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ブログでしか言えない話

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2019年3月の記事一覧

世界の全て

世界の全て

時折、「あの小さな箱庭で息がしていたかったな」と思う時があります。

保育園に通っていた時、あの小さな保育園は私の世界の全てだったし、小学校に通っていた時、同じ小学校に通うことになる地域までが私の世界だった。

もちろん、その外に世界があることは知っていた。友達と自転車で「探検」と称して行き先も決めず走り続けていた時だって、たまに校区から飛び出してしまっては、帰り道もわからなくなり不安いっぱいで帰

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寄生虫は狼になりたい

寄生虫は狼になりたい

個人の意思が大切だと言われる。
自分の意思を持って、人生を精力的に生きていくのが良いのだそうだ。

社会の規範に従えと言われる。
社会というものは、人類の最大幸福のために作られたシステムで、最大幸福を実現するために、社会のルールは守るのが良いのだそうだ。

「不思議だなぁ」と思っていたけれど、同時に「そうだよなぁ」とも思っていた。
社会の規範に従えと言われるようになってすぐに、社会の規範の理由を知

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わたしの隣人

わたしの隣人

小さい頃、習字教室に通っていた。

どうして習字教室に通い始めたのかはよく覚えていないけれど、小学校二年生の時に始めて、小学校を卒業するまで続いていた。

習字教室は、近所の神社の敷地内にある建物で毎週開かれ、同じく茶道も習っていた私は、土曜日の朝に茶道に行き、その足で自転車を飛ばして習字教室へと向かった。

畳の上で正座をし、手先に集中力を注いで字を書く。

落ち着きのなかった私は、じっと何かに

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私でいて、私でない時

私でいて、私でない時

時折、今はもうない地元の図書館のことを思い出す。

私にとっての図書館は、小学生の頃、毎週のように母親の車に乗り通った、あの二階建ての、小ぢんまりとした地元の図書館だ。

後年、自分で自転車を走らせ通うようになる大きな県立図書館は、私にとって、カギカッコ付きの図書館だった。

木造の図書館で、おそらくもう古い建物だったのだろう、歩くたびにギィギィと床が音を鳴らして、しかし、新しい本は頻繁に入荷され

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サクラサク

サクラサク

最近、日本ではもう桜が咲きはじめたようで、SNSの投稿には画面いっぱいの薄桃色が紛れ込むようになった。

桜には、人々の心を陽気にさせる効果がある。
鬱々とした冬の間を忘れさせ、桜の木の下で敷物をしかせたりして、人間社会に影響を与える。

桜というのは、幼少期から毎年見ていた花なので、画面越しからでも浮かれている街の様子が浮かんできて、一万キロも離れた土地で、多少陽気になる心と、計り知れない郷愁の

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結局私たちは、生物でしかない。

結局私たちは、生物でしかない。

中学生の頃、RADWIMPSというバンドにはまっていたことがある。
学校のコンピュータの授業で、好きなものについてのプレゼンテーションを作る際に、「好きなもの」として選んだくらい、はまっていた。

始まりは、友人にRADWIMPSやUverworld、ONE OK ROCKを好きな子がいて、その子に影響されて聴き始めたのが最初だ。

当時、(少なくとも私の周りでは)データ配信はメジャーではなかった

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死んだ金魚を埋める夜

死んだ金魚を埋める夜

幼少期の記憶で、特に映えもしないのに、なぜか印象に残っているシーンってあると思います。
私の場合は、死んでしまった金魚を庭の土に埋めているシーンです。

そのシーンをなぜかずっと覚えていて、ふとした時に思い出すんです。如何してかわからないけど。

何故かわからないなりに、無理やり理由を探るとすると、恐らく"命が失われる瞬間"というものを初めて実感した時だったのではないかと思います。

もう正確に時

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古都京都

古都京都

京都には強かさがある。半年前、京都に足を踏み入れた時、私はそう思った。

一芸を尊ぶこと。
それは簡単なようでいて、実は難しい。

不思議だと思っていた。

京都に実際足を運ぶまで、私は京都のことを舐めていた。
古いしきたりがあり、同化圧力が日本中のどの地域よりも強い場所だと思っていた。

それは、花魁さんなどに起因する、そういった生き辛さなるものを、人生で多く読み取ってきたからだろう

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幼少期の痛み

幼少期の痛み

さわわさんのこのnoteを見て、小さいころ、初めてアウシュビッツ収容所について知った時のことを、思い出した。

幼少期、どうしてその本を手に取ったのかさえ詳しく覚えていないけれど、私がアウシュビッツ収容所をはじめとするナチスの活動について知ったきっかけは、アンネ・フランクだった。

小さいころ、漫画の人物紹介シリーズを読み漁っていた時期があったので、おそらくその時期に、彼女の話を読んだのだと思う。

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科学のきっかけ

科学のきっかけ

私が科学に興味を持ち始めたのが正確にいつなのかはよく覚えていない。
覚えているのは、小学6年生の時の自由研究が「自然エネルギーの仕組みと利用、そして問題点」のレポートと燃料電池だったことだけだ。

この自由研究をやろうと思ったきっかけは、小学5年生の3月に起こった東日本大震災だった。

だから私は勝手に、この悲惨な自然災害を私が科学を始めたきっかけとして捉えている。

東日本大震災が起こった時のこ

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四年前と、一年前と、現在

一年前に、ニュースピックスのある記事に書いたコメントを、たまたま目にする機会があった。

>自殺する人は直前まで迷っていることが多い。

という記事内の言葉に反応した、過去の私の言葉たちは、今の私の注意を引きつけて離さなくて、おかげでここ数日の気分は下がりっぱなしだ。

これは、私が一番死に近かった時期の話だった。

『自殺したくてどうしようもなかった時、自分が生きていることがどれだけ迷惑なことか

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茶器が割れる

茶器が割れる

昨日、茶器が壊れた。

もう二年ほど使っている茶器で、少し茶色が付いてきていたので、念入りに綺麗にした矢先のことだった。

昨日は、WeelyOCHIAIを見ていて、社会についての論文を読んでいた。
論文を読みながら、社会の複雑性と安定性について考えていた時、コンコンとドアがノックされたので、私は「はーい」と返事をする。

ダディが少し暗い顔で入ってきて、私は何があったんだろうと思った。
その時点

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日常に潜む投資

日常に潜む投資

「旦那に、投資をやってみろって言われてるの」
コーヒーを啜りながら、目の前の友人が言った。

久しぶりのカフェで、久しぶりに友人と話していた。

出会ってすぐに哲学の話をし始め、バスを降りてカフェに向かう道で医療について話し(友人に医療事務の経験がある)、カフェについてからそのまま医療と保険の話をする。

私は、何気にずっと、切らすことなく病院に通っていて、社会保険を含めた様々な保険制度の厄介にな

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炭酸の抜けたコカコーラ

炭酸の抜けたコカコーラ

ここのところ、共感性が上がっている。
そういう時期だということもあるのだけど、最近、小説やエッセイや色々なもので涙腺を刺激され、一日中泣いていることが増えたので、その反動もあるのだろう。

共感性が上がると、普段は人に興味がないためなんとなく済ませられる人間関係が、少しささくれだってしまう。
どうしても感情が抑えられなくて、トゲトゲとした感情を相手に向けてしまうのだ。

嫌だ。こういう自分が好きで

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