死んだ金魚を埋める夜
幼少期の記憶で、特に映えもしないのに、なぜか印象に残っているシーンってあると思います。
私の場合は、死んでしまった金魚を庭の土に埋めているシーンです。
そのシーンをなぜかずっと覚えていて、ふとした時に思い出すんです。如何してかわからないけど。
何故かわからないなりに、無理やり理由を探るとすると、恐らく"命が失われる瞬間"というものを初めて実感した時だったのではないかと思います。
もう正確に時期も覚えていない(妹が割と大きかった気がするので、小学校中学年くらいか)曖昧な記憶なのですが、死んでしまった金魚を埋めている時に、ふと浮かんだ寂しさとか、遣る瀬無さとか、恐怖とか、言葉で型嵌めできない、とにかく泣きたくなるような寂寥を感じていて、埋めている時に、金魚の一生を思ってしんみりとした気分になっていた気がします。
金魚を埋めているほんの数分のシーンと、その感情だけが鮮やかに記憶に残っている。
小さい頃、夏祭りの時期になると、毎年といっても良いほど金魚を家に持ち帰っては育てていました。
いつのまにかその習慣もなくなっていたので、多分、私が金魚を育てるのが好きだったのでしょう。
隣の家ではとても大きい、長年生きたであろう金魚が水槽を泳いでいて、それを羨ましいと思っていたことを覚えています。
日中家に誰もいないので、ペットの類を買うこともできず、何か生物を育てることに躍起になっていた私は、その役目を金魚に全て押し付けたのだと思います。
ちょうど同時期、アリやダンゴムシなどの昆虫にも興味を持ち始め(これは読んでいたファーブル昆虫記の影響ですが)、ペットボトルや虫かごの中で様子を見ていました。本当に見ているだけで、たまに砂糖の山とか拵えるくらいだったのですが、アリの巣ができている様子が見えると、とても興奮しました。本当に、アリは巣を作るのだと。
そんなこんなで、金魚を育てるのにも躍起になっていた私ですが、祭りで買ってきた金魚は、全然長生きしないんですよね。すぐに死んでしまう。
最初の頃は一週間も経たないうちに死んでしまうことが多かったのだけれど、歳を重ねるにつれコツを掴んできて、一ヶ月、二ヶ月と育てることに成功しました。
その頃には、水換えのやり方とかカルキ抜きとか、水槽内の環境を整えるためにホームセンターに物を買いに出かけたりとかしていました。割と本気だったのです。
そして多分、私が覚えているシーンで埋めていた子は、その当時一番長生きした金魚だったんじゃないかと思います。
祭りで金魚は何匹か貰ってくるのですが、どの子も数週間で死んでしまって、でもその一匹だけ長く生きていて、もしかしたら、隣のお家の金魚みたいにものすごく長生きするかもしれないと期待していました。
愛着も湧いていたのだと思います。
朝、起きてくるたびに水槽を確認して、力尽きてプカーっと浮いている子や、沈んでしまった子を見て、消沈することも多かったからです。
何度も、慎重に水を換えていた所為もあるでしょう。
小さい頃特有の、上から目線の「可哀想」という同情心があって、生き残っている子たちは死なせたくないと決意を固めるのです。
そんな中、最後の一匹が死んでしまったのです。
覚えているシーンは夜に庭に出て埋めているシーンなので、学校が終わって、託児所から帰ってきた後に、金魚が死んでいることを発見したのでしょう。
いつもよりも消沈したのだと思います。
だけど、埋めるまで、それはただのルーティーンだった。
死んだら埋める、その繰り返しを行なっているだけだった。
埋めている最中、ふと、「私が手を出さなかったら、この子はもっと楽に生きられたんじゃないか」と思いついてしまいました。
人から金魚すくいの金魚の調達方法を聞いたのも、ちょうどあれくらいの時期だったと思うのですが、それより先なのか後なのかはわかりません。
だけど気がついてしまったのです。私がやっていることは、とんでもないことなのではないかと。
今までは軽く扱っていた、魚や昆虫の"命の重さ"を初めて感じたのです。
今まで当たり前に金魚の死を見てきたけれど、死というものは、人間と金魚でそう変わるものじゃないということを、命というものはこうして失われるのだということを、実感してしまったのです。
本来は、金魚がどう感じていたのかわからないし、もしかしたら、いやきっと、何も感じていなかったのかもしれない。ただただ、最後まで精一杯生きただけだったかもしれない。
だけど、その時感じた気持ちが相当に複雑で、衝撃的で、私はずっと、この記憶を忘れられないのだと思います。
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