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痛みがなければ何も手に入らない

私は最近、転職しました。
今までの仕事に特段不満がある訳ではなく、
もっと自分を追求する為に、夢に近付く為に転職しました。
学生時代から特段、英語ができたわけではないのですが、
唐突の外資系企業です。はっきり言って苦労しています。

今回の話は、タイトル通り、
「ノーペイン、ノーゲイン」の話です。

つまり、何かを手に入れる為には、痛みが伴うというものです。

人生におけるチャレンジをする時、
私は犠牲なしに手に入るとは考えておりません。

犠牲なしに手に入ったものに関しては、
・誰かが犠牲を肩代わりしているか
・そもそもそんな大したチャレンジではないか
のどちらかなのかなと考えています。

つまり、自分の身(時間や労力などのリソース)を削って、
チャレンジする一歩を踏み出した人だけが成果を手に入れる事が
可能なのだと考えております。

今回の自分のチャレンジで考えたことは、
「その選択を“しない”ことで、後悔をするのか」ということと、
「その選択を“しない”生き様を娘に見せられるのか」ということです。

はっきり言って、こう考えると、
今までの生き方も誇らしく思える点ももちろんありましたし、
多大なる課題というチャンスを与えて頂いて感謝はしているのですが、
チャレンジして次に一歩を進める以外の選択肢は存在しませんでした。

正直、新しい会社に入ってみて、
周りが何を言っているのか分かりません。
日本語で考えると大したことがない作業でも、
一回一回翻訳して考えるとえらい時間が掛かるので、
非効率だなと思うこともあります。

ですが、チャレンジしている姿を娘はきっと後から気付くでしょうし、
彼女の選択は縛らなくても、憧れられるようになりたいと願っているので、
「パパかっこいい!」って思われる選択がしたいです。

また、今この時この瞬間、選択というチャンスを掴まなくて、
後から手に入れられるとも思えなかったことも大きいです。

選択には2種類あって、
「後戻りできる選択肢」か「一方通行の選択肢」です。

選択肢が後戻り可能なのであれば、
何回でも戻ってチャレンジすれば済む話なのですが、
一方通行の選択肢は、選択自体に誤りがないかということと、
二度とこないチャンスなのかということを考慮しないと、
チャンスを逃したり、タイミングを逃したり、選択を間違えたりします。

結果的に、私は痛みを伴ったとしても、
一時的に苦しい方へ進むことで、大きなものを手に入れたいと考えています。

もしかすると、側から見たら、「病気を持っている癖に、
トントン拍子にうまいこといっていいね」と思われているかもしれません。
でも、それは私が今までに犠牲を払ってきた結果であって、
私はナチュラルボーンスーパーピーポーではないので、
淡々と日々「1mmの努力」を積み上げるだけに過ぎないと考えています。

これから何かを手に入れたいと思っている人もいるとは思うのですが、
それを手に入れるための犠牲は何か理解していますか。
そして、その犠牲を払う覚悟はできていますか。

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