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そうであるなら、そう言って。

近日中に
伝えること・表現することが
自分の中でとても大切だったと感じることが
立て続けに起きた。

一つは伝えることをせず起きた、私への苦難。
一つは伝えてほしい表現を得られなかったことから起きた、私への苦難。

どちらも私にとっては心が引き裂かれるような出来事。
そしてどちらも、まったく別の出来事。


まず伝わらない配慮をするのがよくない。

その配慮は、空想・妄想にしかすぎず、『余計』であることが少なくない。


感じていることを言葉にして、まっすぐ丁寧に伝えないことには、相手に理解してもらうことはできないと実感。

いや、前からわかっていたはず。


自分の素直な気持ちというのは表現するべきだ。
ポジティブな言葉なら尚更。
本人に直接、
多少不自然でも(電話でも、親しくなくても)伝える。

それをしなかったことで、
『大切に思ってもらえていないのではないか』と、
根拠のない不安に押しつぶされそうになっている。

現在も。常に。

私がいつも大切にしている「言葉」を蔑ろにしたせいで、
苦痛と共にその大切さを改めて感じることとなった。

 
感謝は伝えているだろうか。
感謝するべき対象に気づけているだろうか。
人の成長・変化に気づき、感謝できているだろうか。

チームで成し遂げた成果・勝利を、共に讃えあう時間と
なんら変わりないとおもう。


『褒める』は上下が生まれる気がして苦手だ。

そうではなく、讃えあいたい。
貴方の成果。
私の成果。
貴方の存在。
私の存在。

全てが完璧であるから1つのBANDが最強なように、
役割を持ち、人それぞれの魅力のままで
挑んで、遂げた成果を讃えあいたい。

チーム内の役割分担は、
「できないところ」カバーするため
という理由であってはならないと感じる。

一人一人が成り、
自立することを精進しつづけ、
向上していく過程で役割が分担され、
その役割を全うし、強固なBANDもしくはチームとなる。

だから最高なパフォーマンスができる。

私はその環境下・思考で育ってきたと気づいた。

音楽は、
一つ一つのパートが完璧であることが大前提。
その中でパートごとの絡み合い・コミュニケーションが
その場の最高の音・作品・BANDを作り上げる。

苦手だからやらないという逃げ言葉に走ってはいけない。

また、それを逃してあげるのは、決して優しさではない。
思いやりでもない。
その人への諦め、侮辱と私は捉える。

「ミス」をカバーしあうことはチーム内であるべき動きだ。
「できない」から逃げることを許すのはチーム内であってはならない。

ここの解釈の違いで物事は大きく変わるのではないか。

役割分担の中では、外部から見て
「使われる人」と「使う人」に見えることもある。
それでもそこに居ると選んだのなら、
そのプロとして存在する努力をするべきだと考える。

「使われる人」になれるということも、間違いなく才能。
ここに上と下などない。

甘えている・と感じているならそう言って。
さすれば、私は理解し・解釈し、

そのプロとなれると思うの。

他人に変われ、というつもりはもう、ない。
しかし、わたしは求めるので、自分がそうなり

伝えていくことを決意する。

「私は、貴方のおかげなの。」

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