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京都のゲーム会社から卓球の会社に転職する話

大企業で働く30歳が好きなことを仕事にしようと転職を決心するまでに考えたことを書きます。

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5年ちょっと働いた京都のゲーム会社を退職して、設立4年目の東京にあるタクティブという卓球の会社に転職する。先週、実質的な最終出社を終えて、8月から新天地で働く予定だ。

今年30歳という一つの節目を迎えたことが、転職を決めた大きな理由だ。まわりを見渡しても同年代で転職をした人が結構たくさんいると感じている。

一方で転職することを報告すると、けっこうな頻度で「うらやましい」と言われる。特に大企業ではたらいている人の中には、なかなか踏ん切りがつかない人が多いように思う。自分自身も転職を決断するまで相当悩んだ。

自分はみんなもっと自由に生きていいと思っているし、みんなに自由に生きてほしい。仕事についてもこのままでいいのか?と悩むなら、カジュアルに、かつ真剣に転職を考えて良いと思っている。また、他人から見たらマジで!?と言われるようなジョブチェンジでも、自分が好きなこと・やりたいことならどんどん仕事にしていっていいと思っている。

このあたりの考え方は、つい最近発売された転職の思考法という本の著者の北野唯我さんの考え方が、ドンピシャで自分の考えていることと一致しているので、30歳前後でキャリアについて思うところがある人はぜひ読んでみてほしい。

これだけ転職しても良いというキャリア感を持っている自分でも、今回の転職は相当悩んだ。もしかしたら今回の心の葛藤と決断は、同じような悩みを持っている人の参考になるかもしれないと思ったので、それだけ悩んででも転職を決めた理由を書き残そうと思う。

転職を決めた3つの理由

①自分の名前で生きていきたい

心理学者のメグ・ジェイによると、人生を決定づける出来事の80%は35歳までに起こるという。

20代からリスクを取っている友人がどんどんカッコよくなっている。飲食店を経営している友人もいれば、フリーランスで独立して生きている友人もいる。社会人から学生に戻って学び直した友人もいる。彼ら彼女らはどんどん変なやつになり続けている。そして彼ら彼女らはええ感じのおっちゃんおばちゃんになりそうだなと感じる。

対して自分はどうなのだろうか。就職を境目にして、なんとなくSNSでの発信も弱くなって、元々持っていたアグレッシブさが年々薄れていないか?と自問した。ありがたいことに昔から「人とは違うよね」「(良いか悪いかは脇に置いて)何かやるやつ」と言ってもらえることが多かったが、今の俺もそうなのだろうか?

心の問いに対してYesと答えられない自分がいた。

②「これは俺がつくったんだ!」と言いたい

アートでもメカでも何でも、自分の作品を発表している人たちを見ると素直にカッコいいと思うし、自分もそうなりたいと思う。

今の会社ではグローバル規模で影響を与える素晴らしい製品に携わることができている。ただし、それはあくまでも会社の製品であり、自分の名前が表に出ることは無い。舞台に立つのは社員の中でも一部の限られた人物であり、今の職種でその舞台に立つ機会が得られることは無い。

だいぶ前の記事だけど、ブロッサムコーヒーというシリコンバレーの小さなコーヒーメーカーの会社の創業者がWIREDで語ったコメントが一番いまの自分の心情に近い。(向こうは絶対に覚えていないけど、大学院生の時にサンフランシスコで会ってちょっとだけ話をしたことがある。)

「iPad2の開発チームにいたけど、最後にそれを発表するのはスティーブ・ジョブズだった。ぼくは、その発表をする人になりたかった」

また、昨年末にナイキの創業者が書いたシュードッグという本を読んだ。この本がまた心にグサグサ刺さった。

私は自分の人生もスポーツのようでありたいと思った。そう、それだ。まさにピッタリの言葉だ。幸せのカギは、美や真実の本質は、あるいは私たちが知るべきあらゆることは、ボールが宙に舞う瞬間にあるのではないかと以前から思っていた。2人のボクサーがゴングの鳴るのを感じる瞬間、ランナーがゴールに迫り観客が一体となって盛り上がる瞬間だ。その胸踊る0.5秒の中に何もかもがくっきりと浮かび上がり、勝敗が決まる。それが何であれ、こうした人生を送ることを、日々そうなることを望んでいた。
オフィスビルを出て街の人混みの中にまぎれた頃には暗くなっていた。これまで経験したことのないような気分が湧いてきた。疲れていたが意気揚々として、消耗していたが心が弾む。仕事が終わった後に感じたいと思う、あらゆる気分を満喫した。アーティストやクリエイターになった気分だ。振り返って日商のオフィスに目をやり、小声で「僕たちが作ったんだ」とつぶやいた。

