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連載小説『ネアンデルタールの朝』⑯(第一部第4章-1)

第4章

1、
テレビを消し、シンと静まり返った家の中で、民喜は特にすることもなくソファーに横になっていた。二日酔いによるものか、時折微かな頭痛がする。民喜以外の家族は皆、不在だった。父は朝から仕事、母と妹は午後から買い物に出かけていた。
ぼんやりリビングを眺めていると、仏壇の手前に一冊のファイルが置いてあることに気が付いた。
何となく気になり、起き上がって仏壇の前まで行ってみる。ファイルの表紙には手書きの文字で、「**町災害復興計画(第二次)」と記されていた。斜めに傾いた特徴ある文字を見てすぐに父の字であることが分かった。
民喜はファイルを手に取り、ソファーに座った。中身は分厚く、全部で100ページ以上の分量はありそうだ。

「帰還する」または「帰還しない」の二者択一ではなく、「今は判断できない・しない」の「第3の道」を含めた、町民一人ひとりの選択を尊重します。

たまたま開いたページには、太字のゴシック体でそう記されていた。続いて記されている本文にも目を通してみる。

**町災害復興計画(第二次)は、東日本大震災及び原発事故からの復旧・復興を目的とし、「帰還する(第1の道)」・「帰還しない(第2の道)」の二者択一ではなく、「今は判断できない・しない(第3の道)」を含め、町民一人ひとりの意向が尊重するための計画であり、町を将来的により豊かに発展させるための計画です。……

数ページをパラパラと流し読みして民喜が理解したことは、この復興計画においては「第3の道」という言葉がキーワードの一つとなっているらしい、ということだった。以前の復興計画は「帰還する」または「帰還しない」の二者選択しかなかったが、この度の計画においては「今は判断できない・しない」という選択も含めているとのことである。
分厚い冊子から顔を上げ、窓の外を眺めてみる。窓から見える空は昨日とは打って変わって、曇り空だ。ガラス越しに聞こえてきたミンミンゼミの鳴き声も心なしか覇気がない。ミンミンゼミの声に交じって、遠くツクツクボウシの鳴き声も聞こえる。

さらに数ページを読み進めてみる。7ページ目には、昨年に実施された町民意向調査の結果がグラフで示されていた。
「現時点で戻りたいと考えている」町民は11.9パーセント。「現時点で戻らないと決めている」町民は49.4パーセント。「現時点でまだ判断がつかない」と回答した町民は30.7パーセントだった。ちなみ8パーセントは「無回答」。
民喜はしばし、この数字が意味することについて想いを巡らしてみた。
現時点で「戻りたい」と考えている町民はわずか1割程度。すでに5割近くの町民が「戻らない」と決めている。3割の住民は決断を保留にしている。この結果が意味していることは何なのだろう……?
次のページにはさらに、年代別の結果がグラフで示されていた。そのグラフによると、29歳以下と30~39歳以下の年代においては、実に7割近くが現時点で「戻らない」と決めているとのことだった。年代が下がる程、「戻らない」とすでに決めている人の割合が増えていっている。
民喜は駿と将人の言葉を思い起こした。昨年の夏、何かのはずみに帰還政策の話題になったとき、二人はすかさず、
「帰れるわけねえべな」
と声を合わせて言った。拍子抜けするくらい、あっさりとした口調だった。
民喜は思わず、
「そんな、あっさりと」
と呟いてしまった。そのようにうろたえながらも、東京で生活する自分より駿と将人の方がよほどいまの福島の現状を知っているのかもしれない、とも思った。これが、自分と同世代の人々の率直な声なのかもしれない。
民喜自身は、帰れるか帰れないのか、まだ判断がついていなかった。というより、そもそもこの問題についてこれまで突き詰めて考えてみたことがなかった。
しかし今回、実際にあの町を訪ねてみて、ようやく二人の言葉の意味が理解できたような気がした。海岸線に延々と続いてゆくフレコンバックの山を目の当たりにして。我が家の敷地内が高い放射線量を示す様を目の当たりにして……。
(帰れるわけねえべな)
駿と将人の言葉がよみがえってくる。それでも、
(もしかしたら――)
という気持ちを捨てきれない自分もいた。
民喜たちの住んでいた区域は現在、居住制限区域に指定されている。

