間借り書房 いりえのイベント【「書くこと」に関するお喋り会】から生まれた共同マガジンです。スタイルやジャンルは人それぞれ。気負わず、無理せず、否定せず。入り江のように穏やかな場所にしていきたいです。皆さんで少しずつ作っていきましょう🌊
月に一回夜行バスに乗る。 出発まで時間があったから椅子に座る。 すると、私の隣の席のご婦人を挟んで話しかけてくる人物がいる。 今日、仕事で接していた利用者さんと話の感じがよく似ている。 わたしが来るまではその隣のご婦人に話かけてたようだ。 なんとなく場の状況を察して、時間もある事だしと20分ほどひたすら話しかけてくる この人にのらりくらり相槌を打ち、確信につきそうなことはぼかしながら応答していた。 そろそろ...と席を立とうとした時に初めてご婦人と目を合わせお話をした。 話し
(見出し写真はロスの住宅街を背景に見切れる車椅子となぜちゃん) 重度訪問介護の仕事でロサンゼルスに 同行で行かせてもらった。 車椅子ユーザーの方と飛行機に乗る貴重な経験をした。 海外の誰かの家に泊まるのは 高校生の修学旅行以来。 子供から大人になる過程で知らず知らずに曇り空のような心を何層にも重ねてしまっていることに気付いた。 今たぶんとてもcloudy☁️ インターネットの世界が好きなのに noteも半月くらいたぶんあけていなかった。 下書きを数えたら11記事溜まってい
昨日は友人が主催するイベントでライブと「重力と光;祈りの記録編」の上映会にいた。 何度も子供の頃から 今に至るまでの記憶が わたしは今日じぶんで選択してここにいれることを噛み締めた。 気休めであるアレルギー薬を耳鼻科でもらったけれど 相変わらず味覚/嗅覚は以前感じていた世界には戻れない。 だけど 帰りに終電近くまで話をしに入った すき家のご飯は とても久しぶりに本来の味がしておいしくて感動した。 このまま戻るかと期待したけれど... そのままだった。 とはいえ、お昼に今日も選
(見出し写真は顔半分が隠れた なぜちゃん) ほんとうにマスクをしている時代で よかったと 思う時が時々ある。 無の心で目だけ笑って (笑ってないときもあるけど) ただ相槌だけを打つ瞬間 口元をほんとうに見せて いなくてよかったと思う。 並んでいることばや なぜその例えをこの場において使うのかな?と1ミリも賛同できないとき わたしは良い「相槌」になろうとがんばる。 前は「反論」になろうとしたけれど 構造的にもきっと煙たがられるのを察知して とりあえずやめた。 良い「相槌」や
(見出し写真は私の通勤バッグの散らばった中身の上に寝そべるなぜちゃん(ぬいぐるみ)) 今日も脳とからだが疲れた。 その発言に対して わたしはこの場にいる者として どう返せば傷つく人がでないのだろう と考えていたら そもそもそういう発言が行われてしまう空間にいることに疲弊して 途端に胸がどきどきしていたら「機嫌が悪いのか」と聞かれた。 「社会人」としてよくないな〜と思った瞬間。 ✰ 日々 匂いと味が同じものにどんどん侵略される ラーメン屋 玉ねぎ 豆乳 ボップコーン...
またくだらんことで喧嘩した 原文ママじゃないとあかんのに(指摘される)言葉ではなく感情の問題やと挙句『「誰」だってそう思うわ』と わたしは今「あなた」とはなしているのにそれを指摘すると『「そうじゃない人(そうじゃない「あなた」ってことなん?そんなん無理やろ笑)を「探して」その人にやってもらったらいい』みたいな検討違いなことを言われるのほんまに意味がわからん あなたが言った言葉に対して 「それはわたしは言ってない あなたが言った言葉でしょう」と言うとへそを曲げるね うん知ってた
(見出し写真は今日のチラシが壁に貼られているのを見つめるなぜちゃんの後ろ姿) 京都にいつものように深夜バスが早朝に着き 近鉄へ乗って 祖母の家へ向かう。 月に1回していること。 髪の毛は20前半からしてもらっている友人の所へ。 黒髪でぱつんと切り揃えられた頭に戻した。 (戻したという表現が適切なのか) これがいちばん自分でいられる気がする。 この髪型に戻すと「自分」になりそうでそれを恐れていて 違う髪型を数年間してしまっていた。 地元の本屋さん「とほん」へ寄り 母、妹が車
(見出し写真は今日の夕焼けを背景に暗闇に ぐったり寝そべるぬいぐるみのなぜちゃん) 参加している共同マガジンの8月お題は 「夏の嫌な思い出」 8月31日はいつも宿題に追われるタイプだった。 今日だってこの記事を8月31日の夜に 慌てて書きはじめた。 明日9月1日が日曜だから余計に 気持ちに余裕が入ってしまった気がする。 というのも9月の始まりが週末な時は 9月はじまりまで宿題をしていたから。 そんなわたしが宿題に追われない 頭がすっきりした状態で8月の終わりを 過ごすことが
