彼女の仕事に対する信頼感が合わさっていい印象になったのである。
実際、清原果耶で正解だったように思う。

あくまでも個人の勝手な脳内での妄想なので、大きく外れたとしても「ふざけるな!」とは思わない。
第一、「このキャラクターは第一候補はこの人だけど、この人も捨てがたい……」と希望選手を何人も挙げることの繰り返しであるので非常にフワッとしている。
本当に実現したいのなら、自分で資金を集めて製作までこじつければいい。
それをするほどでもないから、別に予想通りにならなくても怒りは起こらない。時に違和感は起こるけど。
むしろ、原作の設定を大きく改変して全く違うストーリーを作られてしまったら、「テメェ、舐めてんのか!」と思う。
同人誌でももう少し原作をリスペクトする二次創作創るぞ、と思うことがある。それに関しては、どれだけ素晴らしいキャストを揃えたとて、違和感は拭えない。
何せ、原作こそ至高なので。

特にマンガは「このキャラクターはこの顔!そしてこの設定!」と決まっているので、どうしてもそのキャラクターの顔に近い役者さんを想像してしまうし、その役者さんがどう動くのかを期待してしまう。だからこそ、一番制作側には妥協してほしくないテーマである。
小説は文章から妄想をいくらでも広げられるが、最近はカバーイラストやコミカライズ、アニメ化でキャラクター造形がなされていることが多いので、結局はマンガと同じようにキャラクターの外観が固定されて「この人じゃこのキャラクターを演じられない!」と批判が起こることになる。
今や実写化は、結構薄氷を踏む思いで挑まねばならないのかもしれない。

この妄想の弊害と言えば、キャスティングに必ず挙がる存在がいるということだろうか。
特に小日向文世と浜辺美波は必ず候補に挙がる。
その人たちのファンであるというのはあるが、両者とも種類の違うバケモノのような演技を見せるので、「この人がこの役を演じたら、どんな雰囲気を醸してくれるのだろう……」と期待してしまうのだ。
だから、この二人が実際にキャスティングされるととても嬉しさを感じる。
と言うか、共演してくれないだろうか……どんなに駄作でも観るよ、私。

家で誰にも謗られることなく、一人でニヤニヤしながらドラフトをする、それが私の家での楽しみである。

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