早ければ、2017年(平成29年)4月の帰還開始を目指します。

太字のゴシックで書かれた一文が目に留まる。何十年という長期的な視点で記された復興計画の中で、その一文だけが何か異質なものとして浮き上がって見えた。わずか2年後の帰還に対し、実際のところ、どれほどの人が応じることができるのだろうか……?
父と母はこれまで、帰還に関して民喜や咲喜に話を切り出したことは一度もなかった。民喜もそのことについて尋ねることを何となく遠慮していた。まるで口に出してはならない事柄のように、家の中では誰もこのことを話題にしなかった。
あえて聞くことはしていないが、母の晶子がどのように考えているかははっきりと分かっている。母はあの町に帰ることはもはや一切考えていない。母は完全に、「現時点で戻らないと決めている」49.4パーセントを構成する一人だと思う。
一方で、父の民夫がどのように考えているかは自分には分からない。「戻りたいと考えている」のか、「戻らないと決めている」のか、それとも「まだ判断がつかない」のか……。毎晩ビールを片手にテレビを観続けている父。表情のない父のその顔つきからは、心の内が読み取ることができない。

事故の後、父の民夫と母の晶子は放射能を巡って意見が対立するようになった。
父は放射能がただちに健康に影響を与えることはない、むしろ気にしすぎることがストレスとなり体に悪影響を与えるという考えだった。父は国や東電が伝えることを、高校生の民喜から見ても素直すぎると思えるほどそのままに受け止めていた。
対して母は放射能の危険性を理屈ではなく直感的に感じ取っていたようで、強い不安を絶えず口にしていた。母は民喜と咲喜のためにさらに県外に避難すべきであることを訴えたが、父は頑として母の言葉を受け入れることはなかった。民喜と咲喜のためにもここに留まる方がいい、というのが父の考えだった。
同じ子どもたちを想っての言動であるのに、それが父と母とではまったく正反対だった。両親の間で根本的な何かがすれ違い始めていた。どちらの主張が正しいのか、高校であった民喜には判断がつかなかった。
口論は次第にケンカへと発展していった。険悪な空気を感じ取る度、民喜は咲喜を連れてそっと隣の和室に移動した。
「あなたがそんな人だと思わなかった」
ふすま越しに、母の失望したような低い声が聞こえてくる。
「うるせえなあ。だから言ってるだろ。そうじゃねえって。おめえの頭がおかしくなってんだ」
父が苛立った調子で言い返すのが聞こえ、やがて玄関のドアを開けて父が外に出て行く音がする。シンとリビングが静まり返る中、母のすすり泣く声が聞こえてくる。
ふすま越しに母が泣く声を聞きながら、咲喜もポロポロと大粒の涙を流した。妹の手を握りつつ、民喜もまた泣き出したい気持ちを懸命に堪え続けた。一体いま自分たちの身に何が起こっているのか、理解することができなかった。
血の気が引いたような頭で、これは夢なのかと思う。全部夢であってほしいと思う。しかしこの悪い夢はいつまでも覚めることはなかった。
1年ほど経つと、父と母は放射能について議論することはしなくなった。それに伴いケンカもなくなったが、二人の間に会話自体がなくなってしまった。
どちらかと言うと、母の方が父に対して心を閉ざしてしまっているように見えた。関係が悪化してからも父はそれとなく母とコミュニケーションを取ろうとしていたようだが、母はあからさまにそれを拒絶していた。

20歳を過ぎた現在、両親の不和の原因のすべてを原発事故に帰することはできないことは分かっている。事故が起こるまで、父と母は子どもの自分から見ても仲のいい夫婦に見えたが、実際にはかなり違った考え方をもっていた二人であったのかもしれない。事故によって、その考え方の違いが浮上したということであったのかもしれない。
しかし、あの事故が起こらなければ、これほどまでに決定的なかたちで、悲惨なかたちで、その相違が浮上することもなかったはずだ。もし事故が起こらなければ、二人はそのすれ違いにも気づかぬまま、仲良く老後を迎えていたのかもしれない。もしも違いが浮上したとしても、少しずつ時間をかけて互いに受け止め合うことで、克服してゆくことができるものであったのかもしれない。原発事故によって、父と母の関係が引き裂かれたことは、厳然たる事実だと思う。
放射能はDNAに深刻な傷をつけるものであると聞く。と同時に、放射能は人と人との関係性にも深い傷を与えるものであることを民喜は思い知った。高校生であった民喜にとって、後者の被害の方がより現実的な脅威として感じられた。放射能は父と母の関係を、もはや修復不可能と思えるほどにズタズタに引き裂いた。


参照:福島県富岡町『富岡町災害復興計画(第二次)平成27年6月』(2015年)


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