(見出し写真はアトリエの1部。色鮮やかな動物たちが所狭しと並んでいてかわいい) 奈良の知人のご縁で 奈良でご近所である「たんぽぽの家」へ 見学させてもらえることになった。 以前から 見学をしたかったのと 場づくりを考えている中で 地域における方たちとの 交流の場を持ちたかったので とてもありがたい機会だった。 「場づくり 」休眠期間から早く抜けなければ。 できるだけ「バリア」が少ない それをひとつのお店として叶えたい。 「たんぽぽの家」は全国的にも有名なので 知っている
(見出し写真は京都国際会館の京都な床(庭園の床のように波模様が苔のような色の緑の絨毯に描かれている)の上に白い椅子の上になぜちゃんが無造作に置いてある) 月に1回 地元関西へ帰ってくる。 祖父の死がきっかけとなり 奈良で場づくりをしたくて 昨年9月頃から少しづつ動き始め 今年1月から定期的な往来を開始した。 5月の末に熱を出したことがきっかけで 体調を崩してしまった。 たしかに無理はしていたのだろう。 設計などをお願いしている やま設計さんに説明して 一時的な休眠期間を
(見出し写真は木製の床を背景にうつるなぜちゃん(ぬいぐるみ)) 日曜の午後 大阪で高校時代の友人と お茶をした。 友人提案で待ち合わせしたカフェは 大阪駅の真上で テラス側には学生時代に撮影で 使った芝生があって 懐かしかった。 大阪(今は梅田を指している)へ行くのは 最近結婚式でしか行かないので プライベートで友人と会うのは 緊張しつつ とても嬉しかった。 友人は数年前まで関東にいたので 超コロナ禍当時 月に1回泊まりに行っていた。 友人もわたしも府以外からの 通学組
(見出し写真はわたしが実家付近に滞在する時の最寄り駅のホームの背景になぜちゃん) 今から2.3週間くらい前の朝 母との電話で 「(子育ての中で)もう少しこうしてあげればよかったと今思っている」 と言われた。 電話越しの母の隣には 妹がいた。 わたしたちふたりにそう思ってるんだ...と 思ったその次の言葉 「おばあちゃんがあまりに関わりすぎてたから...」 すこーし躊躇いながら 「...わたしへのことばなんかい」 と思わず突っ込んでしまった。 わたしは大正生まれの祖母との
(見出し写真は「STOP GENOCIDE 即時停戦FREE Palestine」のパッチをつけた黒の布バックを背景になぜちゃん(ぬいぐるみ)がこっち見ている) ✰ この日も忘がたい1日だった。 前から来たかった「国立ハンセン病資料館」へ ついに行く日が来た。 1人ではなく、友人たちと。 家の近くからバスに乗るときに、ひとつしみじみと噛みしめた気持ちがある。 子供の頃なにかの資料館へ学校から 足を運ぶときに ちゃんと見ていたら ダサいやつみたいに思われている気がして、 じ
(見出しは先日「喫茶おおねこ」で購入した8月15日の日記集「日常をうたう/椋本湧也」) 下書きが合計もう6個たまっている。 (ちょっと笑ってる) ①だけ書いて②が仕上げられていないものもある。 日々書き残したいことばかりなのに 脳が書くことへ対して言語化が追いつかない。 毎日3時間くらいはまとめて日記について考える時間が24時間と別枠で欲しい。 それに翌日寝不足になるからできてないけど日記は真夜中に書きたい。 でも日々は続き、途中まで書き記せないまま次のできごとが時間と共に
(見出し写真は京都のシスターフッド書店kaninさんの看板と見切れるなぜならば(ぬいぐるみ)) 早朝に祖母の家から、実家のある隣の市へ 電車に乗って向かう。 誰もいない車両の中を朝のオレンジの光が、車内を染めていた。 駅に着くと、じぶんが「別の場所からここにやってくる側」になっていることにおどろく。 実家に着くと、父がどてーっと扇風機に当たって寝転んでいて かわいらしい生き物と化している。 気配を消すようにそろ〜っと家に入るのがくせになっているのだが、父はみえないので、「わ
(見出し写真は朝の浜辺にねそべるなぜならばちゃん(ぬいぐるみ)) 前日の夜 淡路島のホテルには22時についた。 道中 イノシシがいて わたしは初めてイノシシを見た。 イノシシの方は車の光に自分が急に照らされている事にに気付くと 少し待ってから驚くこともなく すっと前方の森の中に入っていった。 人間たちは 初めて見るイノシシに驚いていた。 寝る前に露天風呂の湯船に寝そべる所があり そこから星を眺めた。 大きな流れ星を2つ、小さいものが幾度も横切ってるように見えるけれど乱視だ