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祖父の一周忌 ①

祖父の一周忌でそれに合わせて祖母の家へ夜行バスで帰ってきた。
誰も呼ばない。遺影もないし。
昨年の葬式もなかなかだった。
数日後に祖母のいとこの人が家に来て「もう一周忌おわってん(祖母)」「...ええっ!?(いとこ)」っていう会話が玄関から聞こえてきた。
たしかに、なんで誰にも告知もしてないのか一周忌だろ、ええっ!?なのかもしれない。

今年の元旦 祖父の婚姻外の恋人だったらしい人から年賀状が届いた。
(わたしは母から子供の頃からみんな浮気するのがふつうのこと と聞かされて育った。)
わたしは 祖母の家で喪中とはいえ配達された年賀状を仕分けていた。
年明けは祖母の家に住んでいた。
子供の頃から名前を教えてもらっていた人の 名前が目に入り、あー...この人たぶんおじいちゃんのあいじん(皆がそう呼ぶ)だよな... とすぐに分かったけど、何事も無かったように
①転送されてきたわたしの年賀状
②祖母の年賀状
③祖父が亡くなったことを知らない人たちから届いた年賀状
に仕分けた。

祖母が③(祖父に届いていたもの)を読んでいる。
なんとなく 例の年賀状は避けて置いたけど、わざわざそれを祖母が手に取って失敗だった。
時が止まるんじゃないかというほど内心はとてもハラハラ...ああ...おばあちゃんからどんな言葉がでてくるの......!!

少し読んで
「...この人はなおじいちゃんの愛人。まだ続いてたんやな」

幼い頃から母より「子供」の視点で かいつまんで聞かされていた話を いきなり当事者視点で解析度がぐーんとアップしたエピソードを聞くことになった。
元旦の朝おせちを食べながらだったけど すでにかなり重い空気。
そもそも祖父が昨年亡くなっているので 元旦自体 この家に存在しないはずなのに 実家にいる母が前日の大晦日にわざわざおせちを作って届けてくれた。

元旦の昼過ぎ頃 なぜちゃんと散歩へ出ていた
多分重い空気から抜け出したかったのだとおもわれる



祖母がはなすエピソード1個1個が重厚感があって もう感情をどこに置いていいのか正直わからなかった。
同時に その過去を経て 祖母が母(子供)に対する「今」の思いが わたしには理解ができずに 大変大変苦しくなった。
祖母は当時の状況的にそう考えるしか出来ないような心理状況だったのかもしれない。
だけど 当時子供だった弱い立場だった人(=母)の心の傷を その子供という立場からずっと見てきて 苦しんでるのも見たし、 母の子供時代を抱きしめてあげたい 味方になってあげたい切にとおもった。
だけど 過去に存在していないわたしは祖母を真っ直ぐ非難もできなくて 見てないばかりだから ついにイライラしてしまって食事自体から退出してしまった。

この家にはたくさんの記憶が隠されて眠っている。
唐突にそれが目を覚ましたように現れて 祖父が亡くなってから何度もわたしはびっくりしている。

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