見出し画像

わたしの生きる意味

生きる意味ってなんでしょう。
私は本質的には生きる意味は「無い」と思って生きています。

それは人間が、知性こそあれ動物だと思っているので、
生まれた瞬間に「これがあなたの運命と意味です」と
誰かに言われることって、あんまりないと思っています。

赤ちゃんが幼児になり、大人に向けて育っていく過程で、
「私の生きる意味」って何だろう?と特に思春期あたりで、
考え、悩み、苦しみながら、思考の過程で見つける、
後天的な要素が「生きる意味」だと私は思っています。

だから、「私がここに今いる意味って何だろう?」とか
「私が生きている意味って何だろう?」というのは、
私の考えからすれば、「無いんちゃう」で終わります。

それだと虚しいので、ちょっと付け足すと、
私は私の生きる意味を「自分で定義」しています。

それは、他人が決めることでも、状況が見出すことでもなく、
「あなたが決めること」であって、
「過去からの選択の延長」とも捉えることができます。

つまり、私が言いたいのは、
「生きる意味」は自分で定義したら良いのであって、
本来的には「ないもの」を「あるもの」にする過程
そのものがあなたが存在する意味や価値になるのかなと。

また「軌跡」を残すのも、
自分の存在価値を高める意味になると思っています。

例えば、仕事やビジネスにおいては、
世の中の方が「レジ袋は不要です」って言ってもらえたら、
私の中で私の仕事の存在価値が上がるので、そう考えると、
良い仕事をさせてもらったんだなと常々思っています。

私は転職しましたが、
そんな誰かの生活に影響を与える仕事をするというのが、
私の目標であり意味でもあると思っています。
大それていますかね?たった一回の人生なんで、
大それていてもええんちゃいます。

そんな、生きる意味ですが、
本質的には「後天的」で「自分が決める」ものと
分かっていれば、正直状況に流されて悩むことも、
比較的少なくなりますし、気持ちも楽になるのではと思います。

じゃあ、「定義します!」という段階になったところで、
向かっていて方向性が違っていれば変えれば良いですし、
届かなければ下方修正、余裕なら上方修正、
切り替えも自由自在にできると思っています。

大事なのは、柔軟性です。
自分や自分の大切な人の為になっているかということであって、
苦しめてまで意味や意義に固執する必要はないのかなと。

これからも私は私、あなたはあなたらしく生きる為に、
「生きる意味」を決めれたら良いのではないでしょうか。

私自身は、ゆるーく、朗らかに、楽しく生きていたいです。
その過程で、笑って何かを創れれば幸せなのかなと。

これまでも、これからもそんな生き方がしたいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?