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祖父の一周忌②

①はこちら

(見出しの写真は平城宮跡の緑が広がる原っぱ)

祖母に1ヶ月ほど前 一周忌 わたし1人やからあんたこの日に帰ってきてほしいというようなことを言われた。
まあ、遺影も作らないしまぁそうなるよね〜って軽い感じでなんの疑問もなかった。
叔父が半年前に癌が見つかって 見つかった時には末期で祖父一周忌を前にいなくなった。
それもあってみんな一周忌どころじゃなかった。

昨年 祖父が死んだ6月のある日 母から信じられない出来事が起こった!という感じで弾んだ声で電話がかかってきた。
数日後 わたしは新幹線の中でこれを読んだ。

📓私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない|イ・ミンギョン著/すんみ・小山田園子 訳

親戚(叔父)と会うということは 嫌な言葉を沢山言われることを覚悟して行かなければいけない。
わたしは自分の心にガードをつくりたかった。
その日の夜 通夜のために祖母宅へ行くと 家がざわざわしていた。
祖父が遺したいろいろがあって。
通夜が終わってから 私と妹はそれぞれ黒い服装のまま暗闇の階段に隠れて 自分の母が祖父の妹に色々はなしをされているのを 階段の踊り場で2人並んで壁越しに隣の部屋の声を聞いていた。
それを叔父に見つかって ちょっと笑いながら「おめら何してんねんや(悠長な印象をうける方言で)」「しーーーっ!!」
というやり取りをした。
状況から物語の中にいる気持ちにすらなった。
その後 妹と全盲の父の食事介助をしていたら案の定 叔父たちに「まるでハーレムみたいやな」と茶化されたことが ムカついた。
その叔父が祖父の一周忌にはもういないことがほんとうに信じられない。

一周忌数日前に 妹が仕事が休みだと知った。
じゃあ参加してよ〜と誘ったら、わたしが夜行バスで早朝に帰って祖母と朝ご飯を食べていたら、母とともに来てくれた。
(母は田んぼでの作業があると言ってすぐに帰った)
祖母はずっとソワソワしていた。
わたしと妹はほんと〜に気楽で 法要などでこんなお気楽なのは初めての経験だ。
誰に気を遣うわけでもなく、どの方面からの声が飛んできても対応出来るように わたしたちは仕事してますよ!とアピールするべくあくせく走り回る必要もなく。

仮眠をとる時間すらあり֊ ̫ ֊𓈒𓂂𓏸妹は寝ていた。
おっさん(お坊さんのことをこう呼ぶ地域)が来るまで 祖父の60年前くらいの成績表(!)や高校時代の卒業アルバムを眺めたりして過ごした。
ここに映ってるひとたち みんな戦争経験者なんだ...とおもった。

念仏の最中 わたしはお茶を入れてきてと祖母に指示をされ その頃 妹も席を立っていた為 おっさんと祖母だけになる場面があった。
お盆にのせた茶菓子とお茶を持ちながら後ろから祖母とおっさんしかいない光景を眺め これは めちゃくちゃシュールかも...とおもってしまった。

無事にこの日はおわり 後日に 叔父の四十九日があった。
この日につづいてゆく...

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