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世界の全て


時折、「あの小さな箱庭で息がしていたかったな」と思う時があります。

保育園に通っていた時、あの小さな保育園は私の世界の全てだったし、小学校に通っていた時、同じ小学校に通うことになる地域までが私の世界だった。

もちろん、その外に世界があることは知っていた。友達と自転車で「探検」と称して行き先も決めず走り続けていた時だって、たまに校区から飛び出してしまっては、帰り道もわからなくなり不安いっぱいで帰ることもあった。


ただ、あの頃は明確に内と外の境界線があった。
私はあの境界線を確かに恐れていて、心の壁としてすぐに把握できるほどだった。この通りを越えたら境界線を越える、という意識を持ちながら自転車を走らせていた。
母親に連れられて外に出る時には、そんなこと全く感じなかったのに、不思議だ。

小学生の時にお世話になった託児所には、もちろん自分の学校以外の学校から来る子もいるので、その子たちのお迎えについて行く時はちょっとした冒険だった。
暗い見知らぬ校内を歩いて迎えに行った時。帰りが少し遅くなり(とは言っても5時とかなのだけど、当時の5時はもう夜だった。だって外で遊べない)、「お化けが出るかもー」という妄想ではしゃぎながら車に乗っていた時。

非日常のワクワク感は、今でも消えることはない。

だから時々思う。「あの箱庭の中で永遠に息をしていたかった」と。


後年、県境ばかりか日本すら飛び出してしまった私が、地元に帰るとまず「懐かしい」と思う。

そこには、昔の思い出とともに、古くなった嘗ての境界線が息をしている。あの世界が全てだと思っていた頃の境界線が。


少し話は変わるが、中学生の頃、職業体験で昔通っていた保育園に行った。
そこには偶然、昔私のクラスを担当していた先生もいて、少しばかり話をした。

懐かしい。
あの遊具で鬼ごっこをしたり、あの砂場で泥団子を作ったり、この庭でドッジボールをしたりした。

昔はとても大きいと思っていた建物だったけれど、中学生の私にはとても小さく見える。
当たり前だ。体が大きくなった。幼児のサイズで作られている世界は、中学生の私には小さくて当たり前。

庭を走り回る園児と、私も一緒に小さくなった庭を駆けた。
どことなく苦しくて、寂しくて、こうして走っていると、感情を揺らしてばかりいたあの時代を思ってしまう。

今の私が地元に帰る時に感じる郷愁の念と、きっと同じようなものなのだろう。


私の脳は覚えている。
あの小さな場所を世界の全てだと思っていた時のことを。
そして知っている。
それが一番幸せだったのだろうということを。

乖離がある。
あの場所は世界の全てではない。
もっと大きな社会の一要素でしかなくて、あの様な場所は日本に、世界にたくさんある。
その事を、世界を飛び出した私は知っている。

だけど私にとってあの場所は一つしかなく、それは世界中のどの場所に行っても同じで、そして変わらずあの場所が世界の全てなのだ。
だって、私が世界の全てを感じた場所はあの場所しかないのだから。


世界を知ってしまったことは、不幸なことだろうか。
リンゴを食べて楽園から追放されてしまったアダムとイブは、不幸だったのだろうか。
わからない。

だけど彼らも、楽園を思うことはあるのだろう。
もう二度と手に入らないからこそ、より魅力的に見える楽園を。

江戸時代以前の日本を思う。
あの頃の民衆も、自分の街を世界の全てだと思って生きていたのかもしれない。

把握することが多くなり、情報に溢れ、自分や自分のものの特別感を失ってしまうことが、近代以降増えてきた様に思う。

だけど多分人の心はそこに追いついていないよ。

時代の変化よりも、人の変化は幾分かゆっくりと進むから、時代の流れが早くなるにつれて、私たちはいつでも不安を感じる様になってしまう。


私も、あの時の特別感を忘れられない。

今でも何とか取り返そうとしているけれど、それには社会に盲目にならないといけなくて、今の時代にはリスキーすぎる。

いつか、社会がもっと安定性を手に入れて、社会を注視していなくても問題なくなったら、良いのかな。
人間が人間である限り無理かな。

きっとそれには、人間本来の革命というものが必要なのだろうと思う。


副題:『にんげんは恋とかくめいのために生まれてきた』

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