俺もスポーツのような人生を歩みたい。心からそう思った。

③卓球がいま、熱い

卓球がいま、熱い。2020年東京オリンピックに向けてどの競技も盛り上がってきているが、卓球は特に盛り上がっている。今年からTリーグというプロリーグもスタートする。

約20年卓球と触れ合ってきて、今ほど熱量を感じるのは初めてだ。これまで卓球は三度の飯より大好きだけど、あくまでも趣味としての付き合い方しかしてこなかった。でも、いま卓球業界で働いたら絶対おもしろそうだ、この熱量は多分、オリンピックが迫っている中、波に飛び込むのが1年遅れただけでものすごいビハインドになる。

以前からそう思っていたところに、今回の転職の話が出てきた。頭では熱いとわかっていたけど、その世界へ飛び込む現実的な話が出てきたときにめちゃくちゃワクワクした。このワクワクに蓋をしてはいけないという確信が自分の中で芽生えた。

ワークアズライフという考え方もある。今の会社でも散々見てきたけど、遊ぶようにはたらく人が最強だ。適性や打算で選択した仕事でプロフェッショナリズムを突き詰めても、最後は真剣に遊ぶようにはたらいている人には勝てない。せっかく働くからには真剣に1番を目指したいし、1番を目指すためには好きなことを仕事にするのが一番だ。

この考え方は正しいという自信がある。だから自分も1番を目指すために一番大好きな卓球を仕事にすることに賭けてみようと思った。

キャリアの節目をデザインする

そして、ここまでに挙げたような理由が思い浮かんでいることを自覚したとき、キャリアの一つの節目がきていることを強く感じた。

キャリア論の第一人者である金井壽宏先生が紹介した「節目をデザインしよう」「節目が来た時はなんとなくわかる」というのに見事に当てはまった。

糸井:逆に、よっぽど今のままでは違和感があるな、と思ったら‥‥。金井:そのときには、次の「節目」が来ているんですよ。糸井:そこでまた、「デザイン」すると。金井:そうです。

2018年は入社から5年が経過し、中堅にさしかかりつつある。仕事も落ち着き、ゆっくり考える余裕ができたとき、ここまで書いたようなことを考えた。漠然としているが、これが節目なのだなと確信することができた。

これらが転職することを決めた理由、卓球業界に入ることを決めた理由だ。

最後に

今回の転職に伴い、業界も、会社も、職種も、住む場所も全部変わる。本音を言うと、今の生活から脱皮することは凄く惜しい。

妻と過ごす毎日は幸せだし、部署のメンバーや同期はめちゃくちゃ面白いし、読書会もまた盛り上げていきたいし、今の家は最高だし、将来の子育てを考えたら大阪に住む両親が近くにいた方がいいし、両親はめっちゃ良くしてくれるし、仕事で海外に行けるし、大企業で働いていることは自尊心をくすぶられるし、給料も良い。

でも、ここまできて挑戦しなかったら絶対に後悔する。この一心で最後はすべてを振り切ることにした。

今回の決断を応援してくれた妻には感謝しかない。彼女を一生悲しませたくないと思うし、最高の人と結婚できたと思う。

こうやって振り返っていろいろ理由を書いてみたけど、会ったこともない高木新平さんや北野唯我さんの影響をめちゃくちゃ受けていることが分かって我ながら呆れた。めっちゃミーハーだな、自分。でも、そんなもんで良い気もする。

最後にもう一度言いたい。

みんなもっと自由に生きていいと思っているし、みんな自由に生きてほしい。世間体が気になる気持ちは分かるが、気にしたら負けだ。人がどう思うかではなくて自分がどう思うか、心の声を大切にしてほしい。人と同じ人生ではなくてオリジナルな人生を歩んでほしい。

今回の自分の転職は、ここまで偉そうなことが言えるほどのジョブチェンジではないかもしれないけど、それでも、誰もが自分の気持ちに正直になれて、やりたいことで生きていける世界が来ることを心の底から願っている